リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

画家の死を予言した絵「死と乙女」のホラー。エゴン・シーレが描いた作品は何を意味していたのか。通説と勝手な個人的新解釈披露。

今日も生きてます。

 

友人に占いの学校に勤めている人がいます。

 

私自身はスピリチュアル・占い・幽霊・魂・死後の世界・神…迷信や霊的なものなどは信じないタイプでした。

 

しかしその友人の影響を受けて、今では「私が感じられないものもこの世界には数多く存在しているんだ。」と、価値観が変わりました。

 

その友人の話では「作品を制作している人には、そういう(第六感的な)感覚があり、表現しているのは無意識的(神秘的)なところから影響を受けている」と言っていました。

(表現は違いますが大体このようなことを言っていました。)

 

なので芸術作品は霊的なものと通ずるものがあるのかもしれません。

 

今日は画家の死を予言したかのような作品 エゴンシーレの「死と乙女」を見ていきます。

 

エゴンシーレ画「死と乙女」

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出典:エゴン・シーレ - Wikipedia

 

 

 

 

 

エゴン・シーレ

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出典:エゴン・シーレ - Wikipedia

 

 

この作品を描いたのはエゴン・シーレです。

 

エゴンシーレは19‐20世紀のオーストリアで活躍した画家です。

 

幼少のころから美術の才能を認められていて、ウィーン美術アカデミーに進学します。しかし保守的な価値観が合わずに退学します。

 

その後クリムトのもとに弟子入りし、クリムトの支援のもと制作を続けます。

 

第一次世界大戦が勃発すると従軍します。

大戦が終わりに近づく頃、クリムトが開催した展覧会「第49回ウィーン分離派展」でエゴン・シーレの新作が50点以上展示されます。

 

それが評判を呼び、注文が舞い込むようになり、人気画家としての兆しが見え始めたころにスペイン風邪で亡くなってしまします。

 

エゴン・シーレ画「自画像」(1912年

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出典:エゴン・シーレ - Wikipedia

 

 

 

 

 

エゴン・シーレの男女関係

エゴン・シーレ画『裸体の女』(1917年)

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出典:エゴン・シーレ - Wikipedia

 

「死と乙女」が描かれた背景を語るには、エゴン・シーレの男女関係を話す必要があります。

 

描かれている女性はエゴン・シーレの彼女、そしてモデルであったのヴァリ・ノイツェルです。

 

彼女はモデルとしてエゴン・シーレの制作を支えていましたが、1914年に中産階級職人の家の娘であるエーディトと結婚します。

 

社会的に認知されやすい裕福な娘を選んだということです。

 

しかしモデルのヴァリ・ノイツェルに未練があり、愛人として関係を継続することを提案しました。

(なんてことしてるんだ…)

 

性的に奔放であったヴァリ・ノイツェルですが、エゴン・シーレの愛人契約をきっぱり断り、二度と姿を現さなかったようです。

 

「死と乙女」はこのときに描かれた作品です。

 

 

 

 

 

「死と乙女」に描かれているもの

エゴンシーレ画「死と乙女」

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出典:エゴン・シーレ - Wikipedia

 

 

西洋美術では、伝統的な画題のひとつにメメント・モリがあります。

メメント・モリラテン語「死を覚えよ」を意味します。

 

死を象徴するようなモチーフを描き、限りある生を示唆する表現方法です。

そのモチーフには若くて美しい乙女もありました。

 

これは若さも美しさも、いつかなくなり死によって連れ去られてしまうという「美の虚栄」や「儚さ」を意味しているからです。

 

エゴン・シーレの「死と乙女」にはそのメメント・モリの手法を使用しています。

 

描かれている男性はエゴン・シーレ

男性にしがみついているのはモデルのヴァリ・ノイツェルです。

 

これはエゴン・シーレは自分を「死神」に見立て、モデルのヴァリ・ノイツェルを生の儚さを象徴する「乙女」に見立てて表現しているのだと思われます。

 

ヴァリ・ノイツェルがシーレに捨てられたということを考えると、絵の中の女性であるヴァリがシーレに未練があるように腕を回しているように見えます。

 

しかし実際はシーレがヴァリ・ノイツェルに未練があり、愛人契約の提案までしたのにきっぱり断られています。

 

絵の中のエゴン・シーレは驚いた表情していませんか?

