「気が付けば怖い絵画」ー描きこまれた死の気配ー
今日も生きてます。
BGMにラジオドラマ、怪談やオカルト話を好んで視聴しています。
ハウステンボスのお化け屋敷に入館三歩で引き返すほどびびりですが、興味はあります。人間の不思議です。(怖すぎる怖い話はオチの前に視聴中止!)
怖い話の中に「気が付くと怖い話」みたいなジャンルありますよね。
今日はそんな感じで「気が付くと怖い絵画特集」にしてみました。
難易度★☆☆☆ 怖い度★★☆☆ 悟り度★★★★
「画家ハンス・ブルクマイヤーとその妻アンナ」
ルーカス・フルテナーゲル画、1527年
怖いポイントがわかりますでしょうか?
夫婦の肖像画が描かれています。
2人とも何かを悟りきった表情。
鏡の中に写り込んでいるのは、夫婦2人の骸骨です。
怖いポイント:手鏡に写る二人の骸骨
鏡のふちには「これが私たちの真の姿だ」という意味の言葉が描かれています。
まるで死ぬことを予言しているようで不吉&不気味に感じます。もし私がこのような演出の肖像画を描かれたら、描いた画家に対して疑問を抱きます。
しかしこの作品は、描かれた夫婦が賢く、いずれ来る死を理解していることを称賛しているのです。
考え方はいろいろですね。
ちなみに描かれた旦那はドイツの画家&木版画家のハンス・ブルクマイヤー( 1473-1531)です。↓のような作品を残しています。
『フリードリヒ3世の肖像』ハンス・ブルクマイヤー画
難易度★★☆☆ 怖い度★★★☆
ジェネレーションギャップ★★★★
「聖ゲオルギウスと王女」
ピサネッロ画、1433‐1438
出典:「あやしいルネサンス」(池上英洋・深田真里亜著、東京美術)
描かれているのは題名にもある通り、聖ゲオルギウスと王女様です。聖ゲオルギウスは聖人で、ドラゴン退治の伝説があります。
聖ゲオルギウスが、街の人々を苦しめるドラゴンに生贄にされそうになる王女様を助け、ドラゴンも退治する(あと街の人々をキリスト教に改宗させる。)…というような伝説です。
以前このブログでも取り上げました。
この伝説はたくさんの作品のテーマになっていますが、ピサネッロの作品は、ピサネッロが生きた時代の風俗が良く反映されています。
王女の髪形や、騎士や貴族たちの衣装、馬がつけた装飾もみんな豪華で美しいです。後ろの方にはゴシック建築が立ち並び、この中で当時の貴族たちは華麗な宮廷生活をしていたことがうかがえます。
怖いポイント:2人のの絞首刑
しかしそんな中気になるのが2人の絞首刑です。
一応断っておきますが、聖ゲオルギウスの怪物退治の伝説の中に2人の絞首刑は全く関係ありません。
なぜ描きこまれているのかというと、当時の風俗として絞首刑が身近であったためとみるのが妥当でしょう。他の風俗も当時のものが描き込まれているので。
絞首刑が背景の一部として当たり前のように描きこまれるような時代…日本にもあったのかもしれませんですが、現代からすると怖いですね。
難易度★☆☆☆ 怖い度★★★☆ 謎度★★★★
『大使たち』
(『ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴの肖像』『外交官たち』とも呼ばれる)ハンス・ホルバイン画、1533年
この作品は有名ですね。
この作品は英国の王ヘンリー8世が注文して制作された作品です。
描かれている人について
左側に描かれているのは、フランスの外交官であるジャン・ド・ディンテヴィル(1504-1555)です。持っている剣の柄に名前と年齢が描き込まれています。
右側に描きこまれているのは、当時ラボォーレ(フランスの地区)の司教であったジョルジュ・ド・セルヴ (1508-1541)です。肘をかけている書物に名前と年齢が描き込まれています。
描かれている道具たち
2人の間には様々な物が描かれています。
天文学あるいは占星学のための天球儀
動物の図柄とラテン語で星座の名前が書かれています。
円筒状の日時計
4月11日か、8月15日を示していることがわかるらしい。私は日時計の見方はわかりません。
トルクエタム
中世の天文学用機器です。
地平座標、赤道座標、黄道座標という3種類の座標系の測定値の相互変換に用いられたそうです。
ヨーロッパの天文学者に広く用いられた天体観測器械
多面体の日時計
地球儀
“Kauffmanns Rechnung” (1527年)
ヨハン・ワルター作曲の讃美歌集
“Geystlich Gesangk Buchleyn” (1524年)
1本が切れてしまっているリュート
フルートのケースとおぼしきもの
キリストの磔刑像
カーテンの後ろに半ば隠れるように描かれている。
描きこまれた道具類は、数学・音楽・地理学・天文学のどれかに関係したものです。総括すると、描きこまれた道具たちは大使たちの高い教養や知性を示しています。
ここで怖いポイント。
怖いポイント:足元の骸骨
足元には明らかに違和感のあるものが描きこまれています。
左下から見ると頭蓋骨が姿を現します。
これはこんなに若くて可能性に満ちあふれていたとしても、死はいつ訪れるかわからない、死は常にそばにいるということをほのめかしています。
個人的な疑問なのですが、何故こんな違和感あるように骸骨を描き込んだのでしょうか?もっとさりげなく骸骨を入れることもできたはずです。
絵画を鑑賞する位置が左下からと固定されることが想定されていたのか…謎だな…
実際に見てみたい作品ですね。
難易度★★★★ 怖い度★★★★ エロス★★★★
「クピドとヴィーナス」
ヤコポ・ポントルモ画、1532‐1534
出典:「あやしいルネサンス」(池上英洋・深田真里亜著、東京美術)
この作品はミケランジェロの下絵をもとにヤコポ・ポントルモが描いたものです。
描かれているのは題名の通りクピドとヴィーナスです。たくましいヴィーナスに悩殺されそうな作品ですが、画面左側を見ていると、クピドの弓と仮面が描かれています。
怖いポイント:暗がりにある遺体
