池大雅ー歩く文人画家ー
今日も生きてます。
秋田県ではアニメ「ぼのぼの」は放映されていなかったので、上京してから初めてぼのぼのを知りました。(しかも長寿アニメ)
昨日初めてしっかり原作マンガを読み癒されました。
主要登場キャラクターは、
好奇心旺盛でおっとりしたラッコの「ぼのぼの」
いぢぃめる?が口癖の「シマリスくん」
いじめっこの「アライグマくん」
等ですが、個人的に主人公のぼのぼのが自分の性格に近いなと思いました。
あとシマリスくんの親友として登場するプレーリードッグくんがかわいらしい…。
さて、話は変わります。
江戸時代は1603年ー1868年(約265年間)か。
結構長いですね。
厳密に初期・中期・末期の年が決まっているわけではないようです。
手元の『まんがでわかる「日本絵画」の見かた』の本の中で江戸時代の作家として紹介されているものを見てみると…
〇江戸初期~の主な作家
俵屋宗達 (Tawaraya Sotatsu, ? - ?) - Brother Sun , Sister Moon, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=868345による
・俵屋宗達(たわらやそうたつ)
・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)
・狩野探幽(かのうたんゆう)
日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ー余白の探幽ー - リアル絵描き日記
・狩野山雪(かのうさんせつ)
日本人なら知っておきたい狩野派の歴史ーB面を生きる山楽・山雪②ー - リアル絵描き日記
・尾形光琳(おがたこうりん)
尾形光琳を知ろう!①光琳よりも実兄「藤三郎」の行方が気になる。 - リアル絵描き日記
光琳を知ろう!③ざっくり作品をみてみよう! - リアル絵描き日記
光琳を知ろう!燕子花図屏風について知ろう! - リアル絵描き日記
光琳を知ろう!⑤紅白梅図屏風について知ろう! - リアル絵描き日記
光琳を知ろう!⑥なぜ世界で日本美術といえば光琳なのか。 - リアル絵描き日記
〇江戸中期~の主な作家
Ito Jakuchu - Catalogue, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=43448947による
・伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)
・池大雅(いけのたいが)
・与謝蕪村(よさぶそん)
文人画ってなに?ーマルチアーティスト与謝蕪村ー - リアル絵描き日記
・曾我蕭白(そがひょうはく)
・円山応挙(まるやまおうきょ)
〇江戸後期~の主な作家
酒井抱一「風雨草花図」(通称:「夏秋草図屏風」)
酒井抱一 - Emuseum, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8332724による
・酒井抱一
・浦上玉堂
・白隠
・仙崖
などなど…
平和な時代は文化が盛んになるので、日本を代表するような様々な作家が誕生しています。
昨日までで江戸初期の画家は見てきたので、今日から江戸中期の作家をみていきます。
福原五岳 - 『森銑三著作集』第3集、中央公論社, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19847776による
〇池大雅の人生
南画(なんが)という分類もされますが、ざっくりいうと文人画も南画も意味は同じです。
文人画とは絵を職業にしない人たちが趣味で描いた絵の事です。
南画(なんが)ともいうのですが、もともとは中国の裕福な人たちが職務以外に心を慰めるために「詩・書・絵」を行ったことが始まりです。
江戸時代に「詩・書・画」に目覚めた人たちが南宗画(17世紀に明で流布された表現法)を学び始め、それが文人画に繋がっていきます。
以前ブログでも取り上げました。
文人画ってなに?ーマルチアーティスト与謝蕪村ー - リアル絵描き日記
文人画を理解するには、当時江戸では中国の文化を取り入れることがナウい(?)風潮であったことを頭に入れておくとすっと入るかもしれません。
池大雅は1723年、京都の町人の子として生まれます。
しかし幼い頃に父を亡くします。
苦しい生活の中で書に触れ、7歳で中国の書風である唐様を学び始めます。
唐様の書を学んで間もない頃にその才能で周囲を驚かせます。
1737年
亡き父の通称であった菱屋嘉左衛門を襲名し、扇屋を開きます。
禅僧との付き合いに影響され、文人趣味の扇絵を描いていたそうです。
そして文人画の先駆者である柳沢淇園(やなぎさわ きえん)と出会い、絵を学びます。
柳沢淇園 Yanagisawa Kien - 『隠元禅師と黄檗宗の絵画展』 神戸市立博物館 1991, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6899200による
大雅が20代の頃、指を筆にして描く指頭画も挑戦。
やがて、旅行や登山が好きだった大雅は、自らの足で歩き実際に見た景色を数多く描くようになります。
のびのびと大らかな画風を確立していきます。
1771年には与謝蕪村と《十便十宜図》を合作します。
1776年、54才で亡くなります。
日本南画の祖と呼ばれました。
〇池大雅の作品
池大雅 - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=159276による
文人画の方法論の中に
「万巻の書を読み、万里の路を行く」
という教えがあり、それを忠実に実行し、各地の風景を見て回りました。
池大雅 - Emuseum, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2054291による
池大雅の代表作「楼閣山水図」
実際には中国を訪れたことはなかったようです。
池大雅は中国に憧れを抱き「張環翁祝寿画冊」を原図としてこの作品を描きました。
Ike Taiga(1723 - 1776) 池大雅 - Kawabata Foundation (公益財団法人 川端康成記念会) 記念館, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2094487による
「十便十宜図」は中国の詩人・李笠翁(り りゅうおう)の山奥での隠遁生活をつづった「伊園十便十宜詩」を絵画化したものです。
ちなみに作家の川端康成が家の購入を断念して池大雅の作品を購入したという逸話があります。
〇エピソード
三熊花顚 - 伴蒿蹊『畸人伝 巻四』、河内屋茂兵衛、1790年。国立国会図書館デジタルコレクション:永続的識別子 2602912, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=77640370による
「日本南画の祖」「南画を大成した作家」とも呼ばれた池大雅ですが、その生活は仙人のようであったそうです。
金銭に無頓着で、当時の文化人たちと親しく交遊し、自らの理想とする文人生活を送っていたとされます。
結婚しており、妻の玉蘭(ぎょくらん)も画家でした。
池玉瀾 - , CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=57377671による
二人ともはたから見ると特別な感性を持ち合わせているように見えたようです。
夫婦のほのぼのエピソードで有名なものを紹介します。
大雅が出かけたときに筆を忘れていったのを玉瀾が見つけます。
忘れ物を届けようと大雅を追いかけ、やっと追いついて渡すことができます。
大雅は筆を受け取ると
「いづこの人ぞ、よく拾ひ給はりし」
と答えて別れました。
(池大雅、玉蘭だということに気が付かずに筆受け取る)
玉蘭は何も発言することなく帰宅しました。
(玉蘭としては問題なし)
価値観が一緒な人と添い遂げることができて二人とも幸せであったことでしょう。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。