ヴァリ・ノイツェルに拒絶されて驚いている顔とも取れます。

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「人騒がせな名画」のなかで著者である木村泰司さんはこの作品のことを「男のエゴイズムによる自惚れと愚かさ」を象徴した作品ともいえる…と、少々厳し表現をされていました。

 

 

 

 

 

個人的解釈

 

ここから勝手な解釈です。

 

元カノであり、モデルであったヴァリ・ノイツェルは、シーレと別れた後は、従軍看護婦としてクロアチアに出向き、1917年に23歳で亡くなります。

 

そして翌年、結婚したエゴン・シーレと妻エーディトもスペイン風邪で亡くなってしまいます。エーディトにはおなかの中にクリムトの子供がいました。

 

エーディトが先に亡くなり、後にエゴン・シーレが亡くなっています。28歳でした。

 

画家としての成功が見えてきたとたんに本当に悲しいことです。

 

 

冒頭で芸術作品をつくっているような人は、無意識のような神秘的なものから影響を受けて作品を作っているという話をしました。

 

エゴン・シーレとヴァリ・ノイツェルのことを知ってからこの作品を見ると、なんだか先に亡くなったヴァリ・ノイツェルがシーレを捕まえにきたみたいに見えてきました。

 

だからこんなエゴン・シーレはびっくりした顔してるんじゃないかな。

 

病の床に臥せているエゴン・シーレをヴァリ・ノイツェルが引きずりこもうとしている。こわい。

 

シーレは無意識に死の直前に自分の身に起こる恐怖を描いてしまったんじゃないかな。

 

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めちゃくちゃ怖い絵に見えてきませんか?

ホラーですね。

 

全て私の勝手な妄想なので安心してくださいね。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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誰の裸なのか。アウトかセーフかはそれで決まる。19世紀パリの美術事情とマネのスキャンダル作品。

今日も生きてます。

 

百貨店の美術画廊や、銀座のギャラリーに行かれる方ってどのくらいいるんでしょうかね

初心者からすると、とても入りづらい雰囲気ですよね(笑

 

私が大学一年生の時に初めて展示したのは東武池袋店の美術画廊でした。

 

事前に展示する作品が配達では間に合わず、渋々自分で手持ち搬入したのですが、あんまり「美術画廊」という看板が立派で、長い間怖くて入れずに、大きな荷物をもってうろうろしてました。(田舎者なので…

 

百貨店では絵画などの芸術作品は高い階で売られていて、同じ階には宝飾品や時計など、高級商品を取り扱っていることが多いです。

 

デパ地下や他のフロアと雰囲気が違うので慣れないときついです。

(今でも苦手かも)

 

芸術品のイメージって「高くて」「高貴」なものがありませんか?(訳が分からないという方もいらっしゃるかもしれない)

 

それは19世紀の西洋美術でも同じでした。

 

ということで、

今日は前回に引き続き19世紀パリの巨匠マネの絵画を見ていきましょう!

 

前回のブログ↓

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アンリ・ファンタン=ラトゥール画 マネの肖像画(1867年)

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出典:エドゥアール・マネ - Wikipedia

 

 

 

フランスの高貴な芸術と理想

 

マネの作品を理解するには、当時の美術の価値観を知っておくとわかりやすいかもしれません。

 

19世紀のフランスの美術業界の権威は3つありました。

 

エコール・デ・ボザール

 (17世紀に設立されたフランスの美術の教育機関)

 

芸術アカデミー

 (会員制の芸術家団体)

 

サロン

 (アカデミーが開催した公募展)

 

 

 

画家として成功するにはサロンに入選したり、芸術アカデミーの会員になることが近道でした。(貴族やお偉いさんのお客さんがつきやすくなる利点があったのではと推測します。)

 

このアカデミーで「良い」とされていた芸術は「古典主義」です。古典というのは古代ギリシャの芸術のことです。

古典主義のことをアカデミズムとも呼びます。

 

必然的に歴史画や神話などの画題が「良い&理想の美術」になっていきます。

 

 

 

 

 

描かれたのは「誰の裸」?

 

エドゥアール・マネ画「草上の昼食」

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出典:草上の昼食 - Wikipedia

 

前回取り上げたマネの作品は「草上の食卓」です。

この絵はサロンに落選してしまいました。

鑑賞者からは「不道徳」「いかがわしい」などと批判されてしまいます。

 

そして同じ年にサロンで絶賛されたのが↓の作品です。

 

 アレクサンドル・カバネル画『ヴィーナスの誕生』(1863年

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出典:アレクサンドル・カバネル - Wikipedia

 

 

現代日本に生きる私としてはこの作品の方がいかがわしいと思いますが、皆様どう思われますでしょうか。(エロス!)

