聖書では偶像崇拝禁止なのになぜ聖母子像などがあるのか
今日も生きてます。
誰のカッターかわからないものが私の筆箱に入ってる。
百貨店の美術画廊の展覧会が終わると、展示している人はなるべく早く片付けと搬出の作業をします。
展覧会のお知らせなど、会期のところに注意書きで最終日は17時閉場と書かれているものもありますよね。
次の展示の飾りつけのため最終日は早く終わります。早く次の人に会場を明け渡すためです。
搬出の時は気持ちが焦るのもあり、バタバタしてものを借りたりそこに置いてあるのを勝手に使ったりします。(私だけ?)
おそらくその時のカッターだと思うのですが…。誰のかなあ。
まあいいか。
さて池上英洋さん著の「西洋美術史入門〈実践編〉」を読んでいます。
私の素朴な疑問の答えがサインについて書かれている中に載っていました。
画家が作品にサインをするようになったのはプロト・ルネサンス以降(ルネサンスの幕開けの時代のこと)だそうです。
中世の作品というのはキリスト教美術ですが、その中では画家の個性は必要なく、むしろ発揮されない方がよいとされていたそうです。
ここからが私の素朴な疑問で、キリスト教は偶像崇拝(または偶像礼拝)禁止なのになぜこんなにキリスト教の作品が残っているかということです。
まずなぜ偶像崇拝が禁止されているかというと、キリスト教、ユダヤ教が一神教であることで、神は一つで他と区別する必要が無いからということ。
また「ヤハウエ」という呼び方は英語のbe動詞にあたる言葉で、これは呼び名のないものをどう他人に説明していいかわからないというモーセに対して「どこにでもいる者」と説明せよという逸話からきているそうです。
他にも、何かのイメージで固定してしまうと他と比較対象できてしまうことや、まわりの多神教と差別化するためという理由もあります。
「ケルズの書」8世紀
しかし中世のような識字率の低い時代には文字による布教や説明には限界があり、イメージに頼るようになります。
そして、聖母子像などはその向こうにいる信仰対象を崇拝するための「窓」、「聖なる容器」と説明されたそうです。
そのため聖母子像も「聖なる容器」としてふさわしいとされた形式を忠実に繰り返すことが求められました。
なので画家の個性など必要ではなく、サインもされませんでした。
布教の都合でキリスト教の作品が生まれていったということですね。
私なら「聖なる容器」と言われても納得できないかも。
今ある傑作もみんな聖なる容器という扱いなのかなあ。
中世の画家(職人)たちは信仰心から作品をつくっていたのかな…気になるとこです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。