江戸時代で一番の絵師は誰だ?円山応挙
今日も生きています。
昨日平安人物志について触れました。
仙人の顔が怖いよ曾我蕭白(そがしょうはく) - リアル絵描き日記
当時の京都で有名な文化人が掲載されていた平安人物志ですが、その中には円山応挙も名を連ねていました。
円山応挙については以前もブログで触れたことがあります。
今日は復習もかねて江戸時代中期の画家、円山応挙(まるやまおうきょ)についてみていきます。
〇円山応挙の人生
谷文晁 - 東京国立博物館 http://www.tnm.jp/, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20555684による
1733年・1歳
農家の次男として京都に生まれる。
10代後半には、狩野探幽の流れを引く画家、石田幽汀の門に入っている。
1759年・27歳
眼鏡絵の制作に携わる
1766年
「応挙」を名乗り始める。
「銭舜挙(中国宋末 - 元初の画家)に応ずる」から来ており、中国の大家に負けない水準の絵を描こうとする決意が込められている。
1772年・40歳
後にパトロンとなる三井家との交流が始まる
1795年・63歳
弟子の惜しまれつつ京都で亡くなる。
〇円山応挙の作品
Maruyama Ōkyo (1773-1795) - http://www.konpira.or.jp/museum/shoin/shoin_2009.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=41966486による
Maruyama Ōkyo (1773-1795) - http://www.konpira.or.jp/museum/shoin/shoin_2009.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=41966045による
円山応挙(1733年- 1795年) - scan by User:Fraxinus2, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18569703による
円山応挙の絵はうまい。
教養や理屈がわからなくてもストレートにうまい。
全然描き込んでないのにすっごくリアル。
(描き方として一番カッコいい方法)
他の江戸時代の有名な画家たちー昨日の曾我蕭白や尾形光琳などに比べると全く違う点があります。
それは物語や何かの一場面を描いたものではなく、「松」を描いて絵にしたという点です。
雪松図屏風では、雪は紙の白を生かし塗り残しで表現しています。
木は輪郭線を引かずに写実的に描いています。
応挙の作品には空間を強く感じます。
それは左右の松に奥行を持たせていることもありますが、砂子(金箔を粉にしたものを画面に付着させる方法)や金泥で空気を描き出しています。
〇円山応挙の表現
一本の筆是全体に薄い墨を、先端には濃い墨を含ませて描くとグラデーションのあるタッチがつくれます。
こうして一筆で濃さの異なる線を引く技法を、「付立(つけたて)」と呼びます。
雪の結晶に反射した光を表現するために砂子を使用しています。
私はもともとスタートが洋画(油彩)であったせいか、日本画の「間」と呼ばれるものを見ても、ピンとこない場合がありました。(カスカス画面だ~)
ですが円山応挙の間は本当に空気のある空間だと感じます。
画面全体に満ち満ちてます。
〇円山応挙の犬
円山応挙「狗子図屏風」
暇さえあればスケッチをしていたという円山応挙。
兎や鳥などの小動物を描くのも得意でした。
特に「犬」は需要があったのかたくさんの作品が残されています。
ころころとして、ふわふわとして、現代の鑑賞者にもかわゆいと思わせる子犬です。
なにやら与謝蕪村はご近所さんで仲良しであったり、曾我蕭白にはライバル視されていたり…巨匠同士の交流談が何やら楽しいです。
個人的に江戸時代の日本画の中で一番うまいの円山応挙じゃないかなあと勝手に思っています。
絵が売れるということでお弟子さんもたくさんいました。
長沢蘆雪も弟子です。
(犬をかわいく描くことが受け継がれている…!)
いろいろ落ち着いたら三井記念美術館にて応挙に会いに行きたいです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。