 

当時フランスの美術アカデミーの考え方ですと、裸と言っても「神」の裸は描いてもいいし、それはいかがわしいものではないという考え方でした。

 

描かれた裸のヴィーナスを下から仰ぎ見る構図で描こうが、ヴィーナスが脇の下を見せてうふーんなポーズをとっていようが関係無かったようです。

 

絵画が裸婦をどれだけ官能的に魅力的に表現しても、それは神話の世界なのでセーフです。(ちなみに画題が神話ならモデルが現実の女性でもセーフ)

 

しかし、マネが絵画に描いたのは現実の女性でした。

しかも娼婦をにおわせるような描き方。

 

これは当時においては前衛的な画題でした。

 総括すると美術アカデミーがマネの作品を良しとしなかった理由は以下のようなものです。

 

当時の風俗を表現していること

現実の女性の裸を描いていること

高貴な芸術に不釣り合いな娼婦のような女性が描かれていること

 

 

 

 

 

マネ、開き直る。

 

1863年に草上の食卓が発表されてスキャンダルになったマネ。

たくさん批判されましたが、1865年にはもっと過激な作品を発表します。

 

エドゥアール・マネ画「オランピア

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 出典:オランピア (絵画) - Wikipedia

 

 チョーカーや腕輪を身に着けた裸の女性が、ベッドに横たわっています。

ぱっと見たところ、21世紀の現代の女性だよと言われても通じるほど現実的な裸婦です。

 

しかも題名のオランピアは当時のパリの娼婦たちの通称であったとか。

 

信念を貫いたのか、開き直ったのかはわからないが、マネは現代の女性の裸婦を発表することを止めませんでした。

 

もちろんこの作品もスキャンダルを巻き起こしました。

 

 ちなみにこのときのスキャンダルは相当心に負担がかかったようで、その後マネはスペインに傷心旅行をしています。

 

 

 

マネの影響

 

モネ、セザンヌゴーギャン

後に印象派として有名になっていく画家たちにマネは刺激を与えました。

 

セザンヌゴーギャンはマネの作品からインスピレーションうけた作品を制作しています。

 

セザンヌ画『草上の昼食』

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出典:エドゥアール・マネ - Wikipedia

 

ゴーギャン画『死霊が見ている』

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出典:エドゥアール・マネ - Wikipedia

 

 

 

 

 

マネが起こしたスキャンダルって現代日本でもありますよね。

見たこと無い、または見たくないような表現をした作家の作品を目前にすると、私たちは困惑してしまいます。

(むしろこのような手法の方が今においては主流なのかな?)

 

マネのスキャンダル事件を知ると、現代を表現する現代アートや、新しい価値観を重宝する西洋美術の流れが少し見えてきますよね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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描かれたのはパリの娼婦?パリでスキャンダルを巻き起こした巨匠マネの絵画「草上の食卓」の真相

今日も生きてます。

 

『最貧困女子』や『熟年売春〜アラフォー女子の貧困の現実』など、貧困関係の著書を執筆している鈴木大介さんや中村敦彦さんの本を在学中読んでいました。

 

日本(というか東京)の売春の実情や、その人々の取材の様子など書かれた文章から、私の全く知らない世界があるんだと驚きでした。

 

もちろんすべてが本に書かれている通りというわけではなく、配慮や脚色があると思います。全ては側面です。

 

今まで風俗や水商売とか性関連商売と全く縁の無い人生を送ってきたので、この世には隠されているものがたくさんあるのだと感じています。

 

そもそも誰が何を「問題」としているのかとか、人間の自由や幸福って何かとか、深いです。

 

秩序がある社会で生活していると思っていたくて、見たくないものを見ないようにしているだけかもしれません。

 

今日取り上げるマネの絵画「草上の食卓」は、そんな見たくない実情を、さらっと描いてしまった作品です。

 

エドゥアール・マネ画「草上の昼食」

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出典:草上の昼食 - Wikipedia

 

この作品をみてどのように感じられますか?

 

女性が裸なの?(屋外で裸?)

