リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

錦絵って何?カラフルな浮世絵を切り開いた絵師「鈴木春信」

今日も生きてます。

 

最近あたたかく(暑く?)なってきたので衣服の整理をしました。

 

可愛いけどあと5キロ痩せたら着ようと思っていた服を発掘したり、もらったけどそれきり着てない服があったり、思ったより多いです。

 

30歳もそろそろという歳になり、完全にファッション迷子になっています。

 

完全に自分の好みだけで服を選ぶと子供っぽいものを選択してしまします。

 

しかし大人っぽいものは全く着たいと思いません。

 

そもそも自分がどのような服が似合い、年齢的にはどのような服がふさわしいのかが難しい。

 

フリフリのフリルやリボンの服は着る年ではないかなあ。

 

しかし新しく購入するにしても今店舗は閉まっているし、どの方向性の服を買えばいいのか…?

 

完全に迷子です。

 

 

 

整理しながらいろいろファッションについて考えました。

 

最終的に痩せたら着ようと思っている服と、もらったけど着てない服も捨てずに押し入れに入れました。(たんすのこやし。)

 

 

 

 

さて、『マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』監修矢島新を読んでいます。

 

今日は色鮮やかな浮世絵の世界を切り開いた「鈴木春信(すずきはるのぶ)」という絵師についてみていきましょう。

 

以前も取り上げました。 

akashiaya.hatenadiary.jp

 

 

 

 

〇そもそも「浮世絵」ってなんぞ 

 

f:id:akashiaya:20200504212424j:plain

鈴木春信「清水の舞台より飛ぶ美人」

『マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』監修矢島新より引用

 

 

以前もブログのどこかで取り上げたかもしれませんが、復習もかねて「浮世絵」の基本的なところを確認します。

 

 

まず言葉として浮世絵の「浮世」とは何か?です。

 

江戸時代以前は、この世は苦しい=「憂き世」という意味合いで使われていたそうです。

 

徳川幕府になり、庶民の生活が安定していくと、この世を肯定的に捉えるようになり「憂き世」が「浮き世」という文字で表現されます。

 

 

そうして「浮世」という言葉は、

「今の世の中、俗世間。」

「 現代風の」

「享楽的で色事を楽しむ遊里」

のことを意味するようにもなります。

 

この世を楽しもうぜ~というような気持が感じられる言葉ですね。

 

 

 

 

そしてその言葉が使われた「浮世絵」はどんな絵のこと?というと、

江戸時代の人々の生活を描いたジャンルの絵のことを浮世絵と呼びます。

 

(違ったらすみません。)

 

 

以前私は浮世絵のことを勘違いしていて、浮世絵は昔の木版画のことを浮世絵と呼ぶと思っていました。

 

技法や画材で絵を分ける言葉(日本画、油絵)と同じような言葉だと思っていたのですが、その絵がどんなものを描いているかをくくる言葉…例えば風景画、人物画、のような言葉に近いものだとわかりました。

 

版画以外に日本画の画材を使用して描かれた、肉筆浮世絵というものもあります。

肉筆というのはこの場合手書きを意味しています。

 

ややこしいですね。

 

有名な肉筆浮世絵↓

菱川師宣見返り美人図⦆

f:id:akashiaya:20200501171808j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

〇鈴木春信の人生

 

 

 

1725年頃 誕生

(詳細は不明)

 

江戸に生まれます。

 

 

江戸神田白壁町(鍛冶町)の大家さんで、裕福な家であったようです。

 

絵師に絵を教わりに京都に行ったともいわれています。

 

 

1760年頃

3色程度で描かれた役者絵「市村亀蔵の曾我五郎と坂東三八の三保谷四郎」が初作品。

絵師としてデビューします。

 

そして春信の作品に特有の美人画の表現が確立されていきます。

また、「見立てやつし」のような、絵に様々な仕掛けをするような手法も魅力的になっていきます。

 

 

 

1768年頃

江戸で評判の町娘、吉原の遊 女、また江戸名所など、江戸に実在の題材を作品に取り込むこ とが多くなってくる。

 

当 時評判の美人を描く作品 は大ヒット!

