風景画
今日も生きてます。
池上英洋さん著「西洋美術史入門」をずっと読んできましたが、だいぶ終わりが近づいてきました。
一回サラッと(読みやすいこともあり)読んだことありましたが、きちんと読むと細かいとこまで考えさせられますね。
さて、今日は風景画について書きたいと思います。
風景画というジャンルは宗教画や歴史画などに比べると比較的新しい分野です。画家が風景の美しさを描こうとして描いた風景画というものがどこから登場してきたのかを見ていきたいと思います。
アンニーバレ・カラッチ
「エジプトへの逃避」1603年
上の二枚は聖書の同じ場面を主題にしたものです。同じ主題にしてはアンニーバレ・カラッチの作品は人物の扱いが小さめで、風景が主役のようです。
この時代、画家は風景を描こうと思っても風景画を描く事はできなかったようです。
教会が最大のパトロンとして君臨していた時代には宗教画の需要はあれど風景画の需要はほぼ皆無でした。
アンブロージオ・ロレンツェッティ〈善政の寓意〉(部分)1338-40年
アンブロージオ・ロレンツェッティ〈悪性の寓意〉(部分)1338-40年
↑の二枚はイタリア中部の都市シエナの旧政庁にある壁画です。
善政の寓意の中では都市と田園の景色が描かれています。風景のようです。
しかしこの風景はルネサンス時代に繁栄したシエナの自画自賛のために描かれています。悪政の寓意は自分たちを律するために描かれています。
同じような目的のために描かれた風景にランブール兄弟が描いた「ジャン・ド・ベリー公のためのいとも豪華なる時禱書」があります。
これはベリー公のおかげで民は幸せに暮らしているということをアピールする目的があります。
純粋に風景を描こうとした最初の画家は…?
と探すと17世紀のオランダでみつかります。
17世紀のオランダは商人が主なパトロンでした。自宅の壁に飾るのには痛々しいキリストの磔刑図よりもニュートラルな風景画の方に需要がありました。
マインデルドホッベマ「ミッデルハルニスの並木道」
ホッベマは近隣の風景を描き続けた画家です。貧困のうちにこの世を去りました。
もう一人オランダの風景を描き、そして成功した画家にロイスダールがいます。
ヤーコプ・ファン・ロイスダール「ワイク・バイ・ドゥールステーデの風車」
ロイスダールはホッベマに比べると風車など「オランダの風景」というようなものを多く描きました。なので風景画としてみるよりもシエナの〈善政の寓意〉の壁画と同じ種類の風景かもしれません。
私も家に飾るなら風景画がいいなーとか本を読みながら思っていてふと振り返ると、人の顔の絵ばかり飾っていました。
人物画もいいですよね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。