ツタンカーメン
今日も生きてます。
今日は風が強いですね。
飛ばされそうです。
さて、昨日は節制のアレゴリーについてかきました。
今日はツタンカーメンです。
小さいときは昔の美術作品の像の造形があまり写実的ではないのは技術が足りないからだと思っていました。
今日はそんなこと無いよという話です。
ツタンカーメンは写実的ではないですよね?本人がどんな顔をしていたかはわからないのでもしかしたらそのものかもしれないという可能性もありますが…
ツタンカーメン 紀元前1324年
こちらは王妃ネフェルティティの像です。
王妃ネフェルティティの胸像、紀元前1345年
時代的にはネフェルティティの像の方が古いものですが、ネフェルティティの方がずっと人間らしく本人らしく作られています。
この表現の差は何故できたのか?というと、当時のエジプトの宗教的&政治な理由があるわけです。
エジプトの人々は多神教を信仰する国でした。
しかし、新しく王位に就いたアメンヘテプ四世は多神教を否定し、アテン神を唯一神として崇拝するように命じました。
アメンヘテプ四世の妻が上の像にもなっているネフェルティティです。
そして時代が代わりアメンヘテプ四世が亡くなり王位には義理の息子が就きました。
それまでアメンヘテプ四世が推したアテン神は否定され、以前信仰していた多神教に戻ります。
このときの王が上のツタンカーメン、ファラオです。
多神教の世界の中ではファラオも現人神として神々の一角を占めています。
なので、ツタンカーメンの像は人間というよりも神として神々しく表現されているのです。
一神教を信仰していたアメンヘテプ四世の時代は王も一人の人間でした。なのでその妻ももちろん人間です。なので、肖像として本人に似せて像が作られています。
美術史というと様式だけ追って見てしまいますが、その背景にはいろいろな政治的な理由も影響を与えているんだなあと考えさせられます。
今日はここまで。
今日もご覧くださりありがとうございました。