リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

ルノワールが描いた最も美しい肖像画「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」描かれた美少女の人生を覗いてみよう。

今日も生きてます。

  

肖像画を描いてもらう機会って現代ではあるのかな?

似顔絵は色々なところで見かけることはありますが、絵画として描いてもらうことは少ないかもしれませんね。

 

写真が登場する前はお見合い写真として、記念として、宣伝として…絵画はメディアとして活用されていました。めいっぱい着飾り、財産を見せつけている肖像画とかありますよね。

 

様々な肖像画が残されていますが、描かれた人物に関して知る機会はなかなかないですよね。

 

今日は印象派の巨匠ルノワールが描いた肖像画「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」のイレーヌ嬢がどんな人物で、その後どのような人生を送ったのかみていきましょう。

 

ルノワール画 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」

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出典:イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢 - Wikipedia

 

 

ルノワールとは?

 

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出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia

 

ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)はフランスの画家です。

印象派のメンバの一人としても有名です。

明るい光に満ちた画面に幸せそうな人々を描いた作品が印象的です。

 

ルノワール画『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』1876年。

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出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia

 

 

 

ルノワール画「舟遊びをする人々の昼食」1880-81年f:id:akashiaya:20201222173353j:plain

出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia

 

 

 

 

 

ルノワールはなぜ肖像画を描いていたのか?

 

現在、印象派のメンバーと言われる画家たちは裕福な出自の人が大半でした。マネやドガなどは絵で生活費を稼ぐ必要がありませんでした。

ブルジョワ!) 

 

そんな中ルノワールは唯一の労働者階級の出身です。

なので絵画で生活費を稼ぐ必要がありました。

 

もともと陶器の絵付け見習いであったルノワールは、衣装や少女美しくを描くのも得意でした。

 

そんな自分の得意分野と肖像画がマッチして、人気の肖像画家としてたくさんの注文を受けるようになります。

 

 

 

最も美しい肖像画「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」

 

ルノワールの画集をみていて心つかまれる作品があります。

 

「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」です。

 

ルノワール画 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」

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出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia

 

 

こんなかわいい&美しい女の子が目の前にいたら私窒息しちゃうかも。

 

これは絵画なので実際はどんな人であったかわかりませんが、ルノワールはモデルの魅力を描く天才なんだなあと思わされる一枚です。

 

私もぜひ肖像画を描いてほしいですもの。

(私がモデルだとイリーヌのようにはいかないか)

 

この絵画は「かわいいイレーヌ」とも呼ばれているようです。

日本にも来日したことがあります。

 

私は実物見たことありませんが、 実物見たら恋しちゃうな。

 

 

 

 

イリーヌ嬢の正体

 

イリーヌはユダヤ系銀行家で裕福な貴族の家庭に生まれた女の子です。

 

この肖像画はイレーヌが8歳のときに描かれました。

 

きっかけはルノワールがサロンに出品した「シャルパンティエ夫人とその子どもたち」です。この作品は目立つ位置に展示されたためたくさんの人が注目したようです。

 

これを見たイレーヌの両親が、ルノワールに娘イレーヌの肖像画を依頼します。そしてこの傑作「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」が制作されました。

 

ルノワール画「シャルパンティエ夫人とその子どもたち」

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出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia

 

しかし古典的な手法での肖像画を望んでいたイレーヌの両親はこの作品をあまり気に入らなかったようで(信じられん)、この肖像画は飾られなかったようです。

 

 

 

 

 

 

イレーヌ嬢の人生

 

美しいイレーヌは19歳で結婚します。

お相手はパリでは知らぬ人のいないトルコ系ユダヤ人の大富豪カモンド家のモイーズです。

 

ちなみにモイーズ18世紀の美術品を収集することに熱をあげていたようで、ついには邸宅まで作り変えてしまいました。

 

そのコレクションと邸宅は今「ニッシム・ド・カモンド美術館」になっています。

 

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出典:「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)

 

優雅ですね。

憧れます~

(でも広い家を見ると掃除のことばかり考えてしまいます。なぜか使用人目線!)

