リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

旅に出れない日は東海道五十三次を見て気分を味わう

今日も生きてます。

 

一部を除いて自粛要請が解除されましたね。

 

以前のように自由にお出かけしたり、みんなで集まったりできるようになる日も遠くはないですね~。よかった、よかった。

 

秋田ではスナックやクラブの休業要請の解除を決断したようですね。県民には宿泊・飲食の券を配るそうです。

 

朝日のネット記事に佐竹さんの(秋田の知事)言葉が掲載されていたのですが、東京のコロナ感染が収まらない限り安心できない、というようなことをおっしゃっていました。

 

知事としては全国に行った人々が秋田に帰ってくるお盆がこわいですよね。

 

しばらく上京組は秋田に帰郷できないですね。当たり前ですが。

 

もう気分はばい菌ですよ。

いろいろ自覚して行動しないとですね。

 

 

 

 

さて、東京の自粛は延長ですし、県外には行けない…こんな日は歌川広重のヒット作東海道五十三次をみて旅気分を味わいたいと思います。

 

 

 

 

 

 

東海道五十三次とは?

 

徳川家康が全国統一を果たすため、軍事的な理由から交通体系を整備します。

 

それによって江戸時代には五街道ができます。


戦乱がなくなるにしたがい、やがて多くの人々が旅する庶民の道へと変わっていきました。


その中の一つ東海道は、「江戸の日本橋―京の三条大橋に至る道です。

 

街道にはいくつかの「宿駅」があります。もともと街道沿いの集落で、旅人を泊めたり、荷物を運ぶための人や馬を集めておいた宿場のことです。

 

東海道には53の宿場がありました。

 

その53の宿場をテーマにした連作の浮世絵が東海道五十三次です。

 

実はこの「東海道五十三次」はいろんな絵師がこのテーマで浮世絵を描いています。その中でも一番有名なのは歌川広重の浮世絵です。

 

歌川広重は実際に東海道を歩き、その時の写生などをもとに連作を制作しました。

 

 

 

 

 

歌川広重について知ろう!

 

 

歌川広重については以前もブログで取り上げたことがあります。

 

akashiaya.hatenadiary.jp

 

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広重の死絵(3代豊国筆、安政5年(1858年))

歌川国貞 -, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58781741による

 

1797年、歌川広重は江戸に生まれます。

年少で両親を亡くしてしまいます。

 

家督を相続し火消同人職につきます。

その職にありながら15歳になると歌川豊広に入門し、浮世絵を学び始めます。

 

そして27歳の時に火消同人を引退し、浮世絵師として独立します。

 

1832年、広重36歳の夏に徳川幕府が朝廷へ駿馬を献上する「八朔御馬献上」の行列に参加します。

 

翌年、このときの写生と印象をもとに東海道五拾三次」を描き、一躍世に認められることになるわけです。

 

 

 

 

 

東海道五拾三次を鑑賞しよう!

 

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朝之景 / 行列振出

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982623による

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日之出

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206218による

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六郷渡舟

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206219による

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台之景

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206220による

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新町橋

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206224による

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元町別道

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206226による

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遊行寺

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206229による

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縄手道

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206231による

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虎ヶ雨

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206241による

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酒匂川

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206245による

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湖水図

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982708による

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朝霧

 歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206251による

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黄昏図

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982712による

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朝之富士

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206263による

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左富士

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982717による

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夜之雪

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982723による

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薩埵嶺

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206277による

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興津川

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982728による

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三保遠望

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982730による

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安部川

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982731による

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名物茶屋

歌川広重 - 1. The Fifty-three Stations of the Tokaido. 2. Ukiyo-e.org [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206284による

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宇津之山

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982735による

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人馬継立

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982737による

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大井川駿岸

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982741による

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大井川遠岸

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982747による

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佐夜ノ中山

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982750による

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秋葉山遠望

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982752による

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出茶屋ノ図

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982754による

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天竜川図

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206320による

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冬枯ノ図

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982761による

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今切真景

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tōkaidō (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982764による

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渡舟ノ図

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206327による

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汐見阪図

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206330による

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猿ヶ馬場

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206332による

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豊川ノ橋

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206339による

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旅人留女

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206344による

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旅舎招婦ノ図

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206347による

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棒鼻ノ図

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982792による

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矢矧之橋

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982797による

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首夏馬市

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206361による

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名物有松絞

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206362による

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熱田神事

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982802による

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七里渡口

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206369による

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三重川

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206376による

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薬師寺

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982806による

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白雨

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206382による

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雪晴

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982808による

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本陣早立

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982811による

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筆捨嶺

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982813による

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春之雨

歌川広重 - The fifty-stree stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982815による

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名物干瓢

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206395による

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目川ノ里

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206397による

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名物立場

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206398による

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走井茶店

歌川広重 - The Fifty-three Stations of the Tokaido, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3206404による

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三條大橋

歌川広重 - The fifty-three stages of Tokaido (one of 53 prints, +2 for start and terminus), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3982828による

 

 

 

 

今はどうなっているのか検証する旅も面白いかもと思いましたが、もう景色が絵とかけ離れすぎていて悲しくなりました。

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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北斎の漫画って?北斎漫画を知る

今日も生きてます。

 

洗濯物を干そうとしたら完成間近の蜘蛛の巣を破壊してしまいました。

 

ごめんねーとおもいつつ放置。

 

夕方にどのくらい修復されているかが楽しみです。

 

 

 

昨日北斎は88歳まで生きたと記しましたが、本当は90歳でした。

申し訳ございません。

修正しました。

 

 

さて、今日も葛飾北斎の作品を紹介します。

 

