今日も生きてます。
百貨店の美術画廊や、銀座のギャラリーに行かれる方ってどのくらいいるんでしょうかね
初心者からすると、とても入りづらい雰囲気ですよね(笑
私が大学一年生の時に初めて展示したのは東武池袋店の美術画廊でした。
事前に展示する作品が配達では間に合わず、渋々自分で手持ち搬入したのですが、あんまり「美術画廊」という看板が立派で、長い間怖くて入れずに、大きな荷物をもってうろうろしてました。(田舎者なので…
百貨店では絵画などの芸術作品は高い階で売られていて、同じ階には宝飾品や時計など、高級商品を取り扱っていることが多いです。
デパ地下や他のフロアと雰囲気が違うので慣れないときついです。
(今でも苦手かも)
芸術品のイメージって「高くて」「高貴」なものがありませんか?(訳が分からないという方もいらっしゃるかもしれない)
それは19世紀の西洋美術でも同じでした。
ということで、
今日は前回に引き続き19世紀パリの巨匠マネの絵画を見ていきましょう!
前回のブログ↓
アンリ・ファンタン=ラトゥール画 マネの肖像画(1867年)
フランスの高貴な芸術と理想
マネの作品を理解するには、当時の美術の価値観を知っておくとわかりやすいかもしれません。
19世紀のフランスの美術業界の権威は3つありました。
エコール・デ・ボザール
(17世紀に設立されたフランスの美術の教育機関)
芸術アカデミー
(会員制の芸術家団体)
サロン
(アカデミーが開催した公募展)
画家として成功するにはサロンに入選したり、芸術アカデミーの会員になることが近道でした。(貴族やお偉いさんのお客さんがつきやすくなる利点があったのではと推測します。)
このアカデミーで「良い」とされていた芸術は「古典主義」です。古典というのは古代ギリシャの芸術のことです。
古典主義のことをアカデミズムとも呼びます。
必然的に歴史画や神話などの画題が「良い&理想の美術」になっていきます。
描かれたのは「誰の裸」?
エドゥアール・マネ画「草上の昼食」
前回取り上げたマネの作品は「草上の食卓」です。
この絵はサロンに落選してしまいました。
鑑賞者からは「不道徳」「いかがわしい」などと批判されてしまいます。
そして同じ年にサロンで絶賛されたのが↓の作品です。
アレクサンドル・カバネル画『ヴィーナスの誕生』(1863年)
現代日本に生きる私としてはこの作品の方がいかがわしいと思いますが、皆様どう思われますでしょうか。(エロス!)
当時フランスの美術アカデミーの考え方ですと、裸と言っても「神」の裸は描いてもいいし、それはいかがわしいものではないという考え方でした。
描かれた裸のヴィーナスを下から仰ぎ見る構図で描こうが、ヴィーナスが脇の下を見せてうふーんなポーズをとっていようが関係無かったようです。
絵画が裸婦をどれだけ官能的に魅力的に表現しても、それは神話の世界なのでセーフです。(ちなみに画題が神話ならモデルが現実の女性でもセーフ)
しかし、マネが絵画に描いたのは現実の女性でした。
しかも娼婦をにおわせるような描き方。
これは当時においては前衛的な画題でした。
総括すると美術アカデミーがマネの作品を良しとしなかった理由は以下のようなものです。
当時の風俗を表現していること
現実の女性の裸を描いていること
高貴な芸術に不釣り合いな娼婦のような女性が描かれていること
マネ、開き直る。
1863年に草上の食卓が発表されてスキャンダルになったマネ。
たくさん批判されましたが、1865年にはもっと過激な作品を発表します。
チョーカーや腕輪を身に着けた裸の女性が、ベッドに横たわっています。
ぱっと見たところ、21世紀の現代の女性だよと言われても通じるほど現実的な裸婦です。
しかも題名の「オランピア」は当時のパリの娼婦たちの通称であったとか。
信念を貫いたのか、開き直ったのかはわからないが、マネは現代の女性の裸婦を発表することを止めませんでした。
もちろんこの作品もスキャンダルを巻き起こしました。
ちなみにこのときのスキャンダルは相当心に負担がかかったようで、その後マネはスペインに傷心旅行をしています。
マネの影響
後に印象派として有名になっていく画家たちにマネは刺激を与えました。
セザンヌやゴーギャンはマネの作品からインスピレーションうけた作品を制作しています。
セザンヌ画『草上の昼食』
ゴーギャン画『死霊が見ている』
マネが起こしたスキャンダルって現代日本でもありますよね。
見たこと無い、または見たくないような表現をした作家の作品を目前にすると、私たちは困惑してしまいます。
(むしろこのような手法の方が今においては主流なのかな?)
マネのスキャンダル事件を知ると、現代を表現する現代アートや、新しい価値観を重宝する西洋美術の流れが少し見えてきますよね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。