 

 カモンド家に嫁いだイレーヌは長男ニッシム長女ベアトリスを出産します。

 

裕福な家に子供たち…幸せな生活を満喫すると思いきや、なんとイリーヌは一家の厩舎長のイタリア人サンピエリ伯爵と恋に落ちてしまします

 

使用人との禁断の恋ですね。

燃え上がりそうです。

 

夫婦は別居することになります。

 

 当時フランスで離婚は世間体が悪いこととされていたので、別居は5年ほど続き、その後離婚しました。子供はモイーズが面倒を見ることになりました。

 

現在のフランスは結婚しないで子供つくるなど、恋愛に自由なイメージがありますが、昔は違ったのですね。

 

 

 

 

 

家族に戦争の魔の手が伸びる

 

その後悲しいことが続きます。

 

長男ニッシムはパイロットになり第一次世界大戦で亡くなります。

そして長女ベアトリスとその夫と二人の子供はアウシュビッツで虐殺されてしまいました。

元夫モイーズは長女ベアトリス家族が虐殺される前に亡くなっていました。 

 

イレーヌはというと、イタリア人のサンピエリ伯爵と再婚するときにカトリックに改宗し、苗字が変わっていたため、ナチスの目から逃れることができました。

 

その後、カモンド家の遺産もイレーヌが受け継ぐことになります。

 

イレーヌは南フランスで遺産を散在しながら91歳まで生きました。

 

 

 

 

 

イレーヌの肖像画はどうなったのか?

 

イレーヌが離婚しカモンド家を出ていったあと、ルノワールが描いた肖像画「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は長女のベアトリスが所有していたようです。

 

しかし一家がナチスに虐殺されたときに家財は没収され、そのときにルノワールの絵も持ち去られてしまいました。

 

そして絵は終戦後の1946年に当時74歳のイレーヌに返還されますが、イレーヌは3年後すぐにこの作品を手放してしまいます。

 

この作品を次に手に入れたのは、スイスに帰化したドイツ人の印象派コレクターのビュールレです。この人はナチスドイツを始め世界各国に兵器を売って巨万の財を成した武器商人です。

 

芸術作品は描いた人や描かれた人と関係なく人の手を渡っていくんですね。

 

 

 

おそらく肖像画は写真やデータよりもずっとこの世界に同じ姿で残るモノでしょうね。

 

72歳のイレーヌは、8歳の頃の自分が描かれた肖像画をみてどのように感じたのでしょうか?

 

手放したということは、あまり見たくない思い出になっていたのかもしれませんね。

 

描かれた本人が見たくないと思っても、亡くなってしまっても、絵画としてのイレーヌはずっとたくさんの人に鑑賞され、愛され続けるんだろうな~

 

芸術作品というものは不思議ですね。

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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西洋美術のタブーと謎!なぜ二枚あるの?マハって誰?「裸のマハ」と「着衣のマハ」

今日も生きてます。

 

前回撮影雑談スキップしてしまいましたが、今日はゴヤの作品を取り上げます。

 

前々回西洋美術の伝統では、体毛は髪の毛と髭以外は表現しないという話題を取り上げました。

美しさに「毛」はいらない!!!なぜ陰毛を描かないのか?西洋美術の疑問を考える。

 

要約すると、古代ギリシャの時代の美意識の中には、無駄毛がないことが含まれていて、その古代ギリシャの彫刻などをお手本にしてきた西洋美術の絵画は体毛を描かなくなった。ということです。

 

そんな西洋美術のタブーである陰毛を初めて描いたと言われる絵画ゴヤ「裸のマハ」です。

 

ゴヤ画「裸のマハ」1797-1800頃

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出典:裸のマハ - Wikipedia

 

女性の官能的な美しさを全面的に表現している作品ですね。

 

 

 

裸のマハを誰が描いたのか?

 

 

描いた人はフランシスコ・デ・ゴヤです。

 

 

ヴィセンテ・ロペス・イ・ポルターニャ画

「フランシスコ・ゴヤ肖像画」1826年

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出典:フランシスコ・デ・ゴヤ - Wikipedia

 

スペイン18‐19世紀に活躍した画家です。

40代にはスペインの画家として最高の地位である宮廷画家に上り詰めます。

その後不治の病に侵され、聴覚を失ってしまいます

 

ゴヤの作品として有名なものは聴覚が失われた後の作品が多い気がします。裸のマハも聴覚が失われた後の作品です。そのほかにも代表作としてマドリードなどがあります。

 

ゴヤ画『マドリード、1808年5月3日』

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出典:フランシスコ・デ・ゴヤ - Wikipedia

 

 

 

他にゴヤの作品で有名なものは「黒い絵」シリーズです。

 

ゴヤは1819年に「聾者の家」と呼ばれる別荘を購入し、風刺がきいた「黒い絵」と呼ばれる壁画を14枚描きました。の中で有名なものの中には「我が子を食らうサトゥルヌス」があります。

 

ゴヤ画「我が子を食らうサトゥルヌス」

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出典:フランシスコ・デ・ゴヤ - Wikipedia

 

ゴヤの有名な作品の中の一つに『カルロス4世の家族』があります。

宮廷画家として王族の絵を描く機会があるのは当然のことと思います。

 