北斎の逸話については以前取り上げましたのでこちらもご覧くださいませ。

 

akashiaya.hatenadiary.jp

前回は「富獄三十六景」について取り上げました。

 

akashiaya.hatenadiary.jp

 

 

さて、生涯現役を貫いた葛飾北斎は亡くなる直前まで絵を描き続け、特に挿絵は1400点制作しました。

 

しかも北斎の場合は同じモチーフを同じような構図で量産したわけではなく、いろいろな構図を試し、様々なモチーフを描いています。

 

まさに画狂人ですね。

 

ちなみに北斎の最後の雅号は「画狂老人卍」だったそうです。

自覚はあったんだなー。

カッコイイぜ。

 

 

 

 

 

北斎はどんなところで絵を学んだのかを少し見ていきましょう。

 

 

 

北斎はどんなところで絵を学んだのかというと、最初19歳で勝川春章(1726-93年)に入門しします。

 

この頃は勝川派の絵師として、春章の様式に倣った表現で制作していました。

 

ちなみに勝川春章の作品は↓のようなものです。

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勝川春章「婦女風俗十二ヶ月図」のうち「五月(蛍火)」

 

 

 

弟子時代、看板を描く依頼を受けた北斎は、得意になって看板を描きます。しかし兄弟子に「未熟だ」とその看板を破り捨てられてしまったことがあったそうです。

 

悔しかった北斎は絶対に巧くなるぞと誓いました。

 

 

この逸話が本当だとすると、画狂人も生まれた瞬間から絵が上手だったわけではないんだなあということ。

 

もう生まれた瞬間から筆で富士山描いてるイメージでした。

 

 

10年後、勝川春章に隠れて他流派を学びます。

 

狩野融川の元で狩野派の画法

3代目堤等琳についたり、

『芥子園画伝』などから中国絵画…などなど。

 

 

その後琳派に移り、雅号を「俵屋宗理」と改め、指導する立場になりました。

 

俵屋宗理の名前で発表した美人画「宗理美人」と呼ばれ大流行しました。

 

しかしその「宗理」の名を別の門人に譲ってしまい北斎琳派からも離れてしまいます。

 

 

 

勝川派からは破門されてしまいました。

 

しかしその後も北斎は制作をつづけ、挿絵を精力的に描きます。

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葛飾北斎椿説弓張月 28巻」

 

 

 

 

 

 

 

北斎50代頃になると門人も増えていきました。

北斎の絵を学ぶ人も全国にいたそうです。

 

そこで北斎弟子たちのために北斎漫画」という絵手本を制作します。

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葛飾北斎北斎漫画 第三編」『雀踊り』

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葛飾北斎北斎漫画 大三編」『相撲図』

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葛飾北斎北斎漫画 大八編」『組手』

 

 

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北斎漫画」『風神雷神

葛飾北斎 - https://research.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details/collection_image_gallery.aspx?partid=1&assetid=980478001&objectid=3358006, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=86152297による

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北斎漫画」

Katsushika Hokusai 葛飾北斎, (1760–May 10, 1849) - Touch&Turn, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4662255による

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北斎漫画」

Katsushika Hokusai (葛飾北斎, Japanese, †1849) - scanned from ISBN 978-4-336-04636-9., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5771673による

 

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北斎漫画』 八編「座頭と瞽女(ごぜ)」

葛飾北斎 - Michener, James A. (1958) Hokusai Sketchbooks: Selections from the Manga, Rutland, Vermont & Tokyo: Charles E. Tuttle Company, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2311369による

 

 

北斎漫画は一巻完結の予定だったが、好評のため版元を変更しながら版行が続いたそうです。

 

そして1878年明治11年)、第十五編で完結します。


初編序に「事物をとりとめもなく気の向くまま漫(そぞ)ろに描いた画」北斎の言葉があります。 

 

 

 

北斎に描けないものは無かったのかなと思わされるほどあらゆるモチーフが描かれています。

 

 

ところが逸話の一つには80歳になるのに猫一匹満足に描けないと号泣したというものもあります。

 

森羅万象を描きたい思いが制作の源であったのだなあと思います。

 

 

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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あなたの好きな富士山は?「富獄三十六景」をみる。

今日も生きてます。

 

最近はまっていることの一つは、髪を乾かすときにレシピ動画を視聴することです。

 

髪が伸びてきてドライヤーで乾かすのが一苦労で、この時間を楽しいものにできないかなーと思ったときにレシピ動画が最適だと気が付きました。

 

かわいくて手の込んだお菓子の作り方や、パーティー用の華やかな料理は見ていて楽しいものです。

 

もちろん視聴のみで、実際はつくりません。爆

 

手間暇かけて料理しても披露するようなすてきなイベントは皆無なので、つくった後に虚しい気持ちになること間違いなしです。

 

料理は作った後誰か食べなければいけないし、時間をかけて作っても15分で完食することもあり、個人的になんだか割に合わない印象があります。

 

だから料理の腕前が上達しないのかな…

(調理の七割ぐらいのものが醤油味)

 

 

 

 

さて、今日は葛飾北斎(かつしかほくさい)富獄三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)を眺めたいと思います。

 

葛飾北斎は江戸の絵師では日本で一番有名な人間ですね。

 

その人柄や逸話を知ると、「絵師ってやっぱ変な人なのかな。」と思ってしまします。

 

 

以前取り上げましたので詳しくはこちらをご覧ください↓

akashiaya.hatenadiary.jp

 

 

 

 

簡単に葛飾北斎の経歴を紹介します。

 

 

葛飾北斎(かつしかほくさい)

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葛飾北斎富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』