これはアドニスが描かれています。
アドニスはギリシア神話に出てくる女神に取り合われた美青年です。
ざっくりアドニスとヴィーナスのあらすじ
(アドニス誕生の経緯は略。)
ヴィーナスは生まれたばかりのアドニスを冥界の女王ペルセポネーに預けます。ペルセポネーはアドニスの美しさに心惹かれながら育てます。
そして少年に成長したアドニスを美と愛の女神ヴィーナスが迎えにやって来ます。ペルセポネーはアドニスをヴィーナスに渡したくない。ということで、2人の女神は争いになり、裁判所で審判されます。
その結果、1年の3分の1はアドニスはヴィーナスと過ごし、3分の1はペルセポネーと過ごし、残りの3分の1はアドニス自身の自由にさせるということとなります。
しかし、アドニスは自分の自由になる期間も、ヴィーナスと共に過ごすことを望みました。ペルセポネーはアドニスのこの態度に不満でした。
気に食わないペルセポネーはヴィーナスの恋人である軍神アレースに、
「あなたの恋人は、あなたを差し置いて、たかが人間に夢中になっている」
と告げ口をします。
これに腹を立てたアレースは、アドニスが大好きな狩りをしている最中、猪に化けて彼を殺してしまった。
ヴィーナスはアドーニスの死を、大変に悲しんだ。やがてアドーニスの流した血から、アネモネの花が咲いたという。
画に描きこまれている亡骸は、嫉妬に狂ったアレースに殺された美青年アドニスです。
愛や嫉妬に巻き込まれるとこうなってしまう…怖い結末です。
いかがでしたでしょうか?
個人的にはピサネッロの聖ゲオルギウスの作品が一番怖いです。
よく知ってる作品でも、画面の隅々まで観てみると新しい発見がありそうですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
中世フランス貴族 驚きの終活「トランジ」ー腐敗する自分の彫刻を墓標にしたわけとは?ー
今日も生きてます。
先日、用事で郵便局に行きました。待ち時間中に置かれているチラシを眺めていたのですが、その中に「終活」をサポートするサービスもありました。
老人ホーム・遺言相続・葬儀・お墓など…終活に関することなんでも相談に乗ってくれるというものです。個人的には全て自分で決められることなのでは…?と思いますが、多大な資産がある悩ましい人にとっては良いサービスなのかもしれません。
墓石の代わりに木を植える「樹木葬」、海に骨を散骨する「海洋散骨」など…価値観が多様化していると言われる現代ですが、亡くなった後どうするかも多様化しています。
本題とは関係ないのですが、葬儀について調べていたら面白い記事を見つけたので少し紹介します。
袈裟を着たロボット
株式会社ニッセイエコという会社が新しい葬儀のサービスを始めたそうです。
ニッセイエコのサービス紹介ページです。↓
リンク先のページからサービス内容を引用します。
■サービス内容
<ロボット導師>
ロボットの読経による、全く新しい弔事をご提案。菩提寺の無い方や、霊園や納骨堂を求めたい方、檀家制度にとらわれたくない方など、葬儀に関する様々なニーズに応えて生まれたのが、ロボット導師です。ご葬儀、法事法要、戒名授与などの場でご希望の宗派に合わせてどんな場所でも読経いたします。
<電子芳名帳>
今まで手書きで行われていた、芳名帳記入をIT化。ご葬家様の負担も減り、より葬儀自体に集中できるようになります。・いくらお香典が集まったかがタイムリーでわかるので帳場での作業が軽減されます。
・返礼品を参列者がその場で選択できます。
・最終的に様々なデザインの芳名帳に印刷が可能です。
<ネット葬儀サービス>
葬儀または法事をインターネットを介してライブ配信し、参加できない方にもスマホ等で疑似参列ができます。
総括すると、IT葬儀のサービスです。
お経を読んでくれるのは、袈裟を着たpepper君。YAHOOニュースに掲載された画像には、実際にお坊さん姿でお経を読むペッパー君がいました。
正直かわいかったです。(笑
芳名帳記入をもIT化、葬列のライブ配信など…これはやろうと思えば自分たちでもできそうな感じがしなくもないが。
ライブ配信なんかは遠方で来られない人にとってはありがたいかもしれませんね。
AIBOの葬式
出典:Category:Aibo - Wikimedia Commons
Bradhall71 - Brad Hall, パブリック・ドメイン,https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11147151による
千葉県いすみ市の日蓮宗光福寺では、2015年から「AIBOの葬式」が行われているそうです。AIBOとはソニーが発売した犬型のロボットです。
2018年には100台以上のAIBOが供養され、袈裟を着たAIBOがお題目を唱える演出も行われました。
なぜこのような葬式が行われるようになったかというと、2006年にソニーはAIBOの発売を中止し、それに伴い修理のサービスも2014年に打ち切られたことがきっかけです。
ソニーの元技術者たちが運営している電化製品の修理工房「ア・ファン」にはAIBOの修理依頼が寄せられましたが、必要な部品はもう生産していません。
そこで、他のAIBOから部品を寄贈してもらうことで修理していこうという話になります。そうすると、ドナーとなるAIBOは死んでしまうことになります。そこで光福寺の住職が協力してAIBOの葬儀を行われることになりました。
機械の葬儀⁉こう考えると、遠い未来にはロボットに住民権的なものも出てくるかもしれませんね。
しかしこれまでも人形や道具の供養など、日本では様々なものの供養があるので、受け入れやすいかもですね。
私も今のパソコンが故障してしまい、修復不可能になったら、供養したくなるかもしれません。
さて、現代の葬儀の価値観を見たところで、今日は14世紀フランスを中心に流行した墓標「トランジ」を取り上げます。