男性二人は女性のこと無視してる?

奥の女性は結構画面上で目立ってますけど何か前の人々と関わりあるんですか?

手前のくしゃっとした布と果物どうしてあんな雑に置かれているの?

(パンが直接地面についちゃってるよ!)

 

以上が私がこの作品から感じたことです。

美術畑出身ですが初見で作品を深読みすることはできません。

 

 

 

 

 

19世紀のパリと娼婦

この作品が描かれたのは1862年1863年です。

 

描いたのは生粋のパリっ子 エドゥアール・マネ

 

 アンリ・ファンタン=ラトゥール画 マネの肖像画(1867年)

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出典:エドゥアール・マネ - Wikipedia

 

マネが生きた19世紀のパリは、産業革命によって、たくさんのものがつくられ、そのものを作るために労働者がパリに集まっていました。

 

そんな労働者たちの需要もあり、パリでは娼婦が激増します。

当時女性たちが就くことができる職業の賃金が安かったということもありました。

 

売春が増えたために性病も増え、19世紀にヨーロッパでは娼婦登録制による売春公認政策がとられたほどです。

 

ただ、売春をしていた女性は公認の登録されていた人だけではなく、街中で客引きをするものやキャバレーの踊り子やバレエダンサー、様々な女性が売春をしていたようです。

 

 

 

 

 

19世紀のパリっ子は「草上の食卓」から何を読み取ったか

 

エドゥアール・マネ画「草上の昼食」

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出典:草上の昼食 - Wikipedia

 

この「草上の食卓」というのは後から改題したもので、最初は「水浴」として発表されています。

 

この作品が描かれたときに、パリ郊外のセーヌ河畔でのレジャーが流行していたようです。描かれた男性の服装も当時のもの。

 

よってこの作品をみた当時のパリっ子は、この作品は今のことを描いているのだと認識します。

 

そして服を着た二人の男性とともにいるのはなぜか「裸の女性」

 

現代の私たちはこの作品をみてもそこまで読み取ることはできませんが、19世紀のパリっ子がこの作品を見たときに感じたのはパリに蔓延している売春と娼婦たちの存在でした。

 

写真の発明と共に出回っていたポルノ写真を連想する人もいました。

 

なのでこの作品を見た人は激怒。

「不道徳」「いかがわしい」と非難されてしまいました。

 

 

 

これを現代の私たちで考えてみると、生活の中で見ないように、関わらないようにしている物事を、絵画に表現されて目の前に突き出されたということです。

 

目をつむりたくなったり、非難したくなったりするかもしれませんね。

 

 

 

 

この作品は当時フランスで権威的な公募展である「サロン」に出品したものでしたが落選。

 

なぜ人目に触れることになったかというと、サロンに落選した者たちの作品を展示した「落選展」が開催されたためです。

 

あんまりサロンに落選した作品が多かったため、落選した美術家が抗議し、それを受けたフランス政府が「一般の諸君がこの抗議が正当なものであると判断してくれることを望む」として開催したものです。

 

 

この草上の食卓が落選したときサロンで絶賛されていたのはこの作品。

 

 

アレクサンドル・カバネル画『ヴィーナスの誕生

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出典:エドゥアール・マネ - Wikipedia

 

 

 

マネの草上の食卓と比べてもカバネルのヴィーナスの方がすごく…いかがわしいと思いませんか?(エロス!)

 

なぜカバネルの官能的な作品は大絶賛で、マネの草上の食卓はいかがわしいのか?

 

次回はそこについて触れていきたいと思います。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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華やかな絵にみえる?これは「パリの暗部」です。フランス絵画界スキャンダル王「マネ」の名作を鑑賞しよう!①

今日も生きてます。

 

昼寝って幸せですよね。

生きてて良かったって感じるの昼寝の後なんですよね。

 

映画を見ていて気が付いたら寝ているのでオチは夢の中で見てます。

今度エクソシストを見ながら昼寝してみようか。

憑りつかれちゃうかなぁ。

 

 

さて、今日はマネのフォリー・ベルジェールのバー」という作品を見ていこうかなと思います。

 

 

描いた人マネについて

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出典:エドゥアール・マネ - Wikipedia

エドゥアール・マネ1832年 - 1883年)は、19世紀のフランスの画家。近代化するパリの情景や人物を、伝統的な絵画の約束事にとらわれずに描き出し、絵画の革新の担い手となった。

 

 

 

マネって一般的に有名なんでしょうかね?