After 葛飾北斎 - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2646210により引用

 

葛飾北斎(1760 - 1849)は江戸時代に活躍した浮世絵師です。

 

江戸に百姓の子供として生まれます。

 

19歳で浮世絵師の元に弟子入りし、20歳で絵師としてデビューします。

 

90歳で亡くなるまで活動し続けました。

 

 

 

 

↑の作品葛飾北斎「富獄三十六景」の神奈川沖浪裏はおそらく一番有名な浮世絵だと思います。

 

この作品は富士山のある風景を連作にした作品です。

 

題名には三十六とあるので36枚あるのかと思いきや、実は46枚の連作です。

 

当初36枚で完成する予定だったものが、あまりにも評判が良かったため46枚に増えました。

 

 

この連作が評判になったころ、国内旅行も流行します。

 

これによって「名所絵」という浮世絵のジャンルが確立され、美人絵や役者絵に並ぶ人気になります。

 

 

さらにこの連作を発表した頃の北斎年齢は70代

すごい。北斎のエネルギーは死ぬまで爆発してました。

 

 

 

では北斎70代頃の傑作「富獄三十六景」を見ていきましょう。

 

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1. 江戶日本橋(えどにほんばし)

葛飾北斎 - Source: http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313212により引用

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2.江都駿河町三井見世略圖(こうとするがちょうみついみせりゃくず)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313183により引用

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3. 東都駿臺(とうとするがだい)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313235により引用

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4. 東都浅艸本願寺(とうとあさくさほんがんじ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313254により引用

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5. 本所立川(ほんじょたてかわ)

葛飾北斎 - http://visipix.dynalias.com/cgi-bin/views=5&userid=1025493065&q=red%20fuji&u=2&k=0&l=en&n=1, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313209により引用

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6. 深川万年橋下(ふかがわまんねんばしした)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313252により引用

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7. 五百らかん寺さゞゐどう(ごひゃくらかんじさざえどう)

葛飾北斎 - Source: http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313214により引用

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8. 青山圎𫝶枩(あおやまえんざまつ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313233により引用

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9. 隠田水車(おんでんのすいしゃ)

葛飾北斎 - Source: http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313251により引用

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10. 下目黒(しもめぐろ)

葛飾北斎 - Source: http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313190により引用

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11. 礫川雪ノ且(こいしかわゆきのあした)

葛飾北斎 - This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs divisionunder the digital ID jpd.02457.This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27424119により引用

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12. 御厩川岸両國橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313197により引用

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13. 隅田川関屋里(すみだがわせきやのさと)

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14. 武州千住(ぶしゅうせんじゅ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313229により引用

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15. 従千住花街眺望ノ不二(せんじゅはなまちよりちょうぼうのふじ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313211により引用

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16. 武陽佃嶌(ぶようつくだしま)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313237により引用

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17. 上総ノ海路(かずさのうなぢ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313216により引用

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18. 登戶浦(のぼとのうら)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313185により引用

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19. 常州牛堀(じょうしゅううしぼり)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313245により引用

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20. 東海道品川御殿山ノ不二(とうかいどうしながわごてんやまのふじ)

葛飾北斎 - This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs divisionunder the digital ID jpd.02452.This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11159132により引用

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21. 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)

After 葛飾北斎 - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2646210により引用

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22. 武州玉川(ぶしゅうたまがわ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313230により引用

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23. 東海道程ヶ谷(とうかいどうほどがや)

葛飾北斎 - 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3905430により引用

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24. 相州七里濵(そうしゅうしちりがはま)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313241により引用

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25. 相州江嶌(そうしゅうえのしま

葛飾北斎 - Source: http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313205により引用

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26. 相州仲原(そうしゅうなかはら)

葛飾北斎 - 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3905690により引用

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27. 相州梅澤左(そうしゅううめざわのひだり)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313244により引用

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28. 相州箱根湖水(そうしゅうはこねこすい)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313223により引用

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29. 甲州三嶌越(こうしゅうみしまごえ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313238により引用

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30. 駿州片倉茶園ノ不二(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313243により引用

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31. 駿州大野新田(すんしゅうおおのしんでん)

葛飾北斎 - 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3905698により引用

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32. 山下白雨(さんかはくう)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313227により引用

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33. 凱風快晴(がいふうかいせい)

葛飾北斎 - http://visipix.dynalias.com/cgi-bin/view?s=5&userid=1025493065&q=red%20fuji&u=2&k=0&l=en&n=1, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313228により引用

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34. 諸人登山(しょにんとざん)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313187により引用

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35. 駿州江㞍(すんしゅうえじり)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313195により引用

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36. 東海道江尻田子の浦略啚(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313191により引用

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37. 東海道金谷ノ不二(とうかいどうかなやのふじ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313219により引用

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38. 逺江山中(とおとうみさんちゅう)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313202により引用

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39. 東海道吉田(とうかいどうよしだ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313250により引用

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40. 尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313225により引用

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41. 甲州犬目峠(こうしゅういぬめとうげ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313224により引用

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42. 甲州三坂水面(こうしゅうみさかすいめん)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313203により引用

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43. 甲州伊沢暁(こうしゅういさわのあかつき)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313188により引用

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44. 信州諏訪湖(しんしゅうすわこ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313240により引用

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45. 甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313236により引用

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46. 身延川裏不二(みのぶがわうらふじ)

葛飾北斎 - http://visipix.com/index.htm, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=313200により引用

 

 

 

 

 

 

いかがでしょうか?

