来日したザビエルの腕の価値観雑談と、ザビエルの生涯ーローマ教皇編ー
今日も生きてます。
最近作業中は雨音BGMにしています。
日中はなんやかんや外の音が気になってしまうので防音としての役割です。
いつの間にか常に雨気分で、ふと窓から太陽の光が差し込んでいると驚きます。
ブログでザビエルを取り上げているということもあり、ザビエルについて調べていたら「!?」という出来事が…
Wikipedia情報なのでどこまでが本当かはわかりませんが、ザビエルの遺体(ミイラ)は、今インドのゴアにあるゴン・ジェス教会に保管されています。
しかし1614年にイエズス会総長の命令で右腕が切り落とされ、1949年に日本に来日(?)していたそうなんです。
その後はカナダにも運ばれたそうな。
遺体を切り取ることに少し抵抗感があるのですが、やはりそれは価値観の違いなのでしょうね。(私神仏に対して信仰心薄いし…)
他には1554年3月16日から3日間、聖パウロ聖堂にてザビエルの遺体が棺から出され一般に拝観が許されたときに、参観者の一人の婦人が右足の指2本を噛み切って逃走した(!?)とか。
(この2本の指は彼女の死後聖堂に返されたようだ)
今ザビエルの
右腕上膊はマカオ
耳・毛はリスボン
歯はポルト
胸骨の一部は東京
など分散され保管されているようです。
信仰心ってすごいなあ。とカルチャーショック。
でも仏舎利も確か釈迦の骨が埋まっている設定でしたよね。
私個人はなんの信仰もないと思っているけれども、こうやってカルチャーショックを感じるということは、やはり意識していないだけで日本固有の伝統文化に慣れ親しんでいるんだなあと実感しました。
皆様はどのようにお感じになるでしょうか?
さて、今日もザビエルの本「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)を読んでいます
ポルトガルの首都リスボンにあるサン・リケ教会の聖具室に飾られているザビエルの生涯を描いた20枚の連作絵画を取り上げています。
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
サン・リケ教会の聖具室↑
ブログでは連作絵画を見ながらザビエルの生涯をみてきました。
其の一
其の二
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
「ヴィネツィアのサン・マルコ聖堂の病院で患者の告解に耳を傾けるザビエル」
キリスト教を熱心に信仰するロヨラに影響されて、ザビエル含む七人は「イエズス会」を立ち上げます。
そしてローマ教皇に認めてもらうためローマに向かう目的ができました。
ローマに行く前に聖地巡礼のためエルサレムに行くことになります。エルサレム生きの巡礼船はヴィネツィアから出航するということで、イエズス会一行はヴィネツィアに行ったのですが、国際情勢の影響でヴィネツィアで1年ほど足止めをくらいます。
ザビエルはその1年間にヴィネツィアで奉仕活動をしていました。
…というのが前回までの流れです。
今日の絵はこちら↓
出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版)
画面手前で膝をついているのがザビエル。
向かって右上で高い椅子に座っているのがローマ教皇パウロ三世です。
ザビエルの後方右がロヨラ
後方左がイエズス会の仲間であるディエゴ・ライネスです。
窓の奥の景色はローマ風の建物が見えています。
このときにザビエル一行は
叙階(聖職者に任命すること)の許可
をしました。
この絵画はイエズス会の正式な宣教活動が始まったことを意味しています。
画面奥に見覚えのあるものが…
これは司教杖ですね。
隣はおそらく香炉かと思われます。
儀式のときに使用するもののようです。
↑はWikipediaより引用した香炉。
カトリックではなく、正教会の振り香炉ですが、似たようなものなのかな。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。