ゴヤ画『カルロス4世の家族

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出典:フランシスコ・デ・ゴヤ - Wikipedia

 

しかしその家族の描き方が従来の宮廷画家と少し違う。

 

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よく見ると王妃は意地悪そうだし、王は気弱そう…

モデルを美化して描いていませんね。むしろ少し皮肉っぽい描き方です。

ゴヤ忖度ゼロの宮廷画家だったようです。

 

 

 

 

二枚のマハ

 

ゴヤ画「着衣のマハ」

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出典:フランシスコ・デ・ゴヤ - Wikipedia

 

 

裸のマハのほかに似たような構図で「着衣のマハ」という絵があります。

見比べると全く同じというわけではありませんが、着衣のマハは裸のマハに服を着せたものっぽく見えますね。

 

 

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何故二枚描かれたかというのは定かではなく、カモフラージュなど、様々な説があると思いますが、私はエロスが目的だろうと思います。(個人的解釈)

 

 

 

 

 

誰が注文したのか

 

この二枚の作品を誰が注文したかははっきりしていませんが、絵が保管されていたのは1792年ー1797年と1801年ー1808年スペインの首相であったマヌエル・デ・ゴドイの家です。

 

なのでマヌエル・デ・ゴドイが注文者なのでは?と考えられています。

 

ゴヤが描いたマヌエル・デ・ゴドイの肖像

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出典:マヌエル・デ・ゴドイ - Wikipedia

 

一説によると来客者にこの絵を見せて楽しんでいた…というようなものもあるようです。(あらあら)

 

 

 

 

 

二枚のマハの影響

 

 

なぜゴドイが自宅に隠していた作品が世に出たかというと、ゴドイが失脚したからです。そして家財が没収され、この作品が現れました。

 

スペインは当時厳格なカトリックの国だったのでこの絵の破壊力はすさまじかったようです。(キリスト教の神様って人間の欲望に厳しいよね。)

 

当時スペインでは裸婦像もご法度だったのでこんな煽情的な作品がすんなり受け入れられるのは難しいですね。ゴヤはこの作品以外に裸婦を描いていません。

 

ゴヤはこの絵を描いたために異端審問所に呼び出されます。

 

そこでだれから依頼されて描いたのかを聞かれますが、口を割ることは無かったようです。

 

ちなみに作品が描かれた順番は裸のマハが先です。

 

 

 

 

 

マハって誰?

 

この題名の「マハ」は人の名前ではありません。

「人騒がせな名画たち」の著者木村泰司さん曰く「マハ」はマドリード下町出身の派手な装いの奔放な女」といったようなニュアンスの意味のようです。

 

この作品が後年王室のコレクションになるとき、目録には「マハ」ではなく「ジプシー」と記されました。

 

モデルはゴドイの愛人とも、ゴヤの愛人とも推測されていますが、本当のことはわかりません。

 

 

 

 

 

二人のマハの行方

 

 ゴヤの異端審問の後、絵は100年弱の間プラド美術館の地下にしまわれました。焼いたり、捨てたりはしないのが不思議です。何か証拠として残しておきたかったのでしょうか…。

 

1901年に初めて公開されました。

「着衣のマハ」のほうは来日したことがあり、私も見たことがあります。

 

 

 

 

 

ゴヤは忖度無しの画家であったから西洋美術史の伝統を破る表現(体毛表現)ができたのかなと思います。

 

また、ゴヤが自分の別荘の壁画に描いた自分のための作品と、二枚のマハはだいぶ趣が違います。

 

なので二枚のマハは秘密の注文を受けて描かれたものと推察します。(多分ゴドイ。)内密な作品だからこそタブーを破ることができたのかもしれませんね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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軽くモデルさん撮影雑談

今日も生きてます。

 

前回の最後に、次回はゴヤの話です!

 

と言いつつ別の話題です!

 

すみません。

 

 

今日は美術史お話のではなく先日絵画の参考にモデルさんにきて撮影したよ。という話です。

 

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カメラを構えてるのは明石です。

 

人体を描くにはどうしてもモデルさんを参考にしないと難しいということでカメラや照明を買いそろえたものの…肝心のモデルさんがいない!

 

モデルさんを探せるようなサイトもありますが、基本的にカメラマンの自宅にモデルさんを招くのはリスクが高いので、スタジオを借りたり、屋外で撮影することが多いようです。

 

今回はなんとか知り合いの知り合いという感じでモデルさんが来てくださいました。

感謝感激です。

 

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撮影場所は小道具で雑然としております。

 

ちなみに使用してるのはソニーのミラーレスです。

 

この日のために生まれてきた(?)とばかりに撮りまくりました。

 

私は自然や風景よりも人間に興味があるようでやはり被写体が人だとテンションがあがります。

 

モデルになって差し上げてもいいわよっていう方いらっしゃいませんかね…?

