天橋立ー神が降り立った場所ー
今日も生きてます。
デジタルを取り入れようと四苦八苦しています。
読書は嫌いではありませんが、読む必要があるものが増えますね。(マニュアル書)
そんな中にカメラの仕組みの本を借りに図書館に行くと面白そうな他の本も借りてしまい…
源氏物語も読みたいし…
あわわわわわ…
今週はたくさん文字を読むことになりそうです。
さて、そんな中でも「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(監修矢嶋新)を読んでます。
江戸時代は庶民の間で旅が流行ったそうです。
もともと移動を厳しく禁じられていたのですが、信仰のための移動なら許されるようになります。
そこから伊勢参りブームがおこり、おそらく信仰は建前で娯楽や温泉目的で旅をする人もいたのでは?
浮世絵でも有名な場所を描いた名所絵がブームになりました。
その描かれた名所の一つが「天橋立」です。
京都府の宮津湾に全長約3キロメートルにわたってのびる砂州が「天橋立」(あまのはしだて)
北側(傘松公園)からの眺望 ↑
古事記の中にイザナギとイザナミが日本の国を作り出す場面があります。
そこでは、イザナギとイザナミは天の浮橋という空に浮かんだ橋の上で海を矛でこをろこをろまわし、そこからオノゴロ島ができます。
二人の神はそこの島で愛を育み、日本の島の数々を生み落とすことになります。
イザナギとイザナミが矛で海をかき回していたときに立っていた橋「天の浮橋」、これが「天橋立」だといわれています。
雪舟筆「天橋立図」(京都国立博物館蔵、国宝) 東側より - 雪舟観↑
昨日の富士山の絵でもそうですが、雪舟が描いた絵が、後の絵師たちの手本となっています。
昨日のブログ↓
http://akashiaya.hatenadiary.jp/entry/2019/11/11/095429
上の絵は雪舟が大名大内氏が、他国の情報を伝えるために描いたとされたものです。
描き直しや描き足しのあとがみられ、完成形ではなく、下絵ではないかと言われています。
↑歌川広重「六十余州名所図会丹後天の橋立」
広重が全国の名所を描いた連作。
この天橋立は和歌にも詠まれています。
若くして和歌の才能に優れた小式部内侍が、つくった和歌を「母親の代作だろうと?」からかわれたときに、返歌として天橋立の入った歌を詠んでいます。
大江山いくのの道の遠ければ
まだふみもみず天の橋立
大江山を越えて、生野への道が遠いので、私は天の橋立いったことないし、母からの手紙も見ておりません。
風光明媚な地として知られるようになっていたということがわかります。
きょうはここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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