黒田清輝について。-裸体問題?腰巻事件?明治のアートスキャンダル-
今日も生きてます。
私の尊敬するアーティストの一人にろくでなし子さんがいます。在学中に一度実際にあったこともあり、本当にメンタルが強くてすごい人だなーと感じています。
テレビの報道だけだと変なものつくってる人という印象だけを見ている人に植え付けてしまいますが、(テレビってそんなもんですよね。)ご著書や作品、来歴を追ってみていくと、この人マジで信念あるなとわかります。
(しかも面白いし明るい。)
作家が作品制作&発表していると、あまりにもその価値観が新しすぎるため、その作品を見た人がショックで驚いたり、怒ったりしてしまうときがあります。
そして作品どう扱っていいのかわからず、変な対応が歴史に残ることがあります。
そんな変な対応として歴史に残っているものの一つとして「腰巻事件」があります。
時代は明治。
白馬会展という展覧会に展示されていた黒田清輝の作品『裸体婦人像』が警察によって咎められ、絵の下半分が布で覆われるということがありました。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
現代だと女性の裸は(もちろん男性も)ネットで見ようと思えばいくらでも閲覧できるし、そこまで珍しくないと思います。
しかし明治時代、あまり人間の裸を見慣れない人々にとって、堂々と掲げられた女性の裸の絵は美術として受け入れることができなかったのでしょう。
にしても絵の下半身に布かけるって面白い発想ですね。
逆に想像力掻き立てられますよね。
(エロス!)
美術か猥褻か問題はこんな昔からあるんですね~。面白いです~。
(というより「美術」という概念ができた後から出てきた問題なのかもしれない。)
このアートスキャンダルを起こした黒田清輝は、日本の近代洋画界の父とも呼ばれるすごい人。教科書にも作品が載っています。
今日からは黒田清輝について取り上げていきたいと思います。
黒田清輝(くろだせいき)
(1866-1924)
1866年 0歳
鹿児島高見馬場に生まれます。
1871年 5歳
伯父である黒田清綱(きよつな)の養子となります。
黒田家は島津藩士です。
そして養子先の伯父は幕末にさまざまな武勲をたて、明治維新後に子爵になります。
黒田清輝は裕福な環境で育ちます。
1878年 12歳
ちなみに高橋由一については以前ブログで取り上げました。
①刀より絵筆を選んだサムライー高橋由一(たかはしゆいち)ー - リアル絵描き日記
② 絵筆を選んだサムライ高橋由一の人生② - リアル絵描き日記
③絵筆を選んだサムライ高橋由一の人生③ - リアル絵描き日記
⑤日本一の「鮭」を知る。絵筆を選んだサムライ高橋由一⑤ - リアル絵描き日記
⑥高橋由一VSフェノロサ?! 絵筆を選んだサムライ高橋由一⑥ - リアル絵描き日記
⑦絵筆を選んだサムライの人生ー高橋由一⑦ - リアル絵描き日記
1884年 18歳
フランスへ留学します。
黒田清輝は最初法律家を目指していました。
そのためにフランスへ行ったのですが、20歳のときに、パリ滞在中の日本人画家たちに(山本芳翠など)、画家になることをすすめられます。
そしてラファエル・コランに師事します。
1887年 21歳
法律学校に入学しますが、10月には退学します。
そしてアカデミィ・コラロッシのコラン教室で絵画を専修します。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
1891年 25歳
ソシエテ・デザルティスト・フランセのサロンに「読書」が入選します。
黒田清輝画「読書」1891年。
ソシエテ・デザルティスト・フランセ サロン 入選
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
1893年 27歳
ソシエテ・ナショナル・デ・ボザールのサロンに「朝妝」が入選します。
7月に帰国します。
ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール サロン 入選
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
1894年 28歳
洋画研究所「天真道場」を設立します。
明治美術会第6回展に「朝妝」出品します。
11月日清戦争に従軍します。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
1895年 29歳
従軍より帰ります。
3月第4回内国勧業博覧会審査員となり「朝妝」出品します。
裸体画問題がおこります。
6月美術団体「白馬会」を創立します。
黒田清輝画 「昔語り下絵(舞子)」1896年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
1897年 31歳
白馬会第2回展に「智・感・情」、「湖畔」を出品します。
黒田清輝画「智・感・情」1899年。
パリ万博博覧会に出品され、銀賞を受賞する。(1900年)
黒田清輝画「湖畔」1897年。
パリ万博博覧会にも出品された。(1900年)
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
黒田清輝画「野辺」1907年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
1911年 45歳
白馬会解散。
1912年 46歳
光風会創立。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
1917年 51歳
養父清綱子爵が亡くなります。
そして子爵の地位を清輝は受け継ぎます。
1920年 54歳
貴族員議員当選します。
1924年 58歳
亡くなります。
それまで裸婦像を公で見る機会が無かった日本。
黒田清輝が内国勧業博覧会で「朝妝」を出品すると「裸体問題」という論争が巻き起こったそうです。
フランスでは有名な公募展に入選まで果たしたすごい作品なのに、フランスと日本との違いに黒田さんも困ったことでしょう。
ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール サロン 入選
そして冒頭でも触れましたが、1900年には白馬会展にて展示された『裸体婦人像』
が警察によって咎められ、絵の下半分が布で覆われる「腰巻事件」が起きるのです。
出典:「新潮日本美術文庫27 黒田清輝」三輪英夫著、株式会社新潮社、1997年。
やっぱ公の場だと他の鑑賞者の目線もあって裸婦を目の前にするのが恥ずかしかったのでしょうか?表現もリアルなものだしなあ。
江戸時代にはもっと過激な春画をこっそりみて笑う文化があったのに…。
もっと違う要因があるのかもしれません。
個人的には「野辺」という作品が好きです。
フレッシュな色使いで、美しい女性の魅力が表現されてますし、なんか癒されますね。
(目にやさスイ)
黒田清輝の作品って「智・感・情」のような小難しい(表現が悪い)作品多いのかな?と思いきや、素直にきれいだなーと直感的に思わせてくれる作品の方が多いです。
意外。
「湖畔」も癒し系(?)の素敵な作品ですよね。
ちなみにモデルはその場でスカウトし、その後黒田清輝の奥様になったそうです。
まさにヴィーナス。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。