愛ある家庭的なテーマを描き続けた女性画家?選択肢がそれしかなかっただけです。女性画家ベルト・モリゾの現実
今日も生きています。
ベルト・モリゾとは誰か?
エドゥアール・マネ画 『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』
ベルト・モリゾ(1841- 1895)は、19世紀パリで活躍した印象派の画家です。
画風は自然の緑を基調としたものが多く、描く対象は、穏やかで母子の微笑ましい情景など、家庭的なものが多いです。
マネの絵画のモデルになったことでも有名です。
(↓の作品で、手前に腰を掛けている女性ですね。)
エドゥアール・マネ画『バルコニー』1868-69年
ベルト・モリゾの人生
ベルト・モリゾ画「ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘」
ベルト・モリゾは1841年にフランスのブールジュで生まれます。
高級官吏の父を持つ家庭の三姉妹(モリゾ・エドマ・イヴ)の一人です。
両親は娘たちにピアノやデッサン、刺繍などを教養として習わせました。
10代のベルト・モリゾ
16歳の時に姉のエドマと共に、近所の画家ギシャールに絵を見てもらいます。
ギシャールは二人の絵画の才能に気が付き、ルーヴル美術館での模写を勧められます。
そこでラ・トゥールなどの画家たちに出会います。
20代のベルト・モリゾ
風景画で有名だった画家コローのもとに師事し、自然の描き方を学びます。
そこではピサロやルノワールなどの印象派の画家たちにも出会います。
エドマとモリゾはサロンにも初入選します。
マネに出会い、マネの絵画「バルコニー」のモデルになります。
コロー画「モルトフォンテーヌの思い出」 1864
出典:ジャン=バティスト・カミーユ・コロー - Wikipedia
エドゥアール・マネ画『フォリー・ベルジェールのバー』
30代のベルト・モリゾ
第一回印象派展に出品します。
(印象派展は第八回まで開催されましたが、ベルト・モリゾは第七回以外のすべての会に出品しています。)
33歳にはマネの弟ウジューヌと結婚、37歳には娘ジュリーを出産します。
40代のベルト・モリゾ
印象派の画家たちドガ、ルノワール、モネと共にマラルメの詩の挿絵を手掛けます。
女流画家であるメアリ・カサットと親しくなり、日本展を見学します。
50代のベルト・モリゾ
夫のウジューヌが亡くなります。
モンマルトルの画廊で初個展を開きます。
ブリュッセルの自由美学展に出品し、大成功を収めます。
肺炎で亡くなります。
54歳でした。
ベルト・モリゾが生きた時代の「女性」
ベルト・モリゾ画「Child among staked roses」
ベルト・モリゾが生きた時代のフランスは、上層ブルジョワ出身の女性がプロの画家を目指すなど考えられない時代でした。それは同じ社会階層にいる相応な相手との結婚の機会を逃してしまう可能性があったためです。
なので幼少から、娘が熱心に絵を学ぶことを応援する両親は非常にまれなケース。
ベルト・モリゾの両親はもともと芸術家になることを挫折したことがあったようです。なので絵を学びたいという娘たちを応援したい気持ちがあったのでしょう。
姉妹の母親はルーブルの模写に付き合ったり、画家のコローに学ばせるため、彼の住まいの近くに別荘を借りたり、すごいサポートぶりです。
ベルトとエドマはプロの画家を志していましたが、モリゾが28歳の時に、姉エドマは海軍将校と結婚をします。
当時の一般的な考え方では、妻と画家を両立させることなんて無理で、上層ブルジョワ階級女性が画家になるには一生の独身になる程の覚悟が必要でした。
なので2人で画家になることを夢を見ていたベルトとエドマには虚脱感がありました。
そして全く結婚する気をみせないモリゾに母親は圧力をかけてきます。二人の関係は緊張感を持つようになります。
結婚を良く思っていなかったベルト。
しかし夢を諦めたことで空いてしまった心の虚しさが、母性的なもので満たされている姉エドマの姿をみます。
そして結婚に対する考え方が変わり、マネの弟と結婚します。
マネも画家ですが、弟のウジューヌも日曜画家でした。(無職ですが資産持ちで金利で生活していた。)
制作に理解のあったウジューヌは、ベルトの制作活動を支援します。ベルトは女性画家として大変恵まれた環境にありました。そういう相手をベルトが選んだとも考えられますね。
しかしそんな恵まれた環境のベルトも、妻とはかくあるべきという古い考えのお姑さんからは芸術活動の理解を得られなかったり、性格を受け入れてもらえなかったりと大変であったようです。
独身時代は対立していたベルトの母は、結婚してからのベルトを応援して支えていたそうです。
ベルト・モリゾはなぜ家庭的なテーマの絵を描いたのか
ベルト・モリゾ画「庭のウジューヌ・マネと娘」
出典:「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)
身近な世界をテーマに、印象派の中でも革新的な表現で作品を制作していたベルト。
当時西洋美術界の中で最も偉いとされていたのは「歴史画」です。
それをベルトが描きたくなかったかというと、そういうわけではありません。
歴史画家になるには男性の裸体像のデッサンが必須でした。
それが叶う官立美術学校も、ベルト・モリゾが生きていた時代には女性の入学を禁止していました。(ベルトが亡くなった後に女性も入学できるようになった。)
そして身近で日常的なテーマが多いのは、当時の上層ブルジョワ階級の女性が好き勝手に外出などできなかったためです。
それに加え、芸術に理解のあるタイプの夫ウジューヌでさえ、妻のベルトに社会階層に相応しい姿を常に保つことを要求していたため、戸外での制作は髪の乱れに気をつけなければいけませんでした。
(そんなこと気にしてたら絵なんぞ描けんぞ)
当時のベルトを取り巻く背景を知らないと、家庭的なテーマを描いているのは、それを表現したいからなのかと思ってしまいがちですが、実際はそのテーマしか選ぶことができなかった面もあるのかなと思います。
印象派の女性画家にはメアリ・カサットという人もいますが、メアリ・カサットも家庭的なテーマの作品が多いです。当時珍しかった女性画家はみんな同じ環境だったのですね。
メアリ・カサット画『子供の入浴』(1893年)
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)
「鑑賞のための西洋美術史入門」(視覚デザイン研究所)
「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」(視覚デザイン研究所)