19世紀パリ、バレリーナの現実を描いたドガの作品をみてみよう。絵の中には愛人を探しにオペラ座に来た成金紳士たちがちらり。
今日も生きてます。
ネットフリックスにて映画「パラサイト」を視聴しました。
めちゃくちゃ面白く、ユーチューブで考察動画も見まくってしまいました。
THE CALLも面白かったし、韓国の映画もいいですね!
もう5日か…
お正月気分もそろそろやめないとなあ。
しゃっきりするぞー
でもその前にパラサイトと同じポン・ジュノ監督の作品を全部みたいな。
(終わらない正月気分)
今日は19世紀のパリで活躍した画家エドガー・ドガの作品を見ていきましょう。
エドガー・ドガって誰?
バレリーナを描いた作品が有名です。
銀行家の父を持つ家に生まれ、40歳辺りまで「働いて収入を得る」という意味さえ分からなかったほどお金に困らない生活をしていました。
しかし父が亡くなった時に負債が見つかったり、兄の事業の失敗があったり、人生の後半は悠々自適とはいかなかったようです。
マネの仲間の作家たちや印象派の画家たちと程よい距離感を保ちつつ交流していました。
ドガの作品はのモチーフはバレエや娼婦、室内風景、体を洗う女性を描いた作品も多いです。
オペラ座の定期会員のなっていたドガは、バレエの舞台裏なども見ることができました。(現在は禁止されている。)
なので作品の中には練習するバレリーナや、休憩するバレリーナを描いたものもあります。
エドガー・ドガ画「バレエのレッスン」(1874年頃、オルセー美術館所蔵)
アメリカ人に人気のあったドガの作品
エドガー・ドガ「オペラ座のオーケストラ」(1870) オルセー美術館
ドガや印象派たちの作品は、アメリカ人の富裕層に受けたようです。
南北戦争以降に莫大な資産を持ったアメリカ人の富裕層たちは、ヨーロッパ文化に魅力を感じていました。
ヨーロッパの美術品から学ぼうという姿勢があったようです。
その中でもドガのバレエを描いた作品はアメリカ人に特に人気でした。
バレエの作品を自宅の壁にかけることで、文化レベルが高いように演出し、自分たちのイメージも上げようとしていたようです。
現代の私たちもバレエと聞くと高等なイメージありませんか?
小さなころ、バレエやピアノをしていた人って文化的で教養のある家だと感じていました。実際に費用は掛かりますし、大人になった今ではよりそう思うようになりました。
これは当時のアメリカ人も同じであったようです。
19世紀パリのバレリーナたちの実情
エドガー・ドガ作「14歳の小さな踊り子」(1881) ナショナル・ギャラリー
ドガの生前に唯一発表された彫刻作品
しかし19‐20世紀、ドガの生きた時代のパリのバレエの実情はそんなイメージとはかけ離れたものでした。
バレエの観客はほとんどが男性。
愛人を探しに来ていたのです。
踊り子たちは技術よりも容姿の良さでバレリーナに選ばれました。
バレリーナのほとんどは貧しい家庭の出身で、成り上がるためには良いパトロンを探す必要がありました。
そして愛人を選ぶときに交渉するのはバレリーナの母親でした。
娼婦と同じように認識されていたのかもしれません。
悲しい現実ですね。
バレエの現実を描いたドガ
エドガー・ドガ画「踊りの花形(エトワール、舞台の踊り子)」
ドガの作品にはそんなバレリーナたちの実情が描かれている作品があります。
踊り子の後ろに見える黒い人影。
これはこの踊り子を買ったパトロンの存在です。
純粋にバレエが好きでその踊りの世界を表現したいならこういうものは排除しますよね。
エドガー・ドガ画『舞台のバレエ稽古』(1874) メトロポリタン美術館
バレリーナたちの現実が悪いとか、良いとか、そのようなことは考えてなかったのだろうなと思います。同情とかはしてなさそう。
ドガは現実として普通にあることを画面の中に取り入れることが自然だと思っていたんじゃないかな。
個人的には画面の隅に描かれた紳士たちと同じような目線でバレリーナたちを見ていたのではないのかなと思います。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考
「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)