 

この連作について言われることの一つに、「ベロ藍」というものがあります。

世界初の合成顔料と呼ばれています。

 

プルシアンブルーですね。

 

「富獄三十六景」は、当時江戸で輸入顔料であったこのベロ藍を使いこなしています。

 

 

 

自分はどの富士山が好きかな~と思いながら見ると楽しいかもしれません。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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写楽って誰?謎に包まれた江戸時代の人気絵師!

今日も生きてます。

 

なるべく買い物減らそうと、最近下味冷凍を始めました。

 

たくさんの食料を管理するのが苦手で家の冷蔵庫は比較的スカスカでした。

 

あまり冷凍庫も活用されずじまい…

 

自粛も延長されましたね。

これを機に冷凍保存の技をゲットしようと、とにかく肉を切り、調味料を入れた袋に封じ込めました。

 

開封の義が楽しみです。

毎日の楽しみが少し増えました。

 

今後は野菜の冷凍術の能力レベルも上げていきたいです。

 

 

 

さて、江戸時代の人気絵師を取り上げてきました。

 

 

 

 

菱川師宣

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鈴木春信

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喜多川歌麿

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今日は写楽(しゃらく)を取り上げます。

 

 

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東洲斎 写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」

 

写楽というと、上の役者絵が有名だと思います。

 

というか、写楽ってこの絵が有名過ぎて、もはやこの顔が写楽の顔だと思っている節があるには私だけでしょうか。

 

 

 

なぜ後世に名を残す絵師となっているのでしょうか?

 

経歴や作品を見ていきましょう。

 

 

 

〇東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく)の経歴

 

1794年(寛政六年)の5月から、翌年の1月にかけて約10か月活動します。

短い制作期間ですが、約140点ほどの作品を刊行しています。

 

版元は蔦屋重三郎です。

喜多川歌麿と同じ版元です。

 

主に役者絵相撲絵を手がけました。

 

 

 

写楽の正体 

 

写楽は↑のように10か月制作したという事しかわかってません。

写楽の正体は誰か説はいろいろとあるようです。

 

有名なものとしては、現在では能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ1763- 1820)

とする説があります。

 

この能役者の資料もあまり残ってないようで、写楽については大部分が謎に包まれたままです。

 

 

 

写楽の作品

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東洲斎写楽「三代目澤村宗十郎の大岸蔵人(寛政6年5月都座上演の『花菖蒲文禄曽我』より)」

Sharaku - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22235040による

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東洲斎写楽「二代目沢村淀五郎の川連法眼と初代坂東善次の鬼佐渡坊(寛政6年5月河原崎座上演の『義経千本桜』より)」

パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=509522

 

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東洲斎写楽「「四代目松本幸四郎加古川本蔵と松本米三郎の小浪」(ギリシア国立コルフ・アジア美術館収蔵)」

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東洲斎写楽「三代目瀬川菊之丞の「仲居おはま」(『花都廓縄張』)」

By Sharaku - http://space.geocities.jp/sha48raku/sharaku/ama

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東洲斎写楽「初代市川男女蔵の「奴一平」『恋女房染分手網』」

rini-shinni.html, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4598367

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東洲斎写楽「曽我五郎と御所五郎丸」

By Sharaku - Yamaguchi, Keizaburō (1994). Sharaku no Zenbō 写楽の全貌 (in Japanese). Tōkyō Shoseki. ISBN 978-4-487-79075-3., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55167253

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東洲斎写楽「四代目岩井半四郎の鎌倉稲村が崎のおひな娘おとま 実は楠政成女房菊水」

By Sharaku - Yamaguchi, Keizaburō (1994). Sharaku no Zenbō 写楽の全貌 (in Japanese). Tōkyō Shoseki. ISBN 978-4-487-79075-3., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55168518

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東洲斎写楽「瀬川菊乃丞の田辺文蔵妻おしづ」

『マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』監修矢島新より引用

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東洲斎写楽 左「中山冨三郎の吉興御台つくば御前」 右「中島勘蔵の馬子寝言の長蔵」

『マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』監修矢島新より引用

 

 

 

 

写楽は役者の大首絵でデビューしました。

 

背景が銀色ですが、これは「黒雲母摺り」(くろきらずり)と呼ばれるものです。

 

黒雲母摺りは背景に色を塗った上に雲母の粉を使用する技法です。

キラキラします。

 

 

描かれた役者の顔をみてみなさんはどう思われるでしょうか?

 

個人的にはあまりリアルに感じられませんが、江戸時代の人々にとっては役者の特徴を捉えたものであったそうです。

 

というより浮世絵は対象を美化して描くのがおきまりであったようですが、写楽は役者を美化せずに描いていたそうです。

 

なので販売当時の評判はそれほど良くは無かったそう。

 

 

 

 

後に写楽が評価されるのはドイツの美術評論家が出版した『SHARAKU』がきっかけです。

 

 

 

個人的にはポーズは面白いけれど全体的に見て写楽の作品はあまり趣味ではありません。

 

歌舞伎がもう少しわかればもう少し楽しめそう。

 

謎が多いのでもう少し掘り下げたらまたブログで取り上げたいと思います。

 

 

 

 

 

今日はここまで

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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江戸の美人を描き尽くせ!浮世絵師 喜多川歌麿!