(少しショッキングな画像かもしれません。)
朽ち果てる自分を模した彫刻を墓標に!?「トランジ」
ベルギーの16世紀のトランジ。
"l’ome a moulons"(ちりぢりなる人間の意)と地元で呼ばれる。
Jean-Pol GRANDMONT - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0,https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=289697による
朽ち果てる身体に、虫が這いつくばっている…少し不気味な彫刻ですが、実は墓標です。しかもこの墓標をつくらせたのはお墓に入った本人というのだから驚きです。
「トランジ」は、14世紀フランスから始まり、中世からルネサンスの間ヨーロッパの貴族や枢機卿などの墓標に用いられました。墓標は、朽ちる過程の遺体の像やレリーフです。
12‐16世紀のフランス語で「transi」は死者について使う名詞であり、その動詞形のtransirは「死にゆく」「通り過ぎる」という意味で用いられました。
トランジを作ったのは富裕層です。多くは遺言状の中に「死後〇日経過した姿で制作してほしい」と指定されました。
出典:File:StMaryHL Ledger arnt Schinkel 1497-001.jpg - Wikimedia Commons
なぜにこのような自分の姿の彫刻を残したかというと、カトリック教の考え方が由来しているようです。
キリスト教で肉体の腐敗は罪の証です。(聖人の肉体は腐敗していないようだ。)
しかし、罪の証はまた告解の証でもありました。カトリックの教えでは、告解すると罪は軽くなります。なので墓標に罪の証&告解の証を表現することで、罪を軽くする目的がありました。
また、墓標に祈りを捧げてくれる人の罪も軽減する効果があると考えられていたようです。
高僧の墓碑では、傲慢の戒めや魂の救済のプロセスなど多数の警句やメッセージが込められました。死んでもなお、みんなを救済しようという意思が素晴らしいですね。
トランジの流行は14世紀の後半から16世紀までであり、ルネサンスの開花とともに消滅しました。
ルネ・ド・シャロンのトランジ
MOSSOT - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15584796により引用
自分の墓標作るほどのお金持ちも、亡くなると他の人間と同じように肉体が腐敗していくんだなーと思うと、この世の儚さ痛感しちゃいますね。
私がもし墓標作ってもらえるのであれば、全く似てなくていいから絶世の美女として彫ってほしいです。(墓参りに来てくれた人々の眼福になりたい。)
時代が変わると死に対する価値観も全く違うんですね。
現代は100年時代と言われて、50歳になってやっと折り返しじゃないですか。死を身近に感じることなかなかできないです。むしろどうやって自分の力で100年生き抜くか…そこの問題が大きすぎて、死後のことなんて考える余力がありません。
葬式はペッパー君で、骨は道路とかのコンクリに混ぜて使ってくれよ。と思ってしまいました。来世は立派な地縛霊としてデビューです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
赤ん坊が空を飛ぶ。不思議な子供が描かれたキリスト教絵画に癒されようー受胎告知、受難の聖母子、赤い智天使の聖母ー
今日も生きてます。
確定申告の季節ですね。
私は今年初めてe-taxを利用しました。カードを読み取る機械を購入する必要はありますが、申告書を印刷したり、封筒を準備したりする必要が無いので大変便利です。
オススメ。
これから時代は機械が利用されるようになるのだなと、実感です。(遅い)
機械に疎いタイプですが、面倒がらず今年は電子化できるものはどんどん電子化していこうと心に決めました。管理する物も減らして、必要なものを見極めて大事にしたいです。
さて、今日は不思議な表現で描かれた子供が登場するキリスト教絵画を見ていきます。
神から送り出された空飛ぶ赤ちゃん
「受胎告知」
マイスター・ベルトラム・フォン・ミンデン画、1379‐1383年
出典:「あやしいルネサンス」(池上英洋・深田真里亜著、東京美術)
「受胎告知」はキリスト教の聖書の中で出てくる場面の一つです。神の子であるイエス・キリストを身ごもった女性マリアが、天使からそのことを知らされる場面です。
レオナルド・ダ・ヴィンチやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティなど、超有名な画家たちも「受胎告知」の作品を残しています。
「受胎告知」
レオナルド・ダ・ヴィンチ - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=76613573により引用
「受胎告知」
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、1850年
マリマは処女のままキリストを身ごもったということになっています。このことを「処女懐胎」や「処女受胎」とも言われます。
マリアは一般人なので、天使が現れたことにびっくり、妊娠の話を聞いて仰天という感じでしょう。
シモーネ・マルティーニが描いた「受胎告知」には、突然現れた天使におもっきし疑惑の眼差しを向ける聖母マリアが描かれています。
「受胎告知」(部分)
シモーネ・マルティーニ画、1333年
マイスター・ベルトラム・フォン・ミンデンが描いた受胎告知をみてみると、話をする天使とマリアの頭上から十字架を背負った赤ん坊(イエス・キリスト?)が浮いています。
その背後には神的な存在が「それ、行ってこい」という感じで赤ん坊をマリアのもとに送り出しています。
「頼んだぞい…イエスよ…」 という神の心の声が聞こえてきそうです。(私だけ?)