 

そのほかにも当時の美人を描いた「浮世美人寄花」や、

吉原の店名と遊女を描いた「青楼美人合」や、

江戸の名所を描いた「風流江戸八景」などを描きます。

 

そして絵は大ヒットし、春信は時代の人気者になります。

f:id:akashiaya:20200504213008j:plain

鈴木春信『浮世美人寄花・南の方松坂屋内野風』

By ColBase: 国立博物館所蔵品統合検索システム (Integrated Collections Database of the National Museums, Japan), CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=81021883より引用

f:id:akashiaya:20200504213953j:plain

鈴木春信「青楼美人合」

By Katsukawa Shunshō - This file was donated to Wikimedia Commons as part of a project by the Metropolitan Museum of Art. See the Image and Data Resources Open Access Policy, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=59488603より引用

f:id:akashiaya:20200504214521j:plain

鈴木春信 「風流江戸八景 真乳山の暮雪」

By Suzuki Harunobu - This file was donated to Wikimedia Commons as part of a project by the Metropolitan Museum of Art. See the Image and Data Resources Open Access Policy, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=58782874より引用

 

1770年頃

春信が亡くなります。

 

春信の作品が評価されてから制作活動した期間は5年ほどでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

錦絵の第一人者?春信

 

春信の経歴を確認したところで、なぜ春信が有名になったのか?という点を見ていきます。

 

 

 

浮世絵というとカラフルな印象がありますよね。

f:id:akashiaya:20200504215041j:plain

葛飾北斎 『冨嶽三十六景』

After 葛飾北斎 - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2646210により引用

 

ですがもともとはモノクロでした。

最初はモノクロで刷ったものに手作業で着彩していたそうです。

 

墨で刷った版画に筆で着彩したもの「紅絵(べにえ)」と呼びます。

 

 

f:id:akashiaya:20200504215409j:plain

菱川師宣「拾弐図」のうち衝立の陰

菱川師宣 - 不明, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1325434により引用

 

f:id:akashiaya:20200501184938j:plain

『マンガでわかる日本絵画の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』監修矢島新より引用

 

 

f:id:akashiaya:20200504215628j:plain

 

菱川師宣 - Library of Congress, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30162716により引用

 

 

紅絵の後には「水絵(みずえ)」と呼ばれるものも登場します。

 

水絵とは輪郭線に墨を使わないで、藍の青や紅といった色を中心に摺り出した版画です。

 

 

私たちがイメージするカラフルな浮世絵が登場するのはこの後で、

「錦絵(にしきえ)」と呼ばれます。

 

 

この錦絵とは多色刷りの木版画のことを指します。

 

錦絵誕生のきっかけは、1764年頃に裕福な趣味人の間で絵暦(えごよみ)が流行したため

です。

 

 

当時江戸の暦であった陰暦は、30日ある大の月と、29日しかない小の月とがあり、その順序が年ごとに変化しました。

 

絵暦とは、その大小の月の順番を判じ絵:目で見るなぞなぞ」で表現した版画のことです。

 

判じ絵のイメージ↓(注:絵暦ではありません。)

f:id:akashiaya:20200505110525j:plain

歌川重宣「江戸名所はんじもの」

Utagawa Shigenobu(19th century) - http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1304030, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32140303による

 

流行したのはこの絵暦の交換会で、私的に制作した絵暦を知人同士で交換し、趣向を楽しみつつ優劣を競い合いました。

 

この絵暦ブームを先導した人物の大久保甚四郎(おおくぼじん しろう)は、春信に作画を依頼して「巨川工」と款した摺物を制作していました。

 

贅沢にお金をかけながらより豪華な絵暦を求める依頼主に応えていった結果、様々な技法が開発され「錦絵(多色刷り木版画で制作された浮世絵)は生まれました。

 

春信はこの錦絵の創始者の一人といわれます。

 

 

 

この絵暦ブームが終わると、これらの美しい錦絵に目をつけたのは版元(当時の出版社)です。

 

暦の部分や注文者の名を削って隠し、色味も変え、一般向けの商品

「東錦絵(あずまにしきえ)」として世に売りに出 しました。

 

 

ちなみになぜ錦絵と呼ぶのかというと、絹織物の「錦」ほどの美しさがあったため。

 

江戸を中心に販売されたため、地方からは江戸絵とも呼ばれ、かさばらないので江戸土産になっていたようです。

 

 

 

 

 

 

 

若干長くなってしまいました。

明日に続きます。

 

今日はここまで

最後まで読んでいただきありがとうございました。

akashiaya.jimdofree.com