今日も生きてます。

身体は健康が有り余ってます。(脂肪も)

ですが悲しい事が起こりました…。

川越の美術館で吉田博展がコロナの影響で中止になりました…。

以前ブログでも取り上げました。

akashiaya.hatenadiary.jp



明石ショック。

自粛終わったら行くの楽しみにしていたのに…

長生きして次の展示会を楽しみにしなさいというお告げかな。

好きな事は待ち時間も楽しめるので、楽しみ時間がもっと増えたと思うことにします。
その時まで画集を読み込みます。

木版画は人物より風景画の方好きかもしれないです。




さて、菱川師宣、鈴木春信…と江戸の絵師についてみてきました。
今日は喜多川歌麿(きたがわうたまろ)についてみていきます。

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喜多川歌麿「ポッピンを吹く女」

上の画像は…trialsanderrors - Utamaro: Young lady blowing on a poppin, 1790, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11159051より引用

上の作品はおそらく一番有名な作品であると思われる「ポッピンを吹く女」です。

構図も服がなびいているところも、カッコいいし、服のデザインも現代でも通用するオシャレなものです。
このまま構図その他を借用するだけでも良い出来の絵になりそうです。

喜多川歌麿はとにかく江戸の美人を描き尽くした人気絵師。
幕府に反抗しても絵を描き続けた生粋の絵師です。

 

 

 

 


喜多川歌麿の人生

 

 


1753年頃 

生まれたとされます。
どんな家に生まれたかなどの詳細は不明です。

鳥山 石燕の元で絵を学んだと言われています。

鳥山石燕(とりやませきえん)は妖怪画で有名です。
以前ブログでも取り上げました。

akashiaya.hatenadiary.jp

 


20代後半

吉原を拠点とする版元である蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)と出会い専属の絵師となります。

ここで本題からそれますが、今ある本屋さんのTSUTAYAって、このお方が祖先なの?!と勘繰りましたが、血筋的な関係はないそうです。




当時江戸では狂歌が大流行していたそうです。

 

狂歌というのは、社会風刺などを詠んだ短歌のことです。


これに目を付けた蔦屋が、狂歌をもとに双六画本をつくりました。

歌麿は選ばれた狂歌に合わせてどんなものでも描きました。

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喜多川歌麿 『画本虫撰(むしえらみ)』


↑の画像は虫をもとにした狂歌に、歌麿が細やかな虫たちを生き生きと描いています。

 

美人画のイメージが強い歌麿ですが、この時期はいろいろなモチーフを描いていたようです。

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喜多川歌麿「潮干のつと」

By Kitagawa Utamaro - This file was donated to Wikimedia Commons as part of a project by the Metropolitan Museum of Art. See the Image and Data Resources Open Access Policy, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58788526より引用

 

↑は歌麿には珍しい風景画です。


 

 

 

 1788年 天明七年

松平定信が老中首座となります。

 

 

 

 

 

1788年 天明八年

蔦屋重三郎歌麿の絵で「歌まくら」を刊行します。

いわゆる春画です。

 

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喜多川歌麿「歌まくら」

By Kitagawa Utamaro - Print from Kitagawa Utamaro, The Pillow Book (Uta Makura), 1788. Victoria & Albert Museum/Art Resource, NY. Source: Louis Crompton, Homosexuality & Civilization. Cambridge, Massachusetts; London, England 2003, p. 437., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58704

 



1790年 寛政二年

 

幕府が出版統制をします。


多色刷りの華やかな浮世絵や、贅沢な絵の具の使用は禁止されてしまします。

 

 

 

 


1791年 寛政三年


松平定信が質素倹約を進める中、蔦屋重三郎が刊行した山東京伝著作の本が、幕府を皮肉ったものとして摘発されます。

 

それにより蔦屋重三郎は財産の半分を失ってしまします。

喜多川歌麿はこの年になんの作品も発表していません。

 


江戸ではなく現在の栃木の辺りにいたのでは?ともいわれています。

 

 

 



1792年 寛政四年 歌麿40代

 

歌麿美人画を描き始めます。

美人大首絵のシリーズ「婦人相学十躰」が評判になります。

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喜多川歌麿「婦人相学十躰 浮気之相」

 http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A10569.542&t=search, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55023250より引用

 

 

 

当時の町娘の名前を入れた美人画を発表します。

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喜多川歌麿 - Honolulu Museum of Art, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24740886による

 

 

 


1793年 寛政五年


幕府は浮世絵に町娘の名前を入れることを禁止します。

喜多川歌麿は風紀を乱す輩として目を着けられていたのでしょう。

 

 



1795年 寛政七年


町娘の名前を書き込むことを禁止された歌麿は、

図柄に娘の名前を隠した美人画を制作します。

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喜多川歌麿「合わせ鏡のおひさ」

どこに名前が隠れているのかというと、画面左上の部分。

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田んぼ(た)と鹿島(かしま)

踊り手の尾(お)に火(ひ)がついています。

徳利と盃でお酒(さ)

 

これを合わせると「たかしまおひさ」と読み取ることができます。

 



このようになぞなぞのような表現が使われた絵のことを判じ絵と呼びます。

 

 


1796年 寛政八年


判じ絵も禁止されてしまいます。

 

 


1797年 寛政九年

働く女性を大胆に描きました。

 

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喜多川歌麿「鮑とり」

喜多川歌麿 -CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58757808による

 

 

 

 

 

 

1800年 寛政十二年

幕府は美人大首絵の出版を禁止します。

 

歌麿「山姥と金太郎」を題材とした浮世絵を制作します。

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喜多川歌麿「山姥と金太郎 盃」

Lemon-s - 喜多川歌麿(Kitagawa Utamaro 1806 death), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1466029による

 

 

 

 

 

1804年 文化一年

 

吉原の遊女の作品を制作します。

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喜多川歌麿「青楼十二刻」

「青楼十二刻」遊郭の一日を12枚の連作で描いています。

 

 

 

この年、歌麿の一枚の浮世絵が幕府の怒りに触れてしまいます。

 