意外に他の絵画で神様が赤ん坊を送り出している受胎告知の表現はみたことないです。この表現は聖書の中で「イエスは胎内に宿る前から人間として完璧であった」という文章をもとに描かれたようです。
しかしこの作品は批判にさらされてしまいます。(こんなにかわいい絵画なのに)
原因は「マリアはイエスに地上で生きるための材料を与えた」とする教義と矛盾しているからです。宗教会議でこの作品の表現は異端とされてしまいました。
私はキリスト教信仰者でもない上、おおらかな性格なので、「細かいこと良くね?」と思ってしまいますが、良くなく無いのです。
聖母マリアのもとに集う、小さな子供たち
「聖母子(受難の聖母)」
カルロ・クリヴェッリ画、1460年
出典:「あやしいルネサンス」(池上英洋・深田真里亜著、東京美術)
真ん中で手を合わせる女性は聖母マリアです。
すぐ傍らにいるのは幼子キリスト。
台の上には何故か小さく描かれた子供たちが何人も描かれています。
それぞれ何か持っていますね。
これはキリストの受難を象徴するシンボルたちです。
このようなモチーフは、イエスの受難による人類救済を示すため、聖母子像が描かれた絵画と組み合わされることが多いようです。
手を合わせるマリアはクールな表情をしていますが、子供たちの顔はバリエーションに富んでいて、一人一人見ていくのが楽しいです。
青空に映える赤い天使⁉
「赤い智天使の聖母」
ジョヴァンニ・ベッリーニ画
出典:「あやしいルネサンス」(池上英洋・深田真里亜著、東京美術)
頭の後ろに光輪がある聖母マリアとキリストが描かれています。
幼子キリストの視線は空に注がれているようにも見えます。
その空を見てみると、なんと赤い赤ん坊の顔が浮かんでいます。しかし翼が生えているので天使ですね。
私たちの天使のイメージは背中に翼を生やしているイメージですよね。
『エジプトへの逃避途上の休息』
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ画、1597年頃
出典:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ - Wikipedia
私の好きな作品の一枚です↑
キリスト教の天使には階級が存在し、天使によって姿かたちが変わります。上位の天使は意外に身体をもっていない姿をしています。
上位三隊 「父」の階層
中位三隊 「子」の階層
下位三隊 「聖霊」の階層
権天使(権勢)
大天使
天使
赤い天使が描かれた聖母子像の題名は「赤い智天使の聖母」です。描かれているのは「赤い智天使」ということです。
赤い智天使はケルビムともいわれ、天使の中では位の高い存在です。
中世絵画に描かれた智天使
どんな天使かというと、「旧約聖書」の中でエデンの園にある生命の木を守り、ソロモン神殿の贖いの座を翼を守ると言われています。
その姿は身体は無く、頭と首に翼を持った姿で表現されます。そして聖書の中でケルビムは「燃える炭火の輝くよう」と形容されているため、灼熱の愛を示す赤一色で描かれることもあります。
そのため聖母子像の中で、空に浮かぶ赤ちゃんの顔が真っ赤に描かれています。異様な存在ですが、絵の中ではうまくまとまってますよね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
頭から石が出てきた!愚者の石とは?ーオランダで流行した不思議な手術風景を描いた絵画ー
今日も生きてます。
『賢者の石を探す錬金術師』
ジョセフ・ライト ジョセフ・ライト画、1771年
ハリーポッターの映画が好きです
個人的には第一作目「ハリーポッターと賢者の石」がワクワク感があって一番好きです。「賢者の石」というものの存在を知ったのはハリーポッターがきっかけです。
もともと「賢者の石」というのは中世ヨーロッパの錬金術師が、金ではない金属を「金」に変えることができると考えられたものです。その後、不老不死を与える力があるとも考えられるようになります。
愚者の石とは?
「賢者」の石があれば「愚者」も石もあるのか?ということで、ネーデルラントでは、中世から17世紀にわたって、頭の中の小石が大きく成長すると愚かになる、という伝承がありました。ネーデルランドの言葉で「愚か」という意味の言い回しに「頭に小石を持つ」というものがあったそうです。そして石を切除するのは錯乱状態や痴呆などの治療とみられていました。
1571年には実際に手術された記録が残っているそうです。(怖い)
医療や科学が現代ほど進んでいなかった時代はやぶ医者も多く活躍しました。その現実を反映するかのように、絵画の画題にも藪医者(?)が活躍する怪しい手術を取り扱ったものがでてきます。そしてその中に「愚者の石」を取り除く手術を描いたものもあります。
愚者の石を取り除く手術風景を描いた作品を見ていきましょう。
「外科手術(愚者の石の切除)」
ヤン・サンデルス・ファン・ヘメッセン画、1550‐1555
出典:Jan Sanders van Hemessen - Wikipedia
人の頭の中にメスを入れる難しい手術を楽しそうにする担当医怖すぎますね。
助手(?)もあくびをしています。
奥の女性は偽薬でも調合しているのでしょうか。
頭から石を取り除かれている患者は鑑賞者である私たちに助けを求めているようにも見えます。暴れないように身体を椅子に縛り付けられていますね。
「愚者の石の切除」
Pieter Quast画、1630年頃
出典:Category:Pieter Jansz. Quast - Wikimedia Commons
お医者さんのメスを構えるポーズが面白いですね。
助手二人は心配そうに成り行きを見守っていますね。
(※個人的解釈です。)
後ろ二人は手術を待っている人でしょうか?
