リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

日本人初のカトリック教徒と、ザビエルが見た船上の悪魔の正体

今日も生きてます。

 

 

16世紀の日本は戦国時代。

 

ザビエルはその時代に日本に布教しに来たわけですが、日本にいるザビエルを描いたカトリックの絵画には、当然ながら日本の風景が描かれています。

 

情報が少ない中、それなりに描き手が東の果て日本を手探りで表現しているところが面白い。

 

ブログでザビエルシリーズを続けていた理由は、この西洋人に描かれた日本をブログに残しておきたかったためです。

 

日本でのザビエル描いてと言われた画家が、行ったことも無い日本をどのように描いたのか…。そもそもザビエルも40歳になるまで日本という島があることを知らなかったのですから、画家がその未知の島の風景を描けるわけありません。

 

わからないなりに想像力を膨らませた島の風景と現実のギャップをみて楽しみましょう。

 

 

ということで今日もザビエルの本「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版を読んでいます。

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ザビエルの生涯が描かれた20枚の連作絵画から、意外と知らないザビエルの生涯を取り上げています。

 

その20枚の連作はポルトガルの首都リスボンサン・リケ教会の聖具室に飾られています。

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出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版

↑リスボンにあるサン・ロケ教会の聖具室。ここに連作絵画が飾られている。

 

ブログでは、布教を始める前のザビエルから連続して取り上げています。

 

 

ザビエルの生涯①

ザビエルは何故アジアまで布教しに来たのか。そもそも布教する前は何してたのか。 - リアル絵描き日記

ザビエルの生涯②

旅に出るザビエルーヴィネツィア編と謎の杖ー - リアル絵描き日記

ザビエルの生涯③

来日したザビエルの腕の価値観雑談と、ザビエルの生涯ーローマ教皇編ー - リアル絵描き日記

ザビエルの生涯④

GO TO ザビエルーインドへ出航編ー - リアル絵描き日記

ザビエルの生涯⑤

 インドでのザビエル - リアル絵描き日記

ザビエルの生涯⑥

 戦場のザビエルー戦地でも能力(奇跡)が発動ー - リアル絵描き日記

 

 

 

 

 

 〇前回までのザビエル〇

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 出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版

インドネシアのモロッカ諸島へ航行中の座礁船を救うザビエル」

アンドレレイノーゾ画、カンバス、油彩

 

ナバラの没落していく自分の一族をしり目に、故郷を離れてパリの大学へ通うザビエル。彼は哲学に興味を持ち、アリストテレスに夢中だった。

 

そんな彼に運命の出会いが訪れる。

それはキリスト教の熱心な信仰者出会ったロヨラだった。

 

同居を始めた二人。ザビエルはロヨラに影響されていく。神の道に目覚めたザビエルは、いつしか仲間7人でイエズス会を立ち上げた。

 

当時カトリック教会は宗教改革の影響も受け、プロテスタントに対抗していた。そこでカトリックは東側であるアジアに布教活動していこうという策略があった。その大事な任務であるアジア布教をイエズス会が任命された。

 

なんやかんやザビエルがアジアに布教しに行くことになった!

 

ザビエルは船に乗り無事インドに到着。現地で精力的に布教活動を続けていく。

インドから活動範囲を広げていき、モロッカ諸島ではポルトガルアチェ王国の交戦の地まで出向いて布教活動に邁進する。 

 

 

 

 

 

前回のブログでも触れましたが、インド各地で布教していたザビエルは、ポルトガルアチェ王国が交戦したマカッラ諸島に訪れ、そこで能力(奇跡)を発動させつつ布教を続けていきます。そこでザビエルは、一人の日本人と出会います。

 

それはアンジロー(ヤジロウとも)です。

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出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版

鹿児島市のザビエル公園に立つアンジローの像

 

 

ヤジロウが何故日本からポルトガルへ来たかはわかりません。

ザビエルの書簡によると、アンジローは若い頃日本で人を殺し、薩摩や大隅に来航していたポルトガル船に乗ってマラッカに逃げてきたそうです。

 

二人を引き合わせたのは船長で、アンジローは人殺しの罪を告白するためにザビエルに会いに行ったのでした。

 

アンジローは洗礼を受けパウロという洗礼名をもらいます。

日本人初めてのカトリック教徒です。

 

アンジローはポルトガル語がうまかったようで、ザビエルに日本のことを話します。ここで初めて日本の存在を知ったザビエルは大変興味を持ちました。

 

この頃ザビエルがローマのイエズス会メンバーに宛てた書簡の中の一部には、下のような内容も書かれています。

 

もしも日本人全てがアンジローのように知識欲旺盛なら、日本人は新しく発見された諸地域の中で最も知識欲の旺盛な民族だと思います。

 

日本から帰ってきたポルトガル商人たちすべてが、もしも私が日本へ行けば、日本人は理性豊かだから、インドの異教徒(の改宗のために働く)よりも、主なる神にもっと大きな奉仕となるであろうといいます。

 

私は心のうちに私自身かあるいはイエズス会の誰かが、二年以内に日本へ行くようになるであろうと思います。その渡航はたいへん危険で、大暴風雨に遭いますし、海上には積み荷を盗ろうと往来する中国の海賊船がいますし、たくさん船が難破していますけれど、私は行きます。

