リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

絵筆を選んだサムライの人生ー高橋由一⑦

今日も生きてます。

 

菅さんが総理大臣になったら、私のふるさと秋田出身者初の総理大臣になるのでは…!

と、同郷ということだけで親近感が湧いています。

(田舎者は同郷の人間をすぐ仲間だと思う、そういうものなんです。)

 

ちなみに、クレヨンしんちゃんのおとうさん「野原ひろし」も秋田県出身という設定です。

 

 

さて、高橋由一についてみてきました。

 

刀より絵筆を選んだサムライー高橋由一(たかはしゆいち)ー - リアル絵描き日記

絵筆を選んだサムライ高橋由一の人生② - リアル絵描き日記

絵筆を選んだサムライ高橋由一の人生③ - リアル絵描き日記

絵筆を選んだサムライ。高橋由一④ - リアル絵描き日記

日本一の「鮭」を知る。絵筆を選んだサムライ高橋由一⑤ - リアル絵描き日記

高橋由一VSフェノロサ?! 絵筆を選んだサムライ高橋由一⑥ - リアル絵描き日記

 

今日はとうとう最終回です。

 

今までの復習もかねて簡単に高橋由一の略歴を確認します。

 

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不明 - [1] Mie Prefectural Museum of Art, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8904234により引用

1828年

下野国佐野藩の江戸藩邸にて生まれる。

 

1839年 12歳

狩野派の絵師に師事する。

 

1847年 20歳

広尾稲荷神社拝殿天井に「墨龍図」を描く。

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Takahashi Yuichi (1828-1894) - http://www.lib.city.minato.tokyo.jp/muse/j/bunkazai/bunkazai.cgi?id=5125, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33562824により引用

1848年 21歳

洋製石版画に感動する。

 

1858年 31歳

長男誕生。

 

1862年 35歳

洋書調所画学局に入局する。

 

1863年 36歳

長女誕生。

 

1866年 39歳

ワーグマンに師事する。

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1861年イラストレイテド・ロンドン・ニュース紙に掲載されたワーグマンのイラスト。

不明 - The Illustrated London News, 1861., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2183464により引用

 

1868年 41歳

江戸が東京に改称。

脱藩する。

 

1871年 44歳

2月に民部省寺院小属になるも5月すぐに退職する。

12月に南校の教官になる。

 

1872年 45歳

三女が誕生。

「花魁」「富岳大図」を制作する。

東海道に取材旅行をする。

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Takahashi Yuichi - Catalogue, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28998713により引用

 

 

1873年 46歳

ウィーン万博に「旧江戸城之図」「国府台真景図」が出品される。

画塾「天絵社」を創設する。

 

1877年 50歳

第1回内国勧業博覧会にて「甲冑図」「東京十二景」「不二山遠望ノ図」を出品。

賞を受賞する。

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Takahashi Yuichi (1828-1894) - http://salonofvertigo.blogspot.co.uk/2012/06/blog-post_30.html http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/catalogue/takahashi/kaisetsu.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33564947により引用

 

1879年 52歳

金刀比羅宮で開催される「琴平山博覧会」に37点出品する。

うち35点を奉納し、200円を受領する。

(フェノロサが画塾「天絵学舎」に訪れる。)

 

1881年 54歳

金策が難航する。

山形県令の委嘱により、東北地方の記録制作旅行に出る。

栗子隧道図」山形市街図」「宮城県庁門前図」「松島図」を制作。

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山形市街図

高橋由一 - 山形県所蔵, パブリック・ドメイン, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=3225177により引用

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宮城県庁門前図

Takahashi Yuichi (1828-1894) - http://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/mmoa-collect005.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28858486により引用

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松島図

Takahashi Yuichi (1828-1894) - http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/siteibunkazai/miyagi-no-bunkazai/02Kaiga/ken/04matusima.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28858371により引用

1884年 57歳

天絵学舎が廃校になる。

栃木県令の依頼で東北を取材旅行する。

 

1885年 58歳

「鑿道八景」(さくどうはっけい)の制作をする。

石版画「東北三県風景画シリーズ」の完成。

 

1887年 60歳

山形を旅行し、地元の富豪の肖像画を制作する。

 

1891年 64歳

岐阜県の有力者と共、天皇皇后両陛下に献納するため長良川鵜飼図」「養老瀑布」を制作するが、地震により中止になる。

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長良川鵜飼図

Takahashi Yuichi (1828-1894) - http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0041129, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33563576により引用

1893年 66歳

洋画普及の功績が認められ、賞勲局より銀盃を下賜される。

「洋画沿革展覧会」開催する。

 

1894年 67歳

亡くなる。

 

 

 

 

 

 〇由一と東北

由一は江戸生まれですが、東北の風景を描いた作品をたくさん残しています。

 

これは金刀比羅宮で資金援助の助成をしてくれた高崎正風が、当時東北地域の県令であった三島通庸に由一を紹介したからです。

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三島 通庸(みしま みちつね)

不明 - 個人の所有物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=65323364により引用

三島通庸は当時ぐいぐい土木工事を進めていたようで、記録の意味を込めて高橋由一に仕事を依頼していたようです。鬼県令って呼ばれてたんですって。

 

「鑿道八景」

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第一景 三川橋

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第二景 栗子山隧道

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第三景 片洞門

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第四景 関山隧道

 

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第五景 ヘツリ岩(ヘツリはやまへんに弗)

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第六景 大峠

 

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第七景 男鹿川橋

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第八景 三島牧場

栗子山トンネル開通式に明治天皇が臨席され、御休憩所に由一の油絵の作品が飾られていました。そして絵をご覧になった陛下が、そのうちの一枚を献ずるように命じられたそうです。

由一にとっては大変な名誉でした。

 

 

 

 

〇「洋画沿革展覧会」開催

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髙橋由一像 原田直次郎筆

 

Harada Naojirō (1863-1899) - http://jmapps.ne.jp/geidai/det.html?data_id=4279, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=46678114により引用

↑は会場に掲げられた由一の弟子が描いた由一の肖像。めちゃくちゃうまいですね。

 

晩年床に臥せた高橋由一の功績をたたえるように、息子や弟子たちが展覧会を企画します。高橋由一はこの展覧会のために2枚の作品を描き、その作品を朝廷に献上します。

 

このことがきっかけにもなり、高橋由一の洋画普及の長年の功績が認められ、銀盃を下賜されました。

 

 

〇由一の評価

 

由一亡き後、親族でうまく由一の志を引き継いだものはいなかったようです。(息子は途中で商売人になる宣言をしている。)保管されていたたくさんの由一に関する資料は、東京美術大学に納入されました。

 

その後国の後ろ盾もあり、黒田清輝が洋画ブームを引き起こしますが、高橋由一の存在は一時期は忘れられてしまいました。

 

しかし美術評論家土方定一高橋由一の回顧展を成功させると、再評価がされ始めます。そして教科書に鮭が紹介されるようにまでなりました。(良かった…)

 

 

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当時の写真よりも油絵の方が記録に向いていると考えていた由一の作品は、鑑賞者を感動させようと演出する描き方ではなく、対象の本当のありのままを描き出していて、そこが魅力につながっているんだなーと思います。

再評価されて良かった。

 

 

鮭、みたくなりましたねー。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

akashiaya.jimdofree.com