「思ったよりも痛ぇえええ!!!!」という心の叫びが聞こえてきそうないい表情の患者さんです。
「愚者の石の切除」
Marcellus Coffermans画、1552-1600頃
出典:Category:Marcellus Coffermans - Wikimedia Commons
先ほどの二点の絵画と違ってこの作品に描かれた人物たちは、クールな表情をしています。
後ろの人々は取り出した石からを手に何か話し合っています。
というか一番後ろで鋭利な長いサムシングを持っている人怖いですね。頭にはちまきをまいてもらって何かをやる気満々です。
お医者さんは厚底靴を履いて淡々とメスを入れています。
患者さんは「痛くナーイ」という余裕なお顔です・
賢者の石は有名ですが「愚者の石」もあったなんて驚きです。実際にその迷信をもとに手術が行われたのはさらに驚き。
現代でも未来人にはびっくりの迷信がたくさんあるんだろうな。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考:
「あやしいルネサンス」(池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)
なぜ乳首をつまんでいるのか?魅力と謎あふれる浴槽の女性の絵画「ガブリエル・デストレとその姉妹」解説
今日も生きてます。
今日は節分ですね。季節の行事に疎い私ですが、お刺身は大好きなので恵方巻は美味しそうなものを奮発して買おうと思います♪
節分というと福は内、鬼は外、と豆を鬼に投げつける風習がありますが、以前フランス人の方が節分の風習を知った時に、「鬼…ワイフに投げるんだね!!!!」的なことを英語で言っていた場面に遭遇し、本当に外国人って洋画に出てくるアメリカンジョークみたいなこと日常でいうんだな~と思ったことがあります。
さて、今日は16世紀に描かれた「ガブリエル・デストレとその姉妹」という作品を見ていきます。
おめでたい!愛人の懐妊記念絵画
「ガブリエル・デストレとその姉妹」
作者不明(フォンテーヌブロー派の作家) 1594年頃
タイトルは『ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像』 とも『浴槽の2人の女』とも呼ばれるそうです。
上の作品はフランス王アンリ4世の愛人であるガブリエル・デストレが描かれています。乳首をつままれている方がガブリエル・デストレです。
ガブリエル・デストレ
左側の女性のモデルはガブリエルの妹であるビヤール公爵夫人または、バラニー元帥夫人であると考えられています。
ビヤール公爵夫人または、バラニー元帥夫人
フランス王アンリ4世の愛人であるガブリエル・デストレは絶世の美女であり、かつ聡明で知的な女性であったそうです。
「ガブリエル・デストレ」作者不明
「Henry IV, King of France in Armour」フランス・ポルビュス 画
出典:File:Henry IV of france by pourbous younger.jpg - Wikimedia Commons
「ガブリエル・デストレとその姉妹」の中で二人の女性がしている謎行為、乳首をつまむしぐさは、初乳をうながす行為です。
この絵画は愛人のガブリエル・デストレが長男を懐妊したこと描いた作品です。子どもを多く産むことができる女性であることを示唆しているとする見解もあるようです。
暖炉の上に飾られている絵画は男女が戯れているもの。
絵画の下にある暖炉の炎は王とガブリエルの愛情と情欲の証
奥で何かを編んでいる女性はやがて産まれる子供のために編み物をしている女官です。
よく見ると、描かれたガブリエル・デストレは左手で指輪をつまんでいます。
このしぐさは、王と結婚することを望んでいるという自らの意思を表しているともいわれています。
2人の女性が入っているバスタブは、寒さを防ぐために光沢のある赤いシルクのカーテンで覆われており、バスタブの中にも、大理石の冷たさを和らげるために薄い布が敷かれています。
描かれたガブリエル・デストレは、フランス王アンリ4世の愛人でしたが、相当気に入られていたようです。アンリ4世との子供を3人産んでいます。
そのころアンリ4世には正妻マルグリット・ド・ヴァロワもいましたが、政略結婚であったこともあり、夫婦の仲は冷え切っていて子供もいませんでした。それぞれが多数の愛人を囲っていたそうです。
マルグリット・ド・ヴァロワ、レーヌ・ド・ナバール
(ヴァロワのマルグリット、ナバラの女王) フランソワ・クルーエ画、16世紀
出典:File:Margot.JPG - Wikimedia Commons
1599年、アンリ4世はガブリエルとの再婚をしたいとマジで考え、教皇庁に現在の妻であるマルグリットとの結婚の無効を申請します。
しかしガブリエル・デストレは突如として重病にかかり、4人目の子供である男児を死産します。ガブリエルは26歳の若さで亡くなってしまいました。
フォンテーヌブロー派とは?