西洋美術史の中では近代絵画の父と呼ばれるほどの巨匠です。

 

印象派に影響を与えたとも言われます。

でもモネやルノワールと同じようにマネの絵画を見てもわからないですよね。

感覚的にきれいなだけの作品ではないです。

 

表現方法もそれまでの伝統と比べたら新しいかもしれませんが、マネの作品は描いた内容の方が革新的でした。

 

なので今回は絵画に描かれた内容を見ていきたいと思います。

 

 

 

 

フォリー・ベルジェールのバー

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出典:エドゥアール・マネ - Wikipedia

 

これはマネが1882年に発表した作品です。

 

この作品をご覧になってどのような感想をもたれますか?

 

私は「パリってやっぱおしゃれだったんだなあ~」と思いました。

 

 

表面的には華やかさが前面に描かれている作品なので私のように考える方もいると思うのですが、マネが表現したかったことはそういうことではないようです。

 

 

 

 

当時の「パリの暗部」

 

当時華やかなパリの劇場は社交場である同時に売春婦がたむろした場所でもありました。絵画の真ん中に描かれている女性バーテンダーのような人も身体を売ることがあったようです。

 

マネは発展していく都市の中に住んでいて、人間さえも商品になっていることを感じていました。

 

技術が発展して様々な「商品」が生み出され、その「商品」を購入するために自らを「商品」として売っている女性がパリにはたくさんいました。

 

絵画には虚ろな表情のバーテンダーが客と会話しています。

 

その姿はバーの商品である酒と同じように並んで描かれています。

まるで彼女も商品であるみたい。

 

 

これを知ると最初ただ華やかに見えていた劇場も、その華やかさの裏にはたくさんの闇があったことがわかりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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女子大生はいないの?18世紀イギリス美大生のアトリエ風景からわかる当時の男女格差。

今日も生きてます。

 

あと5日ですね。

一年ほんとうにあっという間です。

 

今年を振り返ると、世界がウィルスの影響を受けて今までとは全く変わりましたよね。

なにをするにも感染予防に努める(なければならない)世の中になりました。

 

人が集まれなくなったとか、テイクアウト・テレワークが増えたとか、常にマスクしてるとか…誰がこんな日常予測したでしょうか。

 

一番驚きなのは世の中がこんなに変わったのに、私の日常生活全く変わらないということです。

 

家出るときにマスクはしますが、外には基本出ないで家で作業しているし、旅行は好きではないし、人混みも苦手です。

 

私ってみんなと同じ世界に住んでるよね?とたまに心配になることがあります。

 

 

 

さて、今日は18世紀に設立されたイギリス最古の美術学校である「ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ」のアトリエを描いた一枚の絵画を見てきます。

 

(※ブログタイトルのは美大生と表記しましたが、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツは今は大学院に相当するようです。)

 

 

 

ヨハン・ゾファニー画「ロイヤル・アカデミーの会員たち」

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出典:メアリー・モーザー - Wikipedia

 

ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツはイギリス最古の美術学校で、1769年に開校しています。

 

創立メンバーは36名です。

 

↑の絵画ではその36名がアトリエに集合した様子です。

 

集合写真のようなものですね。

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背景には石膏像のようなものが置かれています。

 

 

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みんなびっちり正装っぽい服装をしている中に裸の男性がいます。

この方々はヌードモデルです。

 

実はこの創立メンバー36人のうち、2名女性がいます。

この絵の中に描きこまれているのですが、わかりますでしょうか?

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すぐお分かりかもしれませんが、実はここに描かれています。

 

 

 

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壁の絵の中に描かれているんですよね~。

 

 

見方によっては差別なの?

いじめなの?