それは大勢の側室に囲まれた秀吉を描いた「太閣五妻洛東遊観之図」です。

徳川幕府にとって秀吉の名はご法度で、周りにいる描かれた大勢の女性たちは、徳川家斉の側室の多さを揶揄しているように描かれています。

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喜多川歌麿「太閤五妻洛東遊観之図」

 

 


これにより歌麿入牢三日手鎖50日の罰を受けました。


1806年 文化三年 50代前半

歌麿は亡くなります。

 

 

 

 

 


喜多川歌麿の作品

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喜多川歌麿「寛政三美人」

 

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喜多川歌麿 - Thielska Galleriet, Per Myrehed, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=87534924による

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喜多川歌麿「芸者と印」

喜多川歌麿 - Online Collection of Brooklyn Museum; Photo: Brooklyn Museum, 20.931_IMLS_PS3.jpg, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10957148による

 

↑新吉原の廓芸者を描いたものとされています。

 

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喜多川歌麿 , CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58760288による

 

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喜多川歌麿 - Info, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29934325による

 

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喜多川歌麿 - ウィキメディア・コモンズはこのファイルをメトロポリタン美術館プロジェクトの一環として受贈しました。「画像ならびにデータ情報源に関するオープンアクセス方針」Image and Data Resources Open Access Policyをご参照ください。, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58757654による

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喜多川歌麿 - , CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58754294による

 

 

とにかく当時の美人を描きまくっていた喜多川歌麿

 

大人気の絵師で、歌麿が浮世絵に町娘を描いたものが刊行されると、その町娘がいるお店には人がたくさん集まったそうです。

 

バストから上を画面に描く「大首絵」は、以前からあったようですが、この構図で評判になったのは歌麿です。

 

また、町娘だけではなく、吉原の遊女もよく描きました。

 

描かれた作品をよく見てみると、本当に遊女の日常の些細な瞬間を取り上げているなあと思います。

 

喜多川歌麿の作品を刊行していた版元の蔦屋重三郎の父親は遊郭を経営していたこともあり、歌麿遊郭に自由に出入りしていたようです。

 

遊女たちも歌麿に心を許していたのかなあと思うようなリラックスした様子が絵からは感じられます。

 

普段吉原に行くことができない庶民たちが、歌麿の絵から吉原の様子を想像していたのかなあ。

 

歌麿が人気絵師になった理由がよくわかります。

 

 

 

 

幕府に何かを禁止されるたびに手を変え品を変え作品を発表し続ける姿勢はカッコいいですね。

 

結局一回捕まってしまいましたが、どのような状況においても表現は自由なのだと思います。

 

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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この絵どんな意味?鈴木春信の作品をみよう!

今日も生きてます。

 

 

寿司、ピザ、カレー、焼肉…

一通り頼みましたよ。

 

テイクアウト。

 

美味しかった。

 

そしてしっかり肉となりました。

 

服を脱いでも何か着ているような体の厚みです。

 

 

しかし自粛要請が伸びるようですね。

 

もう私自粛要請終わるころには北の大将みたいになってるんじゃないでしょうか…

 

コロナ危機ですが、女性としての危機も感じています。

これから薄着の季節なのにな…

(でもアイスおいしい)

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、少し浮世絵について復習です。

 

浮世絵

江戸時代の人々の生活を描いたジャンルの絵のこと

 

紅絵

墨で刷った版画に筆で着彩したもの。

錦絵が登場する前によく制作された。

 

水絵

輪郭線に墨を使わないで、藍の青や紅といった色を中心に摺り出した版画。

錦絵が登場する前に制作された。

 

錦絵

多色刷りの木版画。裕福な人々の絵暦交換のブームから生まれた。

 

東錦絵

絵暦交換会のために作られた作品を目を付けた版元(出版社)が、つくられた絵暦を一般用に売り出したときの名前。

江戸で販売されたために、地方からは「江戸絵」とも呼ばれた。

 

肉筆浮世絵

手作業で描かれた浮世絵。

 

 

 

 

なんだか名前がたくさん登場しますが、細かく見ていくとそれぞれ定義があるようです。

一つ一つ確認していくしかありません。

 

 

 

 

 

さて今日は鈴木春信の絵を見ていきます。

経歴などは昨日触れました。

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鈴木春信「雪中相合傘」


上は若者同士の恋愛が描かれています。

 

鈴木春信の描く人間像は中性的で、お人形さんのようです。

 

上の絵、男女ですが、どちらもかわいらしいお顔で描かれていて、あまり差がありません。

 

生々しい表現というよりも可憐で優美な作風です。

 

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鈴木春信「夜の梅」

 

真夜中、香りがするな~と思い香りの方へ灯りを向けます。

そうすると灯りに照らされた美しい梅が暗闇から顔を出します。

 

というような場面ですね。(おそらく)

 

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鈴木春信「夕立図」

絵暦として制作された作品です。

よーく見ると洗濯ものや女性の着物に数字や文字が記されています。

明和2年の大の月の絵だそうです。

 

浮世絵の中でこの力強い風の表現いいですね。

風のいたずらで女性の胸元がちらりと見えています。

(うふーん)

 

 

 

 

 

〇見立てとやつし

 

春信は吉原の遊女や、町で評判の娘など、美人画を多く制作しました。

 

それ以外に描かれたのが「見立て」「やつし」です。

 

「見立て」は、複数の物を使って別のテーマを表現するもの。

 

「やつし」は、歴史上の出来事や古典を、同時代の風俗に沿って表現したもの。

 

 

この二つは江戸時代半ばには混同されますが、絵だけではなく、庭園や歌舞伎など様々な分野で行われました。

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鈴木春信「見立 小野道風

 