「A Lady in Her Bath」
フランソワ・クルーエ 画1571年
出典:File:François Clouet - Diane de Poitiers - WGA5071.jpg - Wikimedia Commons
「ガブリエルh・デストレとその姉妹」の作者を見てみると、「フォンテーヌブロー派の画家」と記されています。
フォンテーヌブロー派とは何かというと、フランス・ルネサンス期に宮廷で活躍した画家のグループです。
もともとのきっかけは、フランソワ1世がフォンテーヌブロー城にレオナルド・ダ・ヴィンチなどの有名なアーティストたちを招いたことです。
そして招かれた作家たちにより形成されていった派閥をフォンテーヌブロー派です。フランス近代美術の起点となりました。
フランソワ1世(フランス王)
ジャン・クルーエ画
出典:File:Francis1-1.jpg - Wikimedia Commons
フォンテーヌブロー派には名前が残っていない画家もおり、「ガブリエル・デストレとその姉妹」を描いた作家も名前が残っていません。しかしこの作品は有名で様々引用されているようです。
匿名の画家、1600年から1625年
「Dam vid sitt toalettbord」
フランソワ・クルーエ (1510–1572) 1559年頃
出典:Category:École de Fontainebleau - Wikimedia Commons
School of Fontainebleau master
出典:File:Gabrielled'EstreeswithaSister.jpg - Wikimedia Commons
フォンテーヌブロー派の画家、女性の肖像画
出典:Category:École de Fontainebleau - Wikimedia Commons
最後の作品は乳首の描写に違和感(笑)
フォンテーヌブロー派の画家は身体の表現が現実に忠実というよりは、デフォルメされていますよね。
それは美術の様式の中では16世紀のイタリアにあった「マニエリスム」という様式の特徴でもあります。身体を引き伸ばしような表現が特徴の一つです。
最初フランソワ1世が招いたイタリアの画家たちに、マニエリスムの様式で表現していた作家がいました。なのでそのアーティストたちをきっかけに形成されていったフォンテーヌブロー派も、フランスでその特徴を受け継いでいます。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考:
「あやしいルネサンス」(池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)
【悪の芸術】西洋美術は敵をどう描いたか。ー異教徒、アンチ・キリスト、裏切り者ユダー
今日も生きています。
前回はキリスト教の聖人「聖ゲオルギウス」の竜退治の伝説を描いた作品を取り上げました。現実には存在しないドラゴンという悪者を、画家は気持ち悪く不気味に表現していましたね。
今日は引き続き西洋美術の中の悪役の表現を見てきます。
前回のブログ↓
ワルイ敵は、徹底的に悪く描く
「我は教皇也」1500年頃
出典:アレクサンデル6世 (ローマ教皇) - Wikipedia
上の風刺画は教皇アレクサンドル6世を描いた風刺画です。
教皇なのにまるで悪魔のようです。
描き手がどれだけこの教皇を嫌っているかがわかります。
教皇アレクサンドル6世の肖像
クリストフアーノ・デッラ・アルティッシモ画(1525-1605)
他の作家が描いた肖像画を見てみると、風刺画とはあまり似ていないですね。
(似ていたら大変だ)
教皇アレクサンドル6世は15世紀の教皇です。(在位:1492年 - 1503年)
当時の高位聖職者のモラルは落ちきっていたようです。そして教皇アレクサンドル6世も世俗的で強欲な教皇でした。加えて当時ローマの情勢はひどかったようで、教皇庁は華やかに暮らしていましたが、街にはならず者や暗殺者、売春婦、情報屋などが歩き回り、殺人や強盗は日常茶飯事でありました。
教皇に対して反抗心を持つものも多くいました。最初の風刺画は、そんな教皇やカトリックに反抗心を持つプロテスタント勢力が描いた版画です。
「アンチ・キリストの説教」
ルカ・シニョッリ画、1499年ー1502年
出典:「あやしいルネサンス」(池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)
広場に人々が集まりただらなぬ雰囲気です。
あちこちで人が倒れ、混乱が生じています。
前の方で台の上に立ち、集まる人々に説教している人がいます。角が生えているし、すぐそばの耳元で悪魔がささやいています。
これは題名にはありませんが、モデルとなっている人がいます。それはジロラモ・サヴォナローラです。
ジローラモ・サヴォナローラと推定されるドミニカ人の肖像
ブレシア ・モレット画、1524年
出典:File:Portrait of Girolamo Savonarola 1524.jpg - Wikimedia Commons
肖像画を見ると角は生えてなかったようです。
ジロラモ・サヴォナローラ( 1452-1498)は、ドミニコ会修道士でフィレンツェで神権政治を行った人です。
フィレンツェのサン・マルコ修道院の修道院長となると、説教壇からフィレンツェの腐敗ぶりやメディチ家による実質的な独裁体制を批判し、信仰に立ち返るよう訴え、広く民衆の支持を集めます。
次第に教皇国を批判し、1497年には教皇アレクサンデル6世から破門されます。贅沢品として工芸品や美術品をシニョリーア広場に集め焼却するという「虚栄の焼却」も行われ、市民生活は殺伐としたものになりました。
1498年4月8日、サン・マルコ修道院に暴徒と化した市民が押し寄せ、ついに共和国もサヴォナローラを拘束します。激しい拷問を受けたサヴォナローラは、絞首刑ののち火刑に処され殉教しました。遺骨はアルノ川に捨てられました。
「アンチ・キリストの説教」の中には、「虚栄の焼却」と思われる描写や、暴徒と化した市民が描かれています。サヴォナローラに敵対する勢力が描いた絵画です。
ちなみに19世紀の歴史画家が同じ場面を描いた作品があります。
「Predigt Savonarolas」
Ludwig von Langenmantel画、1879
出典:Ludwig von Langenmantel – Wikipedia