 

と捉えられてしまいますが、これは当時の倫理観的に女性が裸の男性モデルを描くことを(というよりも同じ空間にいること)が良しとされていなかったためです。

 

そういったことから絵の中でも裸の男性モデルがいる空間と同じところに女性を描くことを止め、壁の絵の中に表現したのでしょう。

 

配慮という見方もできますね。

 

 

 

この壁に掛けられた女性画家二人はメアリー・モーザーアンゲリカ・カウフマンです。

 

 

ジョージ・ロムニー

メアリー・モーザーを描いた肖像画 

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出典:メアリー・モーザー - Wikipedia

メアリー・モーザーはロンドンに生まれです。

 

父親はスイス生まれの美術家で、親から美術の教育を受けていました。

24歳の時にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの創立会員に選ばれました。父親と共に会員になっているので、女性ながらにして会員になれたのは、才能だけではなく父親の力もあったのでしょう。

 

メアリー・モーザーの静物

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出典:メアリー・モーザー - Wikipedia

 

 

 

 

 

 

アンゲリカ・カウフマン画『自画像』

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出典:アンゲリカ・カウフマン (画家) - Wikipedia

 

アンゲリカ・カウフマンはスイス生まれで、オーストリア育ちです。

裕福な家庭では無かったようですが、画家の父親から絵を教わり、母親からは複数の言語を教わりました。

自画像からもわかるように超美人な才女です。

 

複数の言語を話し、絵画だけではなく音楽にも優れていました。

立ち回りも上手だったようで社交界でも人気者になり、たくさんの注文をこなしていました。

 

アンゲリカ・カウフマン画『デヴィッド・ギャリックの肖像』(1741年)

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出典:アンゲリカ・カウフマン (画家) - Wikipedia

 

 

 

以前ブログで絵画の画題にはヒエラルキーがあったということを書きました。

 

歴史画>肖像画>風俗画>風景画>静物

 

歴史画が頂点です。

 

画家としての権威を付けるには歴史画を描く必要がありました。しかし歴史画には男性を描く必要があります

 

冒頭でも触れたようにアカデミーでは女性がヌードの男性モデルを描くことができなかったため、カウフマンの描く歴史画の男性は少し女性的です。

 

アンゲリカ・カウフマン画「ヘレネにパレスについていくように説得するヴィーナス」

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出典:「人騒がせな名画たち」(木村泰司さん著、マガジンハウス)

 

 

 

 

 

芸術の都パリの官立美術学校でも女性の入学が認められたのは19世紀後半です。学びの場が少ない中活躍した女性画家たちはすごいですね。

 

カウフマンと同じ時代に活躍していたのはマリーアントワネットの肖像画で有名なルブランです。

(個人的にはカウフマンよりルブランの方が良い絵だと思う。対象に愛がある。)

 

1790年にフィレンツェで描かれた自画像。

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出典:エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン - Wikipedia

 

モスリンのシュミーズ・ドレスを着た王妃マリー・アントワネット

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出典:エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン - Wikipedia

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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サンタさんって世界共通ではないの?各地のプレゼントマンを見てみよう!クリスマスということで、世界のサンタクロース雑学雑談♪

今日も生きてます。

 

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出典:Category:Christmas in Japan - Wikimedia Commons

 

 

 

クリスマスですね。

皆様サンタからプレゼントはもらいましたか?

 

私が育った家ではサンタを子供に信じ込ませる風習が無かったので、友人からサンタを信じていたという話をきくたびに驚いています。

 

 

私は母から

 

家のサンタはお父さんだよ

 

と教わっていました。(真実)

 

 

もしいるとしたら世界中の子供たちにプレゼントを配らなければいけないから大変だなあと思っていたら、サンタさんて世界共通ではないんですね!

 

当たり前と言ったら当たり前です。

子供の頃からのすりこみって恐ろしい!

 

ということで今日は知らなかった世界のサンタ雑談です。

 

 

 

 

プレゼントを持ってくのは誰?

 

サンタクロースの存在はありつつも、その土地にはその土地に根付いた「プレゼントを配ってくれる人」がいるようです。

見方によってはサンタのライバルともいえる、各地のプレゼントマン(勝手に命名)を見ていきましょう。

 

(※プレゼントを配る日も様々のようでしたので、ざっくり年末年始ごろにプレゼントをくれる方々を集めました。)

 

 

 

イタリアのプレゼントマン
魔女のベファ―ナ

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出典:ベファーナ - Wikipedia

ho visto nina volare - originally posted to Flickr as La befana vien di notte..., CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5053150による

 

イタリアに伝わる魔女です。

カトリック教の祭日である1月6日に、前日までの一年間に良い子だった子供には素敵なプレゼント、悪い子だった子供には靴下に炭を入れていくと伝わっています。

 

 

 

 

ドイツのプレゼントマン
ヴァイナハツマン&クリストキント

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出典:ベファーナ - Wikipedia

Albärt - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=474595による

 

