意外と知らない帰国後のフェノロサをチェック!ーフェノロサの闇を知る⑥ー
今日も生きてます。
フェノロサ最終回です。
『フェノロサ 「日本美術の恩人」の影の部分』(保坂清著、河出書房新社、1989年)を参考に、お雇い外国人としてのフェノロサが、日本の中での雇用を生き残るため、政府の意向を汲みながら日本美術称揚の活動を活発的に行っていたことを見てきました。
其の一
其の二
日本の美術品を海外流出させていた?ーフェノロサの闇を覗く②ー - リアル絵描き日記
其の三
法隆寺夢殿を無理矢理開帳させた?ーフェノロサの闇を覗く③ー - リアル絵描き日記
其の四
外国人雇用危機を乗り切れ!ーフェノロサの闇を覗く④ - リアル絵描き日記
其の五
フェノロサと政府の関係ーフェノロサの闇を覗く⑤ー - リアル絵描き日記
今日はあまり知られていないフェノロサが日本から去っていった後の活動をみていきます。
お雇い外国人がどんどん減っていく中、日本美術万歳作戦が成功し、なんとか明治19年に文部省に雇い替えになります。
しかし、極端な国粋主義の風潮が落ち着いてきて、フェノロサに対する風当たりが変わってきます。
明治22年、設立された帝国博物館の理事の辞令にフェノロサの名前はありませんでした。そこでフェノロサはボストン美術館に就職依頼をします。
明治23年、フェノロサはアメリカに帰国します。そしてボストン美術館の東洋部長になります。といってもボストン美術館にあるほとんどの日本の美術品はフェノロサが収集して売却したものです。
そこで妻リジーがいるにも関わらず、助手メアリと不倫スキャンダルを起こしてしまいます。そしてリジーと離婚しメアリと結婚。
莫大な慰謝料を抱えます。
それに加えボストン美術館との契約更新の約束のひとつであった浮世絵目録を完成させる条件を無視し、なんと浮世絵目録を美術館に無断で他社で出版します。
これにより無期限の休職処分を食らいます。
そしてあの頃をもう一度と思ったのかもしれません。
日本に向かいます。
就くことができたのは高校・中学の教師の職でした。 明治33年、教師の職も解任され、またアメリカに帰ります。
その後、フェノロサは手元にまだ残っていた北斎屏風などの日本美術コレクションをフーリアに売却します。
その関係からか、フーリアの美術顧問として自分が売却した日本美術コレクションの整理をしていることが多かったようです。
そして、明治41年、ヨーロッパ旅行へ出かけるため帰国直前ロンドンで亡くなります。
55歳、狭心症が原因でした。
Fraxinus2 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18703571により引用
外国で日本美術の良さをばんばん宣伝してくれたのかなと思いきや、故郷でスキャンダルと問題を起こし休職処分を食らっていたとは…
純粋に日本美術万歳の人というわけではなく、日本の情勢を読んで活動した人間だったんですね。正直印象変わりました。
そしてフェノロサに興味ある人ももう少ないでしょうね。いつまで教科書に掲載されるのでしょうか。
美術作品って、純粋に表現の問題だけではなく、さまざまなその時の政治的な歴史の背景ってすごい影響があります。たぶん昔だけではなく、現代もそうなんだろうな~。そういうのは作品だけ見ても読めないので、難しいです。深読みできるように見識を深めていきたいです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。