貧しさと少女画
今日も生きてます。
制作中…
これから金箔などを振りかけます。
もっとうまくはやくなりたい…
なんか吉野家なんかのキャッチコピーみたいだ
さて、今日も筑摩書房から出版されている「美少女美術史」池上英洋さん荒井咲紀さん著を読んでます。
以前からブログで貧しい子供が描かれた理由というものを取り上げてました。
http://akashiaya.hatenadiary.jp/entry/2018/04/11/000000
http://akashiaya.hatenadiary.jp/entry/2018/11/22/114027
今日はその中でも少女が描かれたものを取り上げてみていきます。
ちなみに簡単になぜ貧しい人々が描かれた絵が残っているかというと、カトリックは人が善行を行うことを神は望んでいて、そしてそれを見ているということを広めていました。
なので神への善行のアピールとして富裕層が貧しい人間が描かれた絵を注文していました。
上の作品はバルトロメ・エステバン・ムリーリョの「幼い果物売り」という絵です。
手の平の硬貨を少女少年が見ています。
題名からもわかる通り彼らは幼いながら果物を売る商売をしていて、今日の売り上げを確認しているような様子です。
画面右端の草むらは廃墟周辺の薄暗さをかもしだし、二人が社会から見捨てられていることがわかります。
少女の履き物は穴が開いており、貧しい生活環境が想像できます。
ホアキン・パリャレス「捨てられた子供たち」
みすぼらしい服装の子供が二人描かれています。
少女は少年を心配してますが、少年は息を引き取ったところのようにも見えます。
二人は立派な扉の前にいて、彼らが施しを求めて扉を叩いたことが想像されます。
富める者と貧しいものの格差が描き出され、富裕層を攻撃しているようにも思えます。
実際にはスペイン王がこの作品を購入しているそうです。
トマス・ゲインズバラ「子犬を抱く少女」
ゲインズバラは肖像画は金銭のためと割りきってかいていましたが、この作品は肖像画ではありません。
風景画を志していた画家というだけあってモデルの後ろに広がる風景にも力が入っています。
このモデルは実は少年らしいです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。