当時敵対する勢力が描いたものとは違いますね。
アレクサンドル6世も、サヴォナローラも、敵対する勢力が描いた図像は、敵を悪く表現してやれ~!!!!というような感じで、どちちらも悪魔のような姿で描かれてますね。
裏切り者には残酷な最期を
イエスを裏切ったユダの死
首を吊るユダ
出典:File:Judas hangs himself. Gelati fresco.JPG - Wikimedia Commons
イエス・キリストの弟子の中での裏切り者として有名な「ユダ」。
最後の晩餐を描いた作品で描かれているイメージが強いかもしれません。
「最後の晩餐」
レオナルドダヴィンチ画
出典:Category:Last Supper - Wikimedia Commons
手前で少し色黒なのがユダ↑
銀貨30枚でキリストをユダヤの祭司に売り渡したユダですが、ユダがその後どうなっていったのかはあまり知られてませんよね。「マタイ福音書」と「使徒言行録」にユダがどうなったか書かれているようです。
『マタイ福音書』
ユダは自らの行いを悔いて、祭司長たちから受け取った銀貨を神殿に投げ込み、首を吊って自殺したことになっています。
『使徒言行録』
ユダは裏切りで得た金で買った土地に真っ逆様に落ちて、内臓がすべて飛び出して死んだことになっています。
ユダの最後を描いたイメージを見てみましょう。
ぶら下がっているユダ
Cathedral of Saint Lazarus of Autun(フランスの大聖堂)
出典:Judas Iscariot - Wikimedia Commons
「ユダの自殺」
ジョヴァンニ・カナヴェージオ画、1491年。
出典:「あやしいルネサンス」(池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)
首をつって自殺するユダ。
その周りには悪魔が控え、魂を地獄に持っていこうとしています。ジョヴァンニ・カナヴェージオが描くユダは、内臓が飛び出てとても悲惨な姿で表現されています。自殺を思いとどまらせる効用がありそうなインパクトのある絵ですね。
キリスト教の聖書や聖人を描いた作品は、美しいものもたくさんありますが、悪者を表現するときには手加減ナシで、気持ち悪かったり、グロテスクだったりするものもありますね。
異教徒はとにかく野蛮に描く
聖ウルスラの創作話
「聖ウルスラと11000人の処女の殉教」
聖ウルスラ伝の画家1480ー1500
出典:「あやしいルネサンス」(池上英洋さん、深田真里亜さん著、東京美術)
聖ウルスラは 中世以来、実在した聖女と信じられて信仰されていましたが、今ではいなかったのではないかという疑問の方が強いそうです。
聖ウルスラには有名な伝説があります。
ウルスラはイギリス王の娘(四~五世紀頃)で、異教国の王子の求婚されます。
この求婚に対してウルスラは条件を出します。
キリスト教に改宗すること。
一万一千人の侍女をつれてローマ巡礼に三年間行くこと。
これを王子は承諾して二人は結婚します。
約束は実行され、たくさんの侍女を連れて巡礼にも行きました。
しかしその帰りのケルンで、一行はフン族に襲われてしまいます。従う侍女たちは全員虐殺されてしまいました。そしてフン族の首長がウルスラを弓で射殺し、ウルスラは殉教しました。
絵の中ではキリスト教徒が無残に異教徒に虐殺されています。リアルな表現が鑑賞者の心に異教徒の怖さ、野蛮さを植え付けますね。
でも実際は創作のお話であった可能性が高いようです。根拠のないワルイ異教徒のイメージが広がってしまうお話です。
聖ウルスラが描かれた絵画
ハンス・メムリンク 画、1433年頃
西洋美術の名画は基本的にキリスト教の聖書や関するものを描いた作品が多いです。その昔絵画が必要とされたのは教会であったことを考えると必然的なことです。
美しい女性やかっこいい場面が描かれた作品は、キリスト教徒でなくても心躍ります。
しかしあまり着目されませんが、「敵」(のような存在)を描いた作品の表現は本当に容赦ないです。とにかく悪く。不気味に。そういう作品観ると気持ち悪いなあと心は動きます。
宗教の絵画は広い意味で見れば布教の目的で制作されていますので、こうやって絵を見て心が動かされることは、依頼主の思惑通りなのかなと思います。
何百年も前に描かれた傑作が、現在まで布教的な効力を発揮しているところがすごいです。神の力ですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
【悪の芸術】絵画は悪者をどう表現するか?ー「聖ゲオルギウスと竜」に描かれたドラゴンたちを見てみようー
今日も生きてます。
前々回あたりから物語に登場する架空の生き物たちを、画家たちがどう試行錯誤(イメージ)して描いてきたか取り上げてきました。
前回までのブログ↓
其の一
楽園にいる手足のある蛇の謎ー見えないものをどう描くか?画家の試行錯誤の結晶(作品)①ー
其の二
とにかく不気味な怪物たち
伝説の中にはヒーローが出てきて悪者をやっつけるという英雄譚があります。
正義のヒーローはとにかくかっこよく描写されますが、それは悪者も同じで、退治される敵はとにか不気味にくキモく盛られて表現されます。
今日は、より「悪く」表現されたキャラクター達を取り上げます。
「聖ゲオルギウスとドラゴン」
ベルナ・マルトレル画 1434ー35年
画面の中央でカッコよくドラゴンを退治する騎士は、キリスト教の聖人「聖ゲオルギウス」です。怪物退治の伝説が有名な古代ローマ末期の殉教者です。
言い伝えでは3世紀後半にパレスチナのキリスト教徒の家庭に生まれた軍人でした。
302年にローマ皇帝が「ローマ軍のキリスト教徒をすべて逮捕してローマの神々に捧げなければならない」と政令を出したため、ゲオルギウスは逮捕されて棄教を強要されるますが、棄教せずに殉教しました。
絵画に描かれているのは聖ゲオルギウスが怪物退治をした逸話を描いたものです。
聖ゲオルギウスの怪物退治
舞台はリビアのシレーネ。
住人たちには近くの池を住処にし、田園地帯を汚染する毒を吐くドラゴンに悩んでいました。
人々はドラゴンに毎日2頭の羊と、男と羊、そして最後にくじで選ばれた子供と若者を生贄に差し出していました。
あるときくじで王の娘が選ばれてしまいます。
王はの金銀と引き換えに王女の身代わりとなってくれる人を探しましたが、そんな人いるわけもなく王女はドラゴンの餌となるために花嫁衣装をまとって湖に送られました。
そこに通りかかった聖ゲオルギオス。
