絵で表現される和歌の世界
今日も生きてます。
秋の夜長といいますが、暗くなったら速攻で寝てしまってる明石です。
毛布でぬくぬくするのは幸せです。
さて、「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(監修矢嶋新)を読んでます。
以前ヤマタノオロチを取り上げたときに、「古事記」「日本書紀」の中でスサノオノミコトが日本で最初の和歌を初めて詠んだ、という伝説があることを取り上げました。
ヤマタノオロチー日本神話のモンスターー - リアル絵描き日記
日本最古の歌集「万葉集」には、身分に関係なくたくさんの日本人の和歌が選ばれています。
そこから、和歌は古くから日本の文化の中に浸透していたことが推測できます。
平安時代、和歌は貴族の文化の中心になり、歌会などが開催されるようになります。
そうすると歌集が多く編纂されました。
和歌を書くための紙の事を「料紙(りょうし)」と呼びます。
金銀箔などの装飾が施されたものです。
和歌が発達するにつれ、それを書くための書体や、装飾が発達していきます。
料紙にも、
歌の内容を意味するものを描く「歌絵」や、
仮名や漢字を景色の中に隠し文字のように描く「葦手(あしで )」
が描かれるようになります。
白隠「人丸図」
和歌をテーマにした絵や工芸作品は、繰り返し繰り返し制作されます。
そうすると決まったモチーフが特定の和歌を意味するようになります。
西洋美術の中にも、特定のモチーフが聖書の一場面や聖人、ある物事を暗喩する(メタファー)ことがあるので、似たようなものなのかな?
↑長谷川派「武蔵野図屏風」
武蔵野は
月に入るべき山もなし
草より出でて草にこそ入れ
詠み人知らず
(武蔵野には月が入るような山もないので、月には草むらが昇って草むらに沈んでいく)
屏風には、萩やススキ、秋草、そして月と富士が描かれています。
↑の和歌の内容に合わせて描かれました。
桃山時代から江戸時代初期にかけてこのような「武蔵野図」が数多く制作されました。
↑武蔵野図屏風(17世紀、サントリー美術館蔵)
ちはやぶる
神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは
(神の時代にもこんなことは聞いたことがない、竜田川が紅葉で鮮やかな紅に染まっていることよ)
器には色とりどりの紅葉した葉、内側には流水紋が描かれています。
紅葉した葉×水の模様は在原業平の和歌を表現していることが多いです。
個人的には、落語にこの和歌を取り上げた話があるので、それを思い出してしまいます。
風流だなあと思う前にふふっとなってしまいます。
↑も尾形乾山の作品
定持詠十二ヶ月和歌花鳥図「拾遺愚草」より「六月」
藤原定持の代表作がほとんど納められている歌集「拾遺愚草」(しゅういぐそう)から描かれた作品。
個人的にはゆるふわな絵にしか見えない。(教養不足!)
尾形光琳は遊び人気質でお金を弟によく無心していたそうな。
たぶん弟はしっかりものだったんだろうな。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website