コロッセオはなぜ壊れたままの姿なのか
今日も生きてます。
美術雑誌百兵衛に掲載していただきました。
アートソムリエ山本冬彦さんのコラムの中で紹介されています。
美術屋百兵衛
『美術屋・百兵衛』(びじゅつや・ひゃくべい)は、2007年に創刊された、麗人社から発行されている季刊の美術雑誌[1]。A5サイズ。全国47都道府県の美術を中心とした文化を紹介する雑誌である。各号ごとにひとつの都道府県を特集し、その地域の文化全般を紹介するほか、日本全国の美術ニュース、展覧会ガイドなどを掲載している。
地元の情報がたくさん載っていて秋田県出身者として楽しいです。秋田県在住のかたはもっと楽しめると思います!
そしてそんな雑誌に名前が載って嬉しいです。
ありがとうございました。
さて、今日も池上英洋さん著「西洋美術史入門<実践編>」を読んでます。
昨日は風土の関係から建築では日本は木が使われており、西洋では石が使われてきた。という話をしました。
今日は続編です。
↑はローマにあるコロッセオです。
私は高校生の頃デザイン史のアーチの授業で勉強しました。観光名所でもあるので認知度は高いかと思います。
昔から思っていたのですがこのような半壊の原因とそれを維持している理由はなんでなのでしょうか?
コロッセオは80年に作られた建築物で高さは50メートル近くあり、5万人を収用できた円形闘技場です。
ローマ帝国が滅びたあとコロッセオは用途を失いそのままにされていましたが、ローマに数多くの教会が建てられ始めると、大理石で作られたコロッセオは格好の採石場と化してしまいました。
そして今のような約半分を失った形になったそうです。
なぜ復元した形にしないのか?というと素材の石が、永続性を持つと考えられていたため別の素材で置き換えられてしまうとそのもののオリジナリティが失われると考えられていたからです。
ここが式年遷宮で着物から建物までそっくり変えてしまうニホンとの考えの違いです。
修復の基本書「修復の理論」にこのような記述があるそうです。
ある古代のモニュメントに使われた石材を採り出した採石場を特定できたというだけの理由で、そこから石材をさらに切り出してそのモニュメントの再建に使ってもよいと信じる人がいたとしよう。しかし実際にはそれはあくまで補填であって、修復ではないから、物質が同じであるという事実から彼が修復であると主張してみても、正しいと認められないのである。
どこからが作品でどこからがそうではないのかについて考えさせられますな。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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