 

ザビエルが日本に興味を強く持っていることがわかりますね。

ここで気になるのが

その渡航はたいへん危険で、大暴風雨に遭いますし、海上には積み荷を盗ろうと往来する中国の海賊船がいますし、たくさん船が難破していますけれど、私は行きます。

 

というとところ。

インドから日本へ行くにはたいへん道のりが険しいことがうかがえます。

それでも俺は行くぜ!というザビエルの強い気持ちも読み取れます。

 

 

ちなみにザビエルとアンジロ―が出会ったのは1547年の12月。ザビエル働き盛りの41歳でした。この後、1549年にザビエルとアンジローは日本に向けて船で旅立ちます。

 

 

この頃東シナ海はどうなっていたかというと、胡椒や日本銀などの密輸ブームで、東南アジア人、日本人、華人ポルトガル人が大勢集まっていました。さすがに明朝はこれを見て見ぬふりをすることはできず、軍を使って東シナ海域の密貿易拠点を攻撃し、破壊しました。これが1548年、ザビエルが日本へ旅立つ前の年の出来事です。

 

つまりポルトガル船は一掃され、ザビエルが船出するには大変タイミングが悪い時期でした。

 

そのためなかなかザビエルを乗せてくれる船が見つからなかったのですが、華人のジャンク船がやっとみつかります。

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出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版

福建海商のジャンクの模型(海外交通史博物館、福建泉州市)

 

 

船の中での旅はザビエルにとって厳しいものであったようです。

ザビエルが船旅についての報告書簡の中で「悪魔」という単語が出てきます。

 

 作業が済むと船長たちは、たくさんの供物を捧げ、偶像の機嫌を取り、幾度も礼拝して、順風が吹くかどうかおみくじを引きました。良い天気になるから、これ以上待ってはいけないという占いが出ましたので、錨を上げ、帆を張って出帆しました。皆、大喜びで、異教徒たちは船尾に恭しく運び出した偶像に灯明をあげ、香木を焚いていましたし、私たちは天地の創造主なる神とその御子イエス・キリストにお頼りして、その愛と奉仕のため、聖なる信仰を広めるために日本へ行くことを喜んでいました。

 

航海の途中で異教徒たちは、この船が日本からマラッカへ無事帰港できるかどうか、おみくじを引き始めました。日本へ行くことはできるが、マラッカへは帰れないだろうと、でました。それで疑心暗鬼になり、直接日本へは行かずに中国へ越冬し、一年過ごすことにしたのです。この航海で私たちが耐え忍んだ苦痛を、考えてみてください。船乗りたちは、おみくじで悪魔が言うことにしか従わないのですから。

私たちは悪魔とその族(やから)の意向に従って、日本へ行くかどうか決めなければならないのです。

 

 

その後、船は嵐に巻きこまれ、ザビエルの従者と船長の娘が相次いで船から落ちて、娘が死亡してしまう不幸な事故が起こります。

 

この事件があった日、異教徒たちは昼も夜も一日中、絶え間なく、食物や飲料を供え、たくさんの鳥を殺して、偶像に供物を捧げて、悪魔の機嫌をとっていました。おみくじを引いて、彼らは船長の娘が死んだ理由を占ったところ、もしもハッチに落ちた私の仲間マヌエルが死んでいたなら、娘は海に落ちることもなく、溺死することもなかったであろうというお告げが出ました。

 

私たちの生命が、悪魔のくじと、その下僕の族の手中に握られていたことを、考えてみてください。もしも神が、悪魔の望むがままに、私たちに害を加えることをお許しになっていたならば、私たちはどうなっていたでしょうか。

 

ザビエルがいう悪魔というのは、中国人の船乗りたちが厚く信仰していた「媽祖」(まそ)という守護神のことです。

 

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出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版

 

中国を代表する航海神で、船中に「船頭媽」という小型の媽祖増を祀り、航海中に日夜祈りを捧げる習慣が古くからおこなわれていました。

 

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 出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版

 

 

 

スペインのナバラ州にあるザビエル城では展示室にこの時のザビエルがみた異教徒が悪魔を崇拝する様子が展示されています。おどろおどろしい演出です。

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出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版

 

 

また、スペインで刊行されたフランシスコ・ザビエルの漫画の中にも同様の場面が出てくるが、まるでカエルのようだ。

 

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 出典:「描かれたザビエルと戦国日本ー西欧画家のアジア認識ー」(鹿毛敏夫編、勉誠出版

 

 

私はキリスト教徒ではないし、媽祖を信仰する立場ではないです。

カトリックでキリストの奇跡や神を信じるザビエルも、他の宗教のことは異教徒と呼び、異教徒の神のことを悪魔と呼び、その異教徒たちがする占いをうさんくさく感じていたのは面白いです。

私からみれば両者そんなに変わりません。

 

この場合占いの結果がガチでザビエルの生命を左右していたため仕方のないことかもしれませんですね。

 

 

 

次回こそ日本へ行きます。

 

 

今日はここまで

最後まで読んでいただきありがとうございました。
akashiaya.jimdofree.com