 

という心の気持ちを吐露させて今日は終わりたいと思います。

 

次回は本当にゴヤ話です!!

 

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

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美しさに「毛」はいらない!!!なぜ陰毛を描かないのか?西洋美術の疑問を考える。

今日も生きてます。

 

題名は忘れてしまいましたが、大学生の頃に日本人の女性の美意識の変遷などが書かれた本を読んだことがあります。

(題名は忘れちゃった)

 

フェミニズムジェンダー関係の本を狂い読みしていた時期です。

 

その中ではもともと日本人女性は体毛を処理していなくて、明治時代に入って洋服を着るようになってから意識が変わってきたということが書かれていました。

 

着物だと肌の露出が少ないので特別な人以外あまり気にならなかったのかもしれませんね。

 

しかし明治以降洋服を着るようになって時代がどんどん進むと、女性向けの美意識系雑誌などに体毛は処理するべきだ(エチケット)的な記事も登場し、今に至るようです。

(記憶の中の情報なので曖昧ですみません。)

 

現在でも電車の中吊り広告などでたくさんのクリニックが脱毛の宣伝してますよね。

 

洋服と共に体毛が悪的な美意識は西洋から入ってきたという考え方もできるのかなーと思います。

 

今日はそんな現代の「体毛」の価値観につながるかもしれない西洋絵画における「毛」についてとりあげます。

 

参考書は「人騒がせな名画たち」(木村泰司さん著、マガジンハウス)と「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房です。

 

 

 

 

古代ギリシャ美術の美意識

 

 ミュロン ローマ時代の彫刻の模刻

円盤投げ」

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出典:「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房

 

西洋美術の原点は古代ギリシャ美術です。

 

絵画でも古代の彫刻がお手本にされました。

 

そんな古代ギリシャではどんなものを美しいとしていたかというと、「男性美」です。

 

意外にも西洋美術史の中では「女性の美しさ」より「男性の美しさ」を表現した歴史のほうが長いのです。

 

 

そしてその「男性の美しさ」の中に「体毛の薄さ」がありました。

 

なんか毛が濃いほうが強そうな感じしますけど、美と強さは関係なかったのかな。

 

古代の彫刻では髪の毛と髭、陰毛以外の体毛を表現することはありませんでした。

 

ポリュクレイトス ローマ時代の大理石模刻

「槍を持つ人」

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 出典:「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房

 

 

 

古代彫刻をお手本とする西洋絵画

そんな古代の彫刻作品を西洋絵画はお手本にしました。

 なので絵画でも体毛は髪の毛と髭しか表現しなくなります。

 

なぜか彫刻では陰毛を表現して、絵画で陰毛は表現しない慣例でした。

 

 ミケランジェロ彫刻作品では陰毛を表現していますが、絵画には描いてないんです。

 

ミケランジェロダヴィデ像』

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出典:ミケランジェロ・ブオナローティ - Wikipedia

David Gaya - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=125216による

ミケランジェロアダムの創造』(1508年 - 1512年)

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出典:ミケランジェロ・ブオナローティ - Wikipedia

 

 

 

 

 

 なぜ美意識から体毛が悪になったか

 

ここからは私の個人的な見解ですが、「美少年美術史」(池上英洋さん 川口清香さん著 筑摩書房)によると、やはり古代ギリシャでは外見の良さの条件に無駄毛がないことが含まれていたそうです。

 

そしてだいぶ昔このブログでも取り上げたのですが、古代ギリシャでは男性の年長者が少年を教育する「パイデラスティア」という習慣がありました。

 

石像式キュリクス紀元前480年頃

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出典:「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房

 

年長者と少年のカップルで、同性愛です。

 

若い少年を美しいものとして認識していたようなんですよね。

 

身体が成熟する前の体毛が薄い時期の少年を美しいと認識していたことから、外見の美しさに無駄毛がないことが加わったのではないのかなあと思います。

 

そしてその後、「美」の対象に女性も加わったことから女性も無駄毛がないことが美しいとされた。

 

 

 

古代ギリシャの美意識が、明治の文明開化と共に現在の私たちの美意識まで支配してるなんてすごすぎませんか?