ドイツの北部でのプレゼントマンは「ヴァイナハツマン」

由来は違いますがほぼサンタクロースと同じです。サンタさんはソリに乗ってきますが、ヴァイナハツマンは森からやってくるなど、詳細設定は少々違うようです。

 

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出典:クリストキント - Wikipedia

 

ドイツの南部でのプレゼントマンは「クリストキント」

クリスマスの天使です。

名前は「Christkind」幼子キリストで、その名の通り由来はキリストです。しかし現代でクリストキントのイメージは女性です。


マルチン・ルターが聖人崇拝を禁止した後に、カトリックのプレゼントマンである聖ニコラウスに対抗してつくられた存在です。

 

個人的にはサンタクロースよりもかわいい天使からプレゼントを受け取りたいです。

 

 

 

 

北欧諸国
トントゥ(TONTTU)トムテ(TOMTE)ニッセ(NISSE)

子供たちにプレゼントを渡すユールトムテ

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出典:トムテ - Wikipedia

 

北欧諸国のクリスマスは、もともとあったゲルマン民族のお祭り「ユール」と、キリスト教のクリスマスが混ざったものになっているようです。

 

ユールの粥をもらうトムテ

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出典:トムテ - Wikipedia

 

現在ではサンタクロースのプレゼント配りを妖精が手伝うことになっています。

妖精の名前は各地様々で、フィンランド語でトントゥ(TONTTU)、スウェーデンでトムテ(TOMTE)ノルウェーでニッセ(NISSE)など、英語圏ではGNOME(ノーム)とも呼ばれるようです。

 

妖精が運んできてくれるなんて夢がありますね。

 

 

 

 

ロシア
ジェド・マロース

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出典:ジェド・マロース - Wikipedia

 

ジェド・マロースは、ロシアの民間伝承に登場する霜の精です。

ジェドは「老爺」、マロースは「寒波、吹雪」を意味します。(マロース爺さんですね。雪女のおじ様版でしょうか。)

 

正教会圏のロシアでは、クリスマスは「冬祭り」と捉えらているようです。

 

ジェド・マローススネグーラチカ(雪娘)を連れているとされます。

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出典:Category:Snegurochka - Wikimedia Commons

Olga-lisenkova - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=87079289による



 



 

 

 

モンゴル
ウブリーンウブグンアーブ(冬のおじさん)

ウブリーンウブグンアーブは白いデールを着たモンゴルの土着の神様です。

デールはモンゴルの民族衣装です。

 

名前の意味合い的にはロシアのマロース爺さんと似てますね。

地理的にもお隣ですからね。

同時に西欧風のサンタクロースもいるようです。

 

 

名前は違えど、アフリカや南アメリカや北アメリカではサンタクロースが主流のようです。

 

 

 

 

そもそもクリスマスを祝わない国

 

 

サウジアラビアなどのイスラム教圏では大々的にクリスマスをお祝いするということは無いようです。インドでも人口のほとんどがヒンドゥー教なので日本のように派手に祝うことはないですね。

 

国の宗教が違ってもクリスチャンであれば自宅などで仲間や家族とでお祝いをするということでしょう。

 

 

 

 

 

 

クリスマスも国によって様々。

 

日本のように宗教が違ってもなんやかんやクリスマスを祝うという国もあるんですね。

 

サンタクロースが世界の子供たちにプレゼントを配るというのは、世界覇権を狙うキリスト教の陰謀に違いない!(冗談です。)

 

日本の子供には親御さんやご親族という最強のプレゼントマンがいるから、異教徒でも安心ですね。

 

 

あの頃の明石家のプレゼントマン「パパサンタ」に感謝です。

 

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まだ心がピュアだった頃に描いたサンタクロース

(髭が白いという概念無し)

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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笑顔は愚かな人間⁈オランダの風俗画「幸せな夫婦」が本当に表現していることは戒め?

今日も生きてます。

 

「シャイニング」という映画を見ました。

 

ホラー映画です。

 

大雪で外界から遮断されてしまうホテルの冬の間の管理を任された一家が、自分たち以外誰もいるはずのないホテルで異様な体験を重ね、少しずつおかしくなっていく…

家族は一体どうなるのか?

このホテルには何が隠されているのか?