上の作品は小野道風(おののとうふう)を見立てて描かれた作品です。

 

小野道風は、平安時代の貴族・能書家です。

(※能書家とは、書が上手な人のこと)

 

それまでの中国的な書風から和様書道の基礎を築いた人物と評されています。


小野道風の逸話の一つに、柳の枝に跳びついた 蛙をみて努力の大切さを悟ったというものがあります。

 

花札にもなっている逸話ですが、この逸話をモチーフにしている絵です。

 

 

 

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鈴木春信「見立 佐野の渡り」

 

上の作品は藤原定家(フジワラノサダイエ)の和歌

 

駒とめて

袖うちはらうかげもなし

佐野のわたりの秋の夕暮れ

 

(現代語訳:馬をとめて、袖に積もった雪を払い落とすような物影すらない。佐野の渡し場の雪の夕暮れどきよ。 )

 

という歌を見立て絵にしたものです。

 

よく見ると小さな文字で大小歴があり、もとは絵暦であったことがわかります。

 

 

 

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〇見立 三夕

 

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鈴木春信「見立三夕 定家」

新古今和歌集に、「秋の夕暮れ」で終わる3つの和歌があります。

寂蓮法師西行法師、藤原定家和歌ですが、それらは「三夕の歌」と呼ばれています。

 

上の作品と↓の二枚の絵はその「三夕の歌」をもとに描かれた見立て作品です。

 

 

上は「見立三夕 定家」で、藤原定家の和歌をもとにしています。

 

見渡せば 

花も紅葉もなかりけり 

浦の苫屋の秋の夕暮れ

 

(現代語訳:見渡してみると、春の美しい花も秋の紅葉も(ここには)ないことよ。海辺の苫ぶきの粗末な小屋のあたりの秋の夕暮れよ。 )

 

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鈴木春信「見立三夕 寂蓮法師

上は寂蓮法師(じゃくれんほうし)の和歌をもとに描かれたものです。


さびしさは

その色としもなかりけり

槙たつ山の秋の夕くれ

(現代語訳:寂しさは、特にその色だからといって感じるわけではないのだなぁ。色ではなくて、槙が立つ山の秋の夕暮れだから寂しさを感じるのだ。 )

 

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鈴木春信「見立三夕 西行法師」

上の作品は西行(さいぎょう)の和歌をもとに描かれたものです。

 

心なき 

身にも哀れは知られけり 

鴫立つ沢の秋の夕暮れ

 

(現代語訳:(俗世間から離れた私のような)趣を理解しない身であっても、しみじみとした趣は自然と感じられるものだなあ。鴫が飛び立つ沢の夕暮れよ。)

 

 

 

 

鈴木春信の作品は、 絵の主題を読み解く楽しみを見る人に与えてくれます。

 

作品の中に見立て絵の原典を示す題名が記されることはほとんどなかったようです。当時の人々が春信の絵を読み解くためには相当な教養が必要でした。

 

現代では何の見立てがわからなくなってしまった絵もあります。

 

春信は構想を練るときに「これはわかるかな~?」と楽しみながら考えていたのかなと思います。

 

 

今日はここまで。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました

 

 

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錦絵って何?カラフルな浮世絵を切り開いた絵師「鈴木春信」

今日も生きてます。

 

最近あたたかく(暑く?)なってきたので衣服の整理をしました。

 

可愛いけどあと5キロ痩せたら着ようと思っていた服を発掘したり、もらったけどそれきり着てない服があったり、思ったより多いです。

 

30歳もそろそろという歳になり、完全にファッション迷子になっています。

 

完全に自分の好みだけで服を選ぶと子供っぽいものを選択してしまします。

 

しかし大人っぽいものは全く着たいと思いません。

 

そもそも自分がどのような服が似合い、年齢的にはどのような服がふさわしいのかが難しい。

 

フリフリのフリルやリボンの服は着る年ではないかなあ。

 

しかし新しく購入するにしても今店舗は閉まっているし、どの方向性の服を買えばいいのか…?

 

完全に迷子です。

 

 

 

整理しながらいろいろファッションについて考えました。

 

最終的に痩せたら着ようと思っている服と、もらったけど着てない服も捨てずに押し入れに入れました。(たんすのこやし。)

 

 

 

 

さて、『マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』監修矢島新を読んでいます。

 

今日は色鮮やかな浮世絵の世界を切り開いた「鈴木春信(すずきはるのぶ)」という絵師についてみていきましょう。

 

以前も取り上げました。 

akashiaya.hatenadiary.jp

 

 

 

 

〇そもそも「浮世絵」ってなんぞ 

 

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鈴木春信「清水の舞台より飛ぶ美人」

『マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』監修矢島新より引用

 

 

以前もブログのどこかで取り上げたかもしれませんが、復習もかねて「浮世絵」の基本的なところを確認します。

 

 

まず言葉として浮世絵の「浮世」とは何か?です。

 

江戸時代以前は、この世は苦しい=「憂き世」という意味合いで使われていたそうです。

 

徳川幕府になり、庶民の生活が安定していくと、この世を肯定的に捉えるようになり「憂き世」が「浮き世」という文字で表現されます。

 

 

そうして「浮世」という言葉は、

「今の世の中、俗世間。」

「 現代風の」

「享楽的で色事を楽しむ遊里」

のことを意味するようにもなります。

 

この世を楽しもうぜ~というような気持が感じられる言葉ですね。

 

 

 

 

そしてその言葉が使われた「浮世絵」はどんな絵のこと?というと、

江戸時代の人々の生活を描いたジャンルの絵のことを浮世絵と呼びます。

 