 

次回はそんなタブーを破ったゴヤの「裸のマハ」について取り上げます。

 

 フランシスコ・デ・ゴヤ 「裸のマハ」

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出典:裸のマハ - Wikipedia

 

 今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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農民の画家ミレーは本当に農民の味方だったか?ミレーが当時評価された本当の理由。

今日も生きてます。

 

「濃厚キャラメル」

キャラメリゼ

「期間限定」

 

そのような文言が記されている商品はなぜか知らぬ間にかごの中に入れてしまう病気にかかっています。

 

私にとっての殺し文句ですね。

キャラメル味の商品好きです。

 

 

さて、今日も「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでます。

 

誰でも知っている作家や名画の新たな一面を教えてくれる一冊です。

その中から今日はミレーを取り上げます。

 

 

ミレーとは?

 

ジャン=フランソワ・ミレー画『自画像』1841年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia

 

ミレーは19世紀のフランスの画家です。

農民の姿を描いた作品が有名です。

 

ミレー画『落穂拾い』1857年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia

 

 

画家のミレー自身が農民出身なので農民の画家とも呼ばれます。

敬虔な農民を描いた作品はアメリカや日本でも大人気です。

 

ミレーは生きているときから名声を得た画家でしたが、よりその作品の価値が高まったのはミレーの伝記が出版されたからです。

 

最初伝記を書いていたのは、ミレー友人アルフレッド・サンシエでした。しかし途中でサンシエは亡くなったってしまい、美術評論家のポール・マンツがサンシエの後を引き継いで伝記を完成させました。

 

1881年にパリで刊行された伝記『ジャン=フランソワ・ミレーの生涯と作品』の中のミレー像は、「道徳的で、信仰深く、清貧で、農民として生きた画家」というようなイメージです。

 

この本は各国で翻訳され、「ミレー神話」を世界に広めました。

 

しかし実際には、ミレーは父の農作業を手伝って育ったものの、農民として生活したわけではありません。貧乏だったということなども誇張されて書かれていました。

 

ちなみにミレーの絵をオマージュするほど好きだったゴッホもこの本で感動した一人です。弟のテオに向けた手紙の中でミレーの伝記の感想を送っています。

 

ゴッホ画『日没の種まく人』1888年

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出典:フィンセント・ファン・ゴッホ - Wikipedia

 

 

 

 

 

ミレーは農民の味方だったか?

ミレー画「晩鐘」1857-59年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia

 

しかし画家として有名になったことからもわかるように、ミレーは家業を継いでいないですし、農業を生業として生活したことはありません。

 

農民画家として有名になる前に地元で絵の先生をやってくれないかというオファーも断ってパリに出てきています。

 

若くから画家を志したミレーはパリに行き、もともと裸婦画を描いていたことは有名な話です。

ミレー画『横たわる裸婦』1844-45年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia



「人騒がせな名画たち」によると、農民を描く画家として成功を収めた後は美術品収集に精を出し、地元の農民と交流することはなかったそうです。

 

著者はミレーが農民をテーマに描いたのも画家として成功するため、「裸婦像、肖像画」からのジャンル替えに過ぎないと指摘されています。

 

そういう見方もできるかもしれませんね。

 

 

 

ミレーの本当の革新性

 

ミレーが伝記に書かれるような神格化された人格に関係なく、ミレーの絵画は当時革新的でした。

 

 

革新①農民のイメージ

当時絵画は上流階級の人々が楽しむものでしたので、そのような人々が求める「農民像」というのは、エンターテインメント性を強調させたものや、田園風景の中に平和に暮らす理想郷のようなイメージでした。

 

しかしノルマンディー地方の農家に生まれたミレーは過酷で厳しい農家の現実を知っていました。それまで西洋絵画に描かれてこなかった現実の農民の姿を描いたのです。

 

 

革新②名もない農民を描いた絵をサロンに出品した

それまでサロンに出品されるような絵画に描かれてきた人々というのは、歴史的偉人や神々、そして高貴な人々でした。美術アカデミーの規範では等身大で描かれるのは高貴な人々のみだったのです。

 

そんな中ミレーは名もなき農民の姿を画面いっぱいに描いた「種をまく人」をサロンに出品します。

 

 ミレー画『種まく人』1850年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia

 

サロンの鑑賞者である都市に暮らす保守的なブルジョワジーの中には、郊外や地方に暮らす人々に嫌悪感や偏見を抱いている人もいたので、批判を浴びました。

 

 

 

革新③新しい表現

農民を描いた神聖な画家のイメージが強いミレーですが、当時のサロンにとってはその表現も目新しいものでした。

 

伝統的にフランスの絵画はつるーんと絵画を滑らかに仕上げるのが理想とされていました。

しかしミレーの作品は、当時の規範から考えると信じられないくらい厚塗りでした。

 

ミレーの絵は描いた内容も表現も革新的なものであったんですね。

 

 

 

芸術作品って不思議ですよね。

 

作家と作品のイメージがそのままという人もいますが、人によってはあなたがこの作品を制作したの⁉というような作家もいます。

 

作品をアピールする側としては同じイメージのほうが売りやすい側面もあると思いますし、鑑賞する方も混乱せずに済みます。

 

正直作り手の人柄は苦手だが作品は素敵だぜ!!!っていう場面何度かありました。

 

こういうのは芸術作品の面白い面でもあると思っています。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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画家の忖度MAX!皇帝ナポレオン絵画の裏を読もう!