 

 

というような内容の話です。

Amazonプライムで視聴しましたが、冒頭からミュージックが怖すぎてガタガタしてしまいました。

映像は何も怖くないのですが、「これから、怖いこと、起こりまっせ」という印象を与えられすぎてしまい、とにかくミュージックが心に効きすぎてしまいました。

 

なので映画前半は無音で楽しみました。

(なんとか乗り切れた。)

 

私と同じホラーを見たいびびりさんにはお勧めの視聴方法です。

 

「シャイニング」面白かったです。

がんばって見たかいありました。

 

 

 

 

さて、今日も「人騒がせな名画たち」(木村泰司さん著、マガジンハウス)を読んでいます。

 

著者である木村さん独自の目線で名画を解説している本で、大変面白いです。

その中のオランダ風俗画の説明が興味深かったので取り上げます。

 

 

 

 

何故オランダでは風俗画がたくさん描かれたのか?

 

西洋絵画とひとくくりにしても、それぞれの国で文化は違います。

何を美しいとするのかという美的価値観が違うのです。

 

黄金時代と呼ばれた17世紀オランダでよく描かれたものは風俗画で写実主義の絵画です。

 

対してフランスは古典主義(理想主義)の絵画を良しとしていました。そしてフランスのアカデミーでは絵画のジャンルによってヒエラルキーがありました。

 

歴史画>肖像画>風俗画>風景画>静物

 

フランスで風俗画は下位に位置します。

なのでオランダの絵画はフランスではあまり評価されなかったようです。

 

オランダで風俗画がたくさん描かれた背景の一つには、偶像崇拝を禁じるプロテスタントの社会であったことがあります。

カトリックと違い、祭壇画の注文がないということです。

 

そうすると画家の顧客は市民階級になります。なのでフランスではヒエラルキーの下位に属する風俗画、風景画、静物画がオランダでよく描かれたのです。

 

 

 

 

 

「幸せな家庭」夫婦の笑顔が意味するものは?

 

オランダの風俗画は何もない日常の一場面を描いているようで、キリストへの倫理観への導きを表現しています。

 

ユディト・レイステル画「幸せな家庭」

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出典:ユディト・レイステル - Wikipedia

 

↑の作品も現代人からすると、ささやかな幸せを称賛するような絵画です。

しかし実際には真逆といっていいことを示しています。

 

笑顔

この時代、笑顔は自己抑制の欠如とみなされていました。

17世紀のオランダ絵画で笑みが描かれる場合は自制することができな愚かな人間であることを示しています。

 

楽器の演奏

伝統的に楽器の演奏は性行為を示唆し、肉欲に対する戒めを意味しています。

楽器の音色ははかない快楽を象徴します。

 

飲酒

この絵画の場合、自己抑制の欠如を戒める演出になります。

 

 

総括すると絵画が言いたいことはこのような人間になってはいけないというようなことを意味しています。

 

どうしてこんな教訓じみた絵を飾りたいのか私には理解ができません。プロテスタント独特の感覚なのでしょうか…

 

 

 

 

 

女性画家ユディト・レイステル

 

 

「幸せな夫婦」を描いた画家はユディト・レイステルです。

 

ユディト・レイステル画『21歳頃の自画像』(1630)

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出典:ユディト・レイステル - Wikipedia

 

 

女性画家です。

 

当時のオランダで画家になる女性は大変珍しかったようです。しかも両親が画家だとか、そういった家系でもありません。

 

レイステルは地元の醸造業者で衣類業者のヤン・ヴィレムスツの第8子として生まれました。芸術家の組合に入り、正式に画家として活動していました。

 

レイステルの他の作品を見てみると、「笑顔」が笑顔を称賛して描かれたものではないことを感じ取ることができます。

 

見てみましょう。

 

ユディト・レイステル画「ネコとうなぎを持つ少年と少女」

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出典:ユディト・レイステル - Wikipedia

 

ユディト・レイステル画「陽気な三人」

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出典:ユディト・レイステル - Wikipedia

 

ユディト・レイステル画「上機嫌の酔っ払い」

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出典:ユディト・レイステル - Wikipedia

 

いかがでしょうか?

全て笑顔の作品ですが、寓意や教訓が込められていそうですよね。

 

少年が笑顔で持つうなぎもどんな意味があるのかと調べてみましたが、見つからないですね。

(気になる…)

引き続き気にかけておいてわかり次第ブログで報告します。

 

 

 

オランダの風俗画を飾ろうとする人の気持ちはまだ解せない…

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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