描かれたのはパリの娼婦?パリでスキャンダルを巻き起こした巨匠マネの絵画「草上の食卓」の真相
今日も生きてます。
『最貧困女子』や『熟年売春〜アラフォー女子の貧困の現実』など、貧困関係の著書を執筆している鈴木大介さんや中村敦彦さんの本を在学中読んでいました。
日本(というか東京)の売春の実情や、その人々の取材の様子など書かれた文章から、私の全く知らない世界があるんだと驚きでした。
もちろんすべてが本に書かれている通りというわけではなく、配慮や脚色があると思います。全ては側面です。
今まで風俗や水商売とか性関連商売と全く縁の無い人生を送ってきたので、この世には隠されているものがたくさんあるのだと感じています。
そもそも誰が何を「問題」としているのかとか、人間の自由や幸福って何かとか、深いです。
秩序がある社会で生活していると思っていたくて、見たくないものを見ないようにしているだけかもしれません。
今日取り上げるマネの絵画「草上の食卓」は、そんな見たくない実情を、さらっと描いてしまった作品です。
エドゥアール・マネ画「草上の昼食」
この作品をみてどのように感じられますか?
女性が裸なの?(屋外で裸?)
男性二人は女性のこと無視してる?
奥の女性は結構画面上で目立ってますけど何か前の人々と関わりあるんですか?
手前のくしゃっとした布と果物どうしてあんな雑に置かれているの?
(パンが直接地面についちゃってるよ!)
以上が私がこの作品から感じたことです。
美術畑出身ですが初見で作品を深読みすることはできません。
19世紀のパリと娼婦
描いたのは生粋のパリっ子 エドゥアール・マネ。
アンリ・ファンタン=ラトゥール画 マネの肖像画(1867年)
マネが生きた19世紀のパリは、産業革命によって、たくさんのものがつくられ、そのものを作るために労働者がパリに集まっていました。
そんな労働者たちの需要もあり、パリでは娼婦が激増します。
当時女性たちが就くことができる職業の賃金が安かったということもありました。
売春が増えたために性病も増え、19世紀にヨーロッパでは娼婦登録制による売春公認政策がとられたほどです。
ただ、売春をしていた女性は公認の登録されていた人だけではなく、街中で客引きをするものやキャバレーの踊り子やバレエダンサー、様々な女性が売春をしていたようです。
19世紀のパリっ子は「草上の食卓」から何を読み取ったか
エドゥアール・マネ画「草上の昼食」
この「草上の食卓」というのは後から改題したもので、最初は「水浴」として発表されています。
この作品が描かれたときに、パリ郊外のセーヌ河畔でのレジャーが流行していたようです。描かれた男性の服装も当時のもの。
よってこの作品をみた当時のパリっ子は、この作品は今のことを描いているのだと認識します。
そして服を着た二人の男性とともにいるのはなぜか「裸の女性」。
現代の私たちはこの作品をみてもそこまで読み取ることはできませんが、19世紀のパリっ子がこの作品を見たときに感じたのはパリに蔓延している売春と娼婦たちの存在でした。
写真の発明と共に出回っていたポルノ写真を連想する人もいました。
なのでこの作品を見た人は激怒。
「不道徳」や「いかがわしい」と非難されてしまいました。
これを現代の私たちで考えてみると、生活の中で見ないように、関わらないようにしている物事を、絵画に表現されて目の前に突き出されたということです。
目をつむりたくなったり、非難したくなったりするかもしれませんね。
この作品は当時フランスで権威的な公募展である「サロン」に出品したものでしたが落選。
なぜ人目に触れることになったかというと、サロンに落選した者たちの作品を展示した「落選展」が開催されたためです。
あんまりサロンに落選した作品が多かったため、落選した美術家が抗議し、それを受けたフランス政府が「一般の諸君がこの抗議が正当なものであると判断してくれることを望む」として開催したものです。
この草上の食卓が落選したときサロンで絶賛されていたのはこの作品。
アレクサンドル・カバネル画『ヴィーナスの誕生』
マネの草上の食卓と比べてもカバネルのヴィーナスの方がすごく…いかがわしいと思いませんか?(エロス!)
なぜカバネルの官能的な作品は大絶賛で、マネの草上の食卓はいかがわしいのか?
次回はそこについて触れていきたいと思います。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。