ルノワールが描いた最も美しい肖像画「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」描かれた美少女の人生を覗いてみよう。
今日も生きてます。
肖像画を描いてもらう機会って現代ではあるのかな?
似顔絵は色々なところで見かけることはありますが、絵画として描いてもらうことは少ないかもしれませんね。
写真が登場する前はお見合い写真として、記念として、宣伝として…絵画はメディアとして活用されていました。めいっぱい着飾り、財産を見せつけている肖像画とかありますよね。
様々な肖像画が残されていますが、描かれた人物に関して知る機会はなかなかないですよね。
今日は印象派の巨匠ルノワールが描いた肖像画「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」のイレーヌ嬢がどんな人物で、その後どのような人生を送ったのかみていきましょう。
ルノワール画 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
出典:イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢 - Wikipedia
ルノワールとは?
出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)はフランスの画家です。
印象派のメンバの一人としても有名です。
明るい光に満ちた画面に幸せそうな人々を描いた作品が印象的です。
ルノワール画『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』1876年。
出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia
ルノワール画「舟遊びをする人々の昼食」1880-81年
出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia
ルノワールはなぜ肖像画を描いていたのか?
現在、印象派のメンバーと言われる画家たちは裕福な出自の人が大半でした。マネやドガなどは絵で生活費を稼ぐ必要がありませんでした。
(ブルジョワ!)
そんな中ルノワールは唯一の労働者階級の出身です。
なので絵画で生活費を稼ぐ必要がありました。
もともと陶器の絵付け見習いであったルノワールは、衣装や少女美しくを描くのも得意でした。
そんな自分の得意分野と肖像画がマッチして、人気の肖像画家としてたくさんの注文を受けるようになります。
最も美しい肖像画「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
ルノワールの画集をみていて心つかまれる作品があります。
「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」です。
ルノワール画 「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia
こんなかわいい&美しい女の子が目の前にいたら私窒息しちゃうかも。
これは絵画なので実際はどんな人であったかわかりませんが、ルノワールはモデルの魅力を描く天才なんだなあと思わされる一枚です。
私もぜひ肖像画を描いてほしいですもの。
(私がモデルだとイリーヌのようにはいかないか)
この絵画は「かわいいイレーヌ」とも呼ばれているようです。
日本にも来日したことがあります。
私は実物見たことありませんが、 実物見たら恋しちゃうな。
イリーヌ嬢の正体
イリーヌはユダヤ系銀行家で裕福な貴族の家庭に生まれた女の子です。
この肖像画はイレーヌが8歳のときに描かれました。
きっかけはルノワールがサロンに出品した「シャルパンティエ夫人とその子どもたち」です。この作品は目立つ位置に展示されたためたくさんの人が注目したようです。
これを見たイレーヌの両親が、ルノワールに娘イレーヌの肖像画を依頼します。そしてこの傑作「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」が制作されました。
出典:ピエール=オーギュスト・ルノワール - Wikipedia
しかし古典的な手法での肖像画を望んでいたイレーヌの両親はこの作品をあまり気に入らなかったようで(信じられん)、この肖像画は飾られなかったようです。
イレーヌ嬢の人生
美しいイレーヌは19歳で結婚します。
お相手はパリでは知らぬ人のいないトルコ系ユダヤ人の大富豪カモンド家のモイーズです。
ちなみにモイーズは18世紀の美術品を収集することに熱をあげていたようで、ついには邸宅まで作り変えてしまいました。
そのコレクションと邸宅は今「ニッシム・ド・カモンド美術館」になっています。
出典:「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)
優雅ですね。
憧れます~
(でも広い家を見ると掃除のことばかり考えてしまいます。なぜか使用人目線!)
カモンド家に嫁いだイレーヌは長男ニッシムと長女ベアトリスを出産します。
裕福な家に子供たち…幸せな生活を満喫すると思いきや、なんとイリーヌは一家の厩舎長のイタリア人サンピエリ伯爵と恋に落ちてしまします。
使用人との禁断の恋ですね。
燃え上がりそうです。
夫婦は別居することになります。
当時フランスで離婚は世間体が悪いこととされていたので、別居は5年ほど続き、その後離婚しました。子供はモイーズが面倒を見ることになりました。
現在のフランスは結婚しないで子供つくるなど、恋愛に自由なイメージがありますが、昔は違ったのですね。
家族に戦争の魔の手が伸びる
その後悲しいことが続きます。
長男ニッシムはパイロットになり第一次世界大戦で亡くなります。
そして長女ベアトリスとその夫と二人の子供はアウシュビッツで虐殺されてしまいました。
元夫モイーズは長女ベアトリス家族が虐殺される前に亡くなっていました。
イレーヌはというと、イタリア人のサンピエリ伯爵と再婚するときにカトリックに改宗し、苗字が変わっていたため、ナチスの目から逃れることができました。
その後、カモンド家の遺産もイレーヌが受け継ぐことになります。
イレーヌは南フランスで遺産を散在しながら91歳まで生きました。
イレーヌの肖像画はどうなったのか?
イレーヌが離婚しカモンド家を出ていったあと、ルノワールが描いた肖像画「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」は長女のベアトリスが所有していたようです。
しかし一家がナチスに虐殺されたときに家財は没収され、そのときにルノワールの絵も持ち去られてしまいました。
そして絵は終戦後の1946年に当時74歳のイレーヌに返還されますが、イレーヌは3年後すぐにこの作品を手放してしまいます。
この作品を次に手に入れたのは、スイスに帰化したドイツ人の印象派コレクターのビュールレです。この人はナチスドイツを始め世界各国に兵器を売って巨万の財を成した武器商人です。
芸術作品は描いた人や描かれた人と関係なく人の手を渡っていくんですね。
おそらく肖像画は写真やデータよりもずっとこの世界に同じ姿で残るモノでしょうね。
72歳のイレーヌは、8歳の頃の自分が描かれた肖像画をみてどのように感じたのでしょうか?
手放したということは、あまり見たくない思い出になっていたのかもしれませんね。
描かれた本人が見たくないと思っても、亡くなってしまっても、絵画としてのイレーヌはずっとたくさんの人に鑑賞され、愛され続けるんだろうな~
芸術作品というものは不思議ですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。