今日も生きてます。

 

年末の掃除に向けて、私の家では活躍できないモノたちを中古品としてリサイクルショップに販売しました。

 

こういうことするの初めてで値段が付くのか心配でした。

ですが一応値段がついたので良かったです。

 

今まで使わないものはすぐごみとして処分してしまっていたので、リサイクルするのもいいかなと思いました。

 

綺麗な家で新年を迎えるにはまだ課題があるので少しずつ取り組んでいきたいです。

 

 

 

さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでます。

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著者独自の視点から「人騒がせ」な作品を紹介している本です。

とても面白いです!!!

 

本の中でナポレオン絵画について触れられていました。

私も思うことがあったので今日はナポレオン絵画回です。

 

 

ナポレオンが描かれた絵画は基本的にナポレオンかナポレオンの支持者が注文して画家に描かせています。(風刺画などは別)

 

注文を受けた画家は、ナポレオンの意図、つまりナポレオンのイメージアップも考慮に入れて制作しました。(プロパガンダ)

 

今日はそんな画家の忖度MAXなナポレオン絵画を楽しみましょう。

 

 

 

 

 

 

とにかく権威のある神のようなナポレオン 

 

 

アングル画『玉座のナポレオン』 1806年 

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出典:ドミニク・アングル - Wikipedia

 

 

↑の作品はアングルが描いたナポレオンです。

 

あれですね。

とにかく偉そうですね!

(魔除けになりそう☆)

 

これでもかというくらいの荘厳な衣装に身を包み豪華な杖を持っています。

この作品を描いた画家のアングルがどうしたら権威的にナポレオンを描けるかという苦心が伝わりますね。

 

ちなみに後年アングルは同じようなポーズでギリシャ神話の全知全能の神ゼウスを描いています。

 

アングル画『ジュピターとテティス』 1811年

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出典:ドミニク・アングル - Wikipedia

 

 

アングルの中でこのポーズは神のイメージであったのでしょうね。

 

あとナポレオン関係ないけど画家アングルの自画像完全に芸人の小島よしおさんなんだよね。(おっぱぴー)

 

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出典:ドミニク・アングル - Wikipedia

 アングル24歳のときの自画像 (1804)

 

 

 

 

 

まるで王子様?ヒーロー?
白馬にまたがるかっこよいナポレオン

 

 

ジャック=ルイ・ダヴィッド画

『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト

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出典:サン=ベルナール峠を越えるボナパルト - Wikipedia



これはナポレオンがオーストリア軍との戦いの中で、1800年の春に予備軍を率いてグラン・サン・ベルナール峠を経由してアルプスを越えたことをもとに描いた作品です。

 

ナポレオンと言ったらこのイメージですよね。

かっこよくてキャッチ―なイメージで好きな絵です。

 

ナポレオンも気に入ったのか複製をつくらせ、世界には白馬にまたがるナポレオンの絵が5枚あります。集めればナポレオンが生き帰るかもしれません。

 

ですが実際にはどうだったのでしょうか?

 

後年、実際はどんな感じであったか描いてくれと依頼された画家が描いた作品がこちら。

 

ポール・ドラローシュ画『アルプスを越えるボナパルト1850年

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出典:サン=ベルナール峠を越えるボナパルト - Wikipedia

 

…あれですね

白馬じゃないね。

 

実際には馬で峠を越えることはできないようで、馬とロバをを掛け合わせた動物「ラバ」に乗っていたそうです。そして案内人に従いながら進んでいました。

 

この絵も厳しい戦地で励んでいる感じが良いと思います。

ヒーローではないかな。

 

 

 

 

 

 

 

仕事してるアピールのナポレオン

 

 

ジャック=ルイ・ダヴィッド画「書斎のナポレオン」1812年

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 出典:ジャック=ルイ・ダヴィッド - Wikipedia

 

 

一見普通の肖像画ですが、メッセージが含まれています。

 

ナポレオンの傍らにあるろうそくは短くなっていて、長いこと火をともしていたことがわかります。

 

描かれた時計の針は正直読みにくいけれど4時過ぎ?朝方でしょうか?

