今日も生きてます。
西洋美術史で後世から評価されている画家は、最初は嘲笑され、受け入れられなかったこともあったようです。
日本の美術史ではあまりそういうの無いですよね。
笑われ続けても自分の信念を貫き通すのってすごいことです。
笑われたまま亡くなってしまう人もたくさんいるでしょう。
マネやセザンヌの場合は出身が裕福で、生涯親からの支援があったという点も大きいです。生活の心配がないと世間から評価とお金を得る必要がありません。
私が持っている本の中に、有名な巨匠101人の人生が紹介されている、「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」(早坂優子著、株式会社視覚デザイン研究所発行)という本を持っています。
読んでいると私なんぞは考えられないくらいわがままで自由な生き方をしています。もちろん幸せだったとはいいがたい生き方、無様な死に方をした人もいます。
生き方の多様性や価値観が受け入れられつつある現代ですが、巨匠たちはとっくに大昔から自分の価値観だけを信じて生きていたのです。
どんな人間も生きていていいんだなと思うと勇気づけられますね。
ということで今日も「画家の妻たち」(澤地久枝著、文藝春秋)から、巨匠を愛した妻を見ていきます。
ジャン=フランソワ・ミレー
(1814-1875)
田園風景と農民を崇高に描き、アメリカや日本でも人気になります。ミレー自身は政治的な主義はなかったようですが、当時の社会主義の風潮も作品の人気を後押ししました。
1814年
フランスのノルマンディー地方の農業を営む家に生まれます。
九人兄弟の長男です。
19歳
地元の近くの画家の下で修業します。
22歳
奨学金を得てパリの学校へ通い始めます。
26歳
サロン初入選。
27歳
一度実家に帰り、前市長の似顔絵を描きます。以前修行していた画家の先生に、美術の先生と作家をここでやらないかと勧められますが、これを断ります。
ポリーヌと結婚し、共にパリへ行きます。
30歳
貧困の中ポリーヌは亡くなってしまいます。
31歳
その後カトリーヌと出会います。
当時ミレーは売れる絵であるロココ調の画風の作品や、裸婦を多く描いていました。
34歳
「箕をふるう人」をサロンへ出品します。
35歳
政情不安と、パリでコレラが流行していたため、ミレーと彼女カトリーヌと子供たちはバルビゾンへ逃げます。
36歳
サロンに「種まく人」を出品します。
39歳
母が亡くなリます。
43歳
「落穂ひろい」を発表します。
批評家には理解されませんが、作品が売れ始めます。
45歳
「晩鐘」をサロンに出品します。
46歳
ベルギーの画商と契約します。
ここでようやく貧乏脱却します。
50歳
「羊飼いの少女」をサロンへ出品します。
53歳
パリ万博で絵が展示され、巨匠としての地位を確立されます。
59歳
注文も多くなるが、この頃より体調を崩します。
1875年
60歳で亡くなります。
ミレーの最初の奥さんはポーリーヌ・ヴィルジニー・オノです。
ミレーの友人の義妹で、婦人洋服店の娘でした。
結婚した時、ミレーは27歳、ポーリーヌは20歳でした。
結婚後、ミレーはパリに出ていきます。
ついていったポーリーヌを待っていたのは貧しい生活です。
パリでポーリーヌは結核を病み、亡くなってしまいます。
結婚生活は2年5か月で終わりました。ミレーはポーリーヌが亡くなった時期、生涯で最も苦しかったと回想しているようです。
美しい20ー23歳の娘に十分な暮らしをさせてあげられなかったことに罪悪感を抱えていたのかもしれません。
ミレーは二度結婚しています。
二度目に出会った女性はカトリーヌ・ヌメールです。
カトリーヌ・ヌメールはブルターニュ地方の貧しい農家の子供として生まれ、シェルブールで家政婦として働いていました。カトリーヌの父親は13歳の時に亡くなっています。
二人が出会ったときに、ミレーはポーリーヌを失ったばかりの30歳、カトリーヌは17歳でした。13歳違いです。驚きです。
結婚したのは出会ってからかなり後でした。
理由は祖母と母からの反対です。ミレーも農業を営む家でしたが、父親は人望も厚く、かなり格式の高いの家であったようです。
父親は早くから亡くなっていましたが、カトリーヌとの結婚をミレーの母や祖母は身分違いを理由に反対しました。
ミレーとカトリーヌの間には子供が9人生まれます。
二人が結婚したのは祖母がと母が亡くなったあとの1853年です。
画家の人生を見ていると、作品だけからはわからないその人のことがわかります。ミレーは巨匠としては珍しく(?)しっかりと責任感のある人であったのかなと思います。
地元で富裕層からの肖像画をこなす社交的な能力もあり、パリでは自分の好きではない画風ではあるが売れるという理由で裸婦やロココ調を描ける器量もあり、もちろん絵の才能もあり、画家としての野心もあったのだと思います。
こういう頭がしっかりした人は貧しい暮らしや厳しい批評は堪えただろうなあと勝手に推測。
二人目の妻であるカトリーヌはしっかり者であったようです。貧しい中、大家族とミレーをしっかり支えました。
個人的にあまりミレーの作品に興味がなかったので知らなかったのですが(私の目には感傷的すぎるように感じてしまう。)、肖像画が素敵ですね。
そして一説ではミレーの評価が上がったのは少し脚色されたミレーの伝記がヒットしたためとか…読んでみたいですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。