ドラゴンが池から現れると、聖ゲオルギオスは十字を切ったあと、馬に乗ってドラゴンに突進し、槍でやっつけます。そして王女に腰帯を投げるように言い、それをドラゴンの首にかけるとドラゴンはおとなしくなりました。
聖ゲオルギウスは王女とドラゴンを連れて街に行きます。
街の人々は戦々恐々です。
そこで聖ゲオルギオスはキリスト教徒になるのであれば洗礼ドラゴンを殺すことを申し出ます。シレーネの街の住人と王は1万5000人がキリスト教に改宗しました。
その後、聖ゲオルギウスは剣でドラゴンの首を斬り落して殺し、ドラゴンの遺体を4頭の牛車に乗せて街から運び出しました。
王はドラゴンが死んだ場所に聖母マリアと聖ゲオルギオスの教会を建設すると、祭壇から泉がこんこんと湧き出て、その水はすべての病気を治癒しました。
ドラゴンを脅迫の道具にして改宗を強要した聖ゲオルギウス、すごい。
しかも大成功。
ベルナ・マルトレルが描いた絵に戻ります。
後ろの女性は王女、その後ろに広がる風景はシレーネの城や町が描かれています。ドラゴンや白馬の足元に散らばる骨は今まで生贄にされた犠牲者のものでしょう。
鎧の姿で華麗に表現されている聖ゲオルギウスと白くて美しい白馬とは対照的に、悪者であるドラゴンはどちらかというと不気味に表現されています。
ゲームの影響かもしれませんが、個人的にドラゴンはカッコよくて強いイメージありましたが、悪役のドラゴンとなるとそういう表現はされないようです。
この伝説は古くから絵や壁画の題材になっているので、他の作家がどのようにドラゴンを表現しているのか見てみましょう。
聖テオドロスと聖ゲオルギオス(9世紀または10世紀)
足元に退治されるドラゴンが描かれています。
蛇っぽい外見で、翼は無いようです。
聖ゲオルギウスと竜が描かれたフレスコ画
ドイツの自治体アンカースハーゲン、13世紀
竜よりも聖ゲオルギウスのお顔が気になる作品。
かわいらしいお顔だなあ…すきだ。
竜は細長い姿で描かれています。
聖ゲオルギウスが描かれたイコン
芸術が栄えたノヴゴロド公国、14世紀
身体の部分があまり詳しく描きこまれていない怪物。なんかぷにぷにしてそうな身体ですね。現代の感覚だとこの生き物はドラゴンと認識しにくいですね。
聖ゲオルギウスがまとっている鎧の細部は結構細かく描きこまれていますが、ドラゴンにあまり力がそそがれていないようにも思います。
七宝焼の聖ゲオルギオスのイコン
グレシア(ジョージア)、15世紀
竜の表現には珍しいカラフルな体の表現です。
絵画ではなくて七宝焼きだからかもしれません。
ミニアチュールに描かれた聖ゲオルギウスと竜
オーストリア、1477年頃
出典:File:Stundenbuch der Maria von Burgund Wien cod. 1857 Heiliger Georg.jpg - Wikimedia Commons
ミニアチュールとは本の写本などに施された挿絵や、小さな絵画に対して使用される言葉です。上の作品は挿絵です。
小さいながらも細かく描きこまれてすごいです。ドラゴンも蛇というより、翼の生えた怪物という現代のイメージに近いです。
ミニアチュールに描かれた聖ゲオルギウスと竜
オランダ、1460年ごろ
出典:File:15th-century painters - Folio of a Breviary - WGA15805.jpg - Wikimedia Commons
こちらもミニアチュールの挿絵に描かれた聖ゲオルギウスと竜です。
先ほどのドラゴンよりも質感などに不気味さが増しています。
Saint George and the Dragon. Russian icon
Anonymous Russian icon painter画(1500年頃)
ロシア北部のイコンです。
聖ゲオルギウスと退治される竜が描かれています。
太い蛇に翼が生えたような姿ですね。体には斑点のような模様が描かれています。
『アングレーム伯シャルルの時祷書』のミニアチュール
コニャック(1475年–1500年)
毛が生えた長い耳、体の棘、ぼつぼつの皮膚…ゲテモノというか、気持ち悪さがよく表現されたドラゴンです。全体的に細かく描かれていますが、ドラゴンのしっぽの先までぼつぼつが描かれているところに作者の几帳面さや主義を感じます。
『聖ゲオルギウスと竜』
油彩は細密な表現ができるので、ドラゴンが生々しく表現されています。微妙に長い首に黒いからだ。水かきのある手足…気持ち悪いですね。
実際いないのに変にリアル。
『馬上の聖ゲオルギウス』
Circle of Lucas Cranach the Elder、1512年
飛び出た目玉、肌の質感、腹部の謎の突起…私たち人間が生理的に嫌悪してしまうようなものを集めたようなドラゴンです。
血も流れていてちょいとグロテスクです。
『偉大なる聖ゲオルギウス』
ギリス・コイグネット画、1581年
この作品の怪物も気持ち悪いですね。
気持ち悪い表現ですが、肌の質感まで細かく描かれていることや、ドラゴンのそれぞれの部位まできちんと気が配られていて、画家の愛は注がれている気がします。
それよりこの作品は聖ゲオルギウスの顔が描かれていないのが気になります。鎧も盾でほとんど隠れているし。
白馬と王女(裸)が一番目立つ構図ですよね。
『ドラゴンに勝利した聖ゲオルギウス』
マティア・プレティ画、1678年
描かれている面積は少ないものの、一目見たときの気持ち悪さのショックは大きいです。
時代が進んで細かく描写できる画材が発明されると、ドラゴンの気持ち悪さがどんどん誇張されていったように感じます。
聖ゲオルギウスはキリスト教の聖人なので、絵画には信者に示す「教え」としての役割もあったと思います。そういう場合、退治されるべき「悪者」は視覚的に「悪く」表現される必要があったのかなと思います。
聖ゲオルギウスが子猫や子犬のようなかわいらしいものを倒していたら、鑑賞者はもしかしたら子猫子犬に感情移入してしまうかもしれません。
しかしドラゴンを実際に観察して描くことは不可能です。作品によって画家が思う「ワルイ奴」「悪者」が描かれています。
肌の質感や、体の色や模様、ドラゴンの顔の表情など…描かれた不気味なイメージを見ると、こういうものが人間にとって気持ち悪いという感情を引き起こすものなんだなあとしみじみ(?)してしまいました。
すこし長くなってしまいました。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。