これは「ナポレオンは市民のために寝ないで仕事をしています。」というアピールです。

 

SNSで迷惑がられるタイプかも。

 

 

 

 

 

 

 

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ちなみに白馬のナポレオンの岩にはハンニバル」「シャルルマーニュという文字に並んで「ボナポルトと刻まれています。

 

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ハンニバル古代ローマ時代の連戦連勝の将軍

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出典:ハンニバル - Wikipedia

 

シャルルマーニュは中世の初代神聖ローマ皇帝

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出典:カール大帝 - Wikipedia

 

二人ともアルプスを越えた歴史的英雄です。

これらの人と同じように偉大だということを示しています。

 

 

たとえ実際に顔が似ていなくても、後世にはこのかっこいい姿がナポレオンとして認識されます。

一説によるとナポレオンはモデルとしてじっとしていることを画家(ダヴィッド)に断ったそうです。泣く泣くダヴィッドはナポレオンの息子をモデルに描いていたとか。

 

 

 

ナポレオン絵画いかがでしたでしょうか?

 

 

今日はここまでです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回はミレーについて取り上げます!

akashiaya.jimdofree.com

 

参考

「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)

西洋美術史入門」(池上英洋、ちくまプリマ―新書)

なぜ方胸だけ露出させているのに道徳的なのか?絵画の謎を考えよう。&ファイトクラブ雑談。

今日も生きてます。

 

寒いので厚着をして布団やらマフラーやらを可能な限り体に巻き付けています。

 

もはや私の本体は私なのか布なのか悩むところです。

 

布だるま状態でファイト・クラブという映画を見ました。

(※Amazonプライム

 

世間体や物欲に支配されている高給エリートサラリーマンの主人公「僕」が、正反対の考えと生き方をしているマッチョイケメンタイターと出会い、価値観が変わっていきます。

 

意気投合した二人は殴り合いをする「ファイトクラブ」を立ち上げ、その活動に賛同するものがどんどん増え、しまいにはタイターを筆頭にテロ行為まで行うようになります。

 

主人公「僕」は暴走するクラブとタイターを止めに躍起になりますが、そうこうしているうちにとんでもないことに気が付いてしまう。

 

 

というようなあらすじです。

 

お金(売り上げ)のために無駄な時間を削り生産性を上げ、好きでもないことに時間を費やし忙しく働き、得たお金で何をするかといえば、ブランド物や北欧の家具、調理なんてしないのに職人手作りの皿…などを悩み悩み購入する。

 

こんな主人公の「僕」にタイターが「ライフスタイルの奴隷だ」「ものに支配されている」的なことを言っていたのが印象的でした。

 

布だるまにも思い当たる節があったので胸にきました。

 

本当に欲しいものから目をそらして、他人と比べてそこそこの幸せに妥協して生きていると言えるのか!自分と向き合え!自分の人生を生きろ!

 

的なメッセージを受け取りました。

 

私も今日から夜な夜な一人ファイトクラブで血を流そうかな。

布でくるまれてるからどんなパンチでも余裕だぜ。

 

 

 

 

さて、余談が長くなってしまいましたが、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでます。

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著者独自の視点から「人騒がせ」な作品を紹介している本です。

とても面白いです!!!

 

その中から今日はジャン=バティスト・グルーズが描いた「壊れた甕」を取り上げます。

 

 

ジャン=バティスト・グルーズ画「壊れた甕」1771年

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出典:ジャン=バティスト・グルーズ - Wikipedia

 

 

作者は18世紀に風俗画家として大人気だったグルーズという画家です。

 

 グルーズ画『自画像』1769年頃

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出典:ジャン=バティスト・グルーズ - Wikipedia

 

 

当時フランスの美術界では、絵のテーマによってヒエラルキーがありました。

 (上から権威がある順です。↓)

 

 


①「歴史画(宗教主題含む)」

②「肖像画

③「風俗画」

④「静物画」、「風景画」

 

 

 

美術の権威として存在していたフランスの王立彫刻絵画アカデミーで、静物画家や風俗画家として登録されると、格上の歴史画を描くことが許されません

 

グルーズは最も権威のある歴史画家として入会しようとしたのに風俗画家として登録されてしまいました。

 

しかしそれが功を制したのか、グルーズの風俗画は大人気になります。

 

自分を認めないアカデミーの展覧会であるサロンを無視し、ファンに向けて作品を制作し続けます。複製なども出回るほど人気作家になり、名声を得ました。

 

グルーズの作品はかわいらしい少女像などが評判でしたが、絵の中には道徳的な意味や、寓意的な意味を含ませて表現していました。

 

 

 

 グルーズ画「壊れた甕」1771年

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出典:ジャン=バティスト・グルーズ - Wikipedia

 

「壊れた甕」からはどのようなことが読み取れるのでしょうか?

