光琳を知ろう!燕子花図屏風について知ろう!
今日も生きてます。
尾形光琳について続いています。
尾形光琳①
尾形光琳②
尾形光琳③
今日は尾形光琳の代表作である「燕子花図屏風」(かきつばたずびょうぶ)について深堀りしていきます。
〇いつ頃に描かれた作品なの?
日本画は作品が仕上がった時に落款印(らっかんいん:はんこ)が押されます。
尾形光琳は時期によりその落款印を変えています。
燕子花図屏風に押されている落款印は「伊亮」(いりょう)
これは比較的光琳が絵師を志して早い時期に使われていたものです。
そこからこの作品は、尾形光琳が40代の頃の作品と推測されています。
誰の注文で、何の意図をもって制作されたのかは不明です。
明治初期の頃には西本願寺に伝来していたそうです。
〇何をテーマに描かれた作品?
上の画像はja:利用者:+- - ja:ファイル:杜若 勧修寺.JPG, GFDL, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36776560により引用しています。
屏風にはカキツバタが描かれています。
以前ブログで伊勢物語について取り上げています。
~伊勢物語の説明~
上の画像は勝川春章 - Internet, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18702344により引用しています。
伊勢物語(いせものがたり)は、平安初期の歌物語です。
平安末期にはすでに歌人の間では研究され、江戸時代までずっと教養として愛され続けている話です。
在原業平をモデルにしたと言われる主人公の「男」が、成人してから亡くなるまでの物語です。
伊勢物語の中にはたくさんの和歌が出てきますが、在原業平が詠んだ和歌も登場します。
内容の中心は男女の恋愛関係から様々な人間模様に及びます。
作者は不詳です。
物語の形式は、数行の仮名の文と歌で作られた章125段で成り立っています。
多くの章の冒頭は、「昔、男…(ありけり)」と始まります。
たくさんの絵画や工芸品のテーマになっていて、物語の章によっては、お決まりのモチーフや描き方もあります。
~第九段「東下り」の内容とは?~
尾形光琳の燕子花図屏風に描かれているのは伊勢物語の第9段「東下り」です。
伊勢物語には全125段に渡ってつながるストーリーはありません。
なので前後の話は分からなくとも大丈夫です。
そして出来事を詳しく説明されていないので、細かい部分は読む方にゆだねられています。
むかし、男ありけり。その男、身を要なきものに思ひなして、
「京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めに」とて、行きけり。
もとより友とする人ひとりふたりして行きけり。
道知れる人もなくて、まどひ行きけり。
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。
そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、
橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。
その沢のほとりの木の蔭におりゐて、乾飯食ひけり。
その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。
それを見て、ある人のいはく、
「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ」と言ひければ、よめる、からころも着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙おとして、ほとびにけり。
東下りのざっくりあらすじ
※()カッコ内は明石の推測
主人公の「男」は、何か(おそらく女性関係のトラブル?)があり、傷心の中、京から東へ旅立ちます。(友達とおつきの者も一緒)
迷いつつも、三河の国(みかわのくに:現在の愛知県東半部)にたどり着きます。
地名の「八橋」は、八つの川に橋を渡した情景が名前になったことが解説(?)されます。
そして一行は沢の近くで乾飯を食べます。
乾飯は乾かしたご飯のことで、昔のインスタント食であったようです。
その沢ではカキツバタが美しく咲いています。
そのカキツバタをみた仲間の一人が、
「カキツバタの頭文字を使って旅の気持ちの歌をつくろうよ!」
と提案します。
か 唐衣
き 着つつなれにし
つ つましあれば はるばる
き きぬる
た 旅をしぞ思ふ
「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ 」
(意味: 唐衣を着続けて体になじむように、馴れ親しんだ妻が都の京にいるので、はるばるとやって来た旅をしみじみと思うことだ)
そこで「男」は↑のような和歌を詠みます。
その場にいた皆は乾飯の上に涙を流して乾飯がふやけてしまいました。
(早速みんなホームシック?)
私は詳しくはないのですが、この和歌には枕詞や、序詞、掛詞、縁語、折句など…たくさんの技法が使われていて、とても巧みな表現となっているそうです。
この物語の中に出てくるカキツバタが、燕子花図屏風に描かれています。
日本の昔の教養人は皆「伊勢物語」を知っていました。
なのでこのカキツバタは暗にこの伊勢物語の東下りを指していると察することができました。
この尾形光琳の燕子花図屏風が評価されていることを理解するポイントの一つとして、江戸時代の町人たちが粋があります。
江戸の頃、粋として流行った表現方法に留守文様があります。
物語の主人公として登場する人物をわざと省略し、その人物などに関連する品物だけで構成して、物語の場面を暗示させる意匠のことです。
(例:紅葉&火焔太鼓=「源氏物語 紅葉賀」、御所車&夕顔=「源氏物語 夕顔」)
全てを説明させるのが野暮で、最小限の表現で暗示させることが粋っていうような感じでしょうか?(最小限の表現で意味が察することができないことも野暮)
この尾形光琳の屏風は、日本の古典「伊勢物語」の東下りと、江戸時代の美意識である「粋」を表現している作品ということで価値があるのでは…?と思います。
〇大きさと描画材・描画法
この屏風には金箔が使われています。
群青(ぐんじょう)と緑青(ろくしょう)の二色の絵の具しか使われていません。
呉服屋で生まれ育った光琳は着物で使われる型紙の方法を、この屏風にも適用したのではないかと推測されています。
東下りを表現するお決まりとしてはカキツバタと共に八橋が描かれることが多いのですが、この屏風ではカキツバタだけで表現しています。
↓は伊勢物語の場面を表現した絵です。
深江蘆舟(元禄12年‐宝暦7年) - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=37194980による
Creator:Tosa School - ウィキメディア・コモンズはこのファイルをメトロポリタン美術館プロジェクトの一環として受贈しました。「画像ならびにデータ情報源に関するオープンアクセス方針」Image and Data Resources Open Access Policyをご参照ください。, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=57375215による
やはり人物が描かれることが多かったのかなと思います。そんな中で燕子花だけで伊勢物語の一場面を表現した尾形光琳の作品は粋であったと推測します。
尾形光琳は燕子花を気に入っていたようで、他の作品でも東下りをテーマにしてカキツバタが入り込んだものを制作しています。
今は燕子花図屏風は展示されていないみたいです。
画像ではまっすぐの様子しか見れませんが、実際の屏風は半分折れた状態で展示されていると思うのでだいぶ様子がちがうと思います。
いろいろと落ち着いたら本物を見にいきたいですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。