(違ったらすみません。)

 

 

以前私は浮世絵のことを勘違いしていて、浮世絵は昔の木版画のことを浮世絵と呼ぶと思っていました。

 

技法や画材で絵を分ける言葉(日本画、油絵)と同じような言葉だと思っていたのですが、その絵がどんなものを描いているかをくくる言葉…例えば風景画、人物画、のような言葉に近いものだとわかりました。

 

版画以外に日本画の画材を使用して描かれた、肉筆浮世絵というものもあります。

肉筆というのはこの場合手書きを意味しています。

 

ややこしいですね。

 

有名な肉筆浮世絵↓

菱川師宣見返り美人図⦆

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〇鈴木春信の人生

 

 

 

1725年頃 誕生

(詳細は不明)

 

江戸に生まれます。

 

 

江戸神田白壁町(鍛冶町)の大家さんで、裕福な家であったようです。

 

絵師に絵を教わりに京都に行ったともいわれています。

 

 

1760年頃

3色程度で描かれた役者絵「市村亀蔵の曾我五郎と坂東三八の三保谷四郎」が初作品。

絵師としてデビューします。

 

そして春信の作品に特有の美人画の表現が確立されていきます。

また、「見立てやつし」のような、絵に様々な仕掛けをするような手法も魅力的になっていきます。

 

 

 

1768年頃

江戸で評判の町娘、吉原の遊 女、また江戸名所など、江戸に実在の題材を作品に取り込むこ とが多くなってくる。

 

当 時評判の美人を描く作品 は大ヒット!

 

そのほかにも当時の美人を描いた「浮世美人寄花」や、

吉原の店名と遊女を描いた「青楼美人合」や、

江戸の名所を描いた「風流江戸八景」などを描きます。

 

そして絵は大ヒットし、春信は時代の人気者になります。

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鈴木春信『浮世美人寄花・南の方松坂屋内野風』

By ColBase: 国立博物館所蔵品統合検索システム (Integrated Collections Database of the National Museums, Japan), CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=81021883より引用

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鈴木春信「青楼美人合」

By Katsukawa Shunshō - This file was donated to Wikimedia Commons as part of a project by the Metropolitan Museum of Art. See the Image and Data Resources Open Access Policy, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=59488603より引用

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鈴木春信 「風流江戸八景 真乳山の暮雪」

By Suzuki Harunobu - This file was donated to Wikimedia Commons as part of a project by the Metropolitan Museum of Art. See the Image and Data Resources Open Access Policy, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58782874より引用

 

1770年頃

春信が亡くなります。

 

春信の作品が評価されてから制作活動した期間は5年ほどでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦絵の第一人者?春信

 

春信の経歴を確認したところで、なぜ春信が有名になったのか?という点を見ていきます。

 

 

 

浮世絵というとカラフルな印象がありますよね。

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葛飾北斎 『冨嶽三十六景』

After 葛飾北斎 - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2646210により引用

 

ですがもともとはモノクロでした。

最初はモノクロで刷ったものに手作業で着彩していたそうです。

 

墨で刷った版画に筆で着彩したもの「紅絵(べにえ)」と呼びます。

 

 

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菱川師宣「拾弐図」のうち衝立の陰

菱川師宣 - 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1325434により引用

 

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『マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』監修矢島新より引用

 

 

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菱川師宣 - Library of Congress, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30162716により引用

 

 

紅絵の後には「水絵(みずえ)」と呼ばれるものも登場します。

 

水絵とは輪郭線に墨を使わないで、藍の青や紅といった色を中心に摺り出した版画です。

 

 

私たちがイメージするカラフルな浮世絵が登場するのはこの後で、

「錦絵(にしきえ)」と呼ばれます。

 

 

この錦絵とは多色刷りの木版画のことを指します。

 

錦絵誕生のきっかけは、1764年頃に裕福な趣味人の間で絵暦(えごよみ)が流行したため

です。

 

 

当時江戸の暦であった陰暦は、30日ある大の月と、29日しかない小の月とがあり、その順序が年ごとに変化しました。

 

絵暦とは、その大小の月の順番を判じ絵:目で見るなぞなぞ」で表現した版画のことです。

 

判じ絵のイメージ↓(注:絵暦ではありません。)

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歌川重宣「江戸名所はんじもの」

Utagawa Shigenobu(19th century) - http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1304030, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32140303による

 

流行したのはこの絵暦の交換会で、私的に制作した絵暦を知人同士で交換し、趣向を楽しみつつ優劣を競い合いました。

 

この絵暦ブームを先導した人物の大久保甚四郎(おおくぼじん しろう)は、春信に作画を依頼して「巨川工」と款した摺物を制作していました。

 

贅沢にお金をかけながらより豪華な絵暦を求める依頼主に応えていった結果、様々な技法が開発され「錦絵(多色刷り木版画で制作された浮世絵)は生まれました。

 

春信はこの錦絵の創始者の一人といわれます。

 

 

 

この絵暦ブームが終わると、これらの美しい錦絵に目をつけたのは版元(当時の出版社)です。

 

暦の部分や注文者の名を削って隠し、色味も変え、一般向けの商品

「東錦絵(あずまにしきえ)」として世に売りに出 しました。

 

 

ちなみになぜ錦絵と呼ぶのかというと、絹織物の「錦」ほどの美しさがあったため。

 

江戸を中心に販売されたため、地方からは江戸絵とも呼ばれ、かさばらないので江戸土産になっていたようです。

 

 

 

 

 

 

 

若干長くなってしまいました。

明日に続きます。

 

今日はここまで

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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