 

 

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少女が持つ甕

 

湯船に浸かる日本と違い、ヨーロッパでは瓶に入った湯をたらいに注ぎ、布で体をぬぐうことが一般的でした。

 

そこから甕は身体の清潔さや聖母マリアの純潔を象徴するようになります。

 

よく見ると絵の中の少女が持つ甕は派手に穴が開いています

純潔を象徴する甕が割れているということは貞節の喪失を意味しています。

 

 

 

 

 

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ここからは個人的見解ですが、衣装が白くて花嫁衣裳のようですね。

それに加えおなかを抱えるポーズが意図的なので、身ごもったよー的なニュアンスも読み取れるような気がします。

 

 

 

そして一番気になるのがこの作品のどこが道徳的なのかという点です。

 

 

 

現代の私からしてみるとこの胸がはだけて乱れたドレスは乱暴されたあとみたいに感じられます。純真無垢さが強調して描かれてる美少女ゆえに心が(勝手に)痛いです。

 

他の作品でもグルーズは方胸露出させてるんですよね。

 

  グルーズ画『白い帽子』1780年

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出典:ジャン=バティスト・グルーズ - Wikipedia

 

 今まで読んできた美術系の本でもモチーフが何を象徴しているかという説明はよく見かけますが、納得できないんですよね。

 

それでネットで調べていたら興味深いことを書いているサイトがありました。

 

神戸の時計宝石商アンティークアナスタシアさんのWEBサイトです。

時計宝石商 アンティークアナスタシ

 

取り扱い商品の中にグレーズの版画の作品があり、その解説の中にこの「方胸露出問題」に関係することが書かれていました。

 

アンティークアナスタシアさんの解説を頼りにこの問題を納得していきたいと思います。

 

 

 

 

 

〇なぜ胸を露出している絵画が道徳的なのか〇

 

 

ます、18世紀のフランスで絵画を購入する主な客層は貴族です。

絵を見る貴族がどんな暮らしをしていたか確認しましょう。

 

貴族たちの結婚は財産の保持が第一で、当事者の意思とは無関係にカップリングさせられ、愛情も伴わない上にものすごい年の差婚も普通のことでした。そこから貞操を守る必要がなく、不倫は当然の成り行きであったようです。

 

18世紀のフランスの貴族たちが好んだのはギリシア・ローマの画題でした。貴婦人たちは神話の登場人物に扮して肖像画を描いてもらっていたそうです。

 

ギリシア・ローマの神々は最高神ゼウスを筆頭に日常的に不倫をしていて、それは当時のフランス貴族たちも同じことでした。

 

そんな常軌を逸した享楽生活の中流行っていた絵画を見てみましょう。

 

 

ジャン・バティスト・ヴァン・ロー画「ガラテア凱旋」1720年

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出典:ロココ - Wikipedia

 

 フランソワ・ブーシェ画「ヴィーナスの化粧」1751年

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 出典:ロココ - Wikipedia

 

フランソワ・ブーシェ画「マリー=ルイーズ・オミュルフィ」1752年

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出典:ロココ - Wikipedia

 

以前ブログ取り上げた不倫の絵「ぶらんこ」も同じ時期です。

秘密の不倫を描いたむふふな名画!?フラゴナールの絵画「ぶらんこ」を読み解く。

 

フラゴナール画「ぶらんこ」1767年

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出典:ロココ - Wikipedia

 

 

神話という体裁で女性の裸は堂々と描かれていましたし、画題が軽薄なものもありました。ロココ時代はこのような作品であふれていたのかもしれませんね。

 

 

そこで同じ時代の画家グルーズの作品を見比べてみましょう。

 

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確かに比べてみるとめちゃくちゃ道徳的に見えてきます。

 

まず描かれている美少女が純真無垢に表現されているし、ヴィーナスと比べたらなおさらです。気になっていた方胸露出も、ちょっとしか見えてないじゃん。ってゆう気持ちになってきますね。

 

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当時の時代背景と環境からすると、この「方胸がはだけた表現」をした絵画は道徳的とみなされていたんですね。少し納得できました。

 

皆様はいかがでしたか?

ガッテンしていただけましたでしょうか?

 

 

 

 

今日はここまで

最後まで読んでいただきありがとうございました。

akashiaya.jimdofree.com

 

 

出典・参考

 「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)

 神戸の時計宝石商アンティークアナスタシアさんのWEBサイト

時計宝石商 アンティークアナスタシ