美しさに「毛」はいらない!!!なぜ陰毛を描かないのか?西洋美術の疑問を考える。
今日も生きてます。
題名は忘れてしまいましたが、大学生の頃に日本人の女性の美意識の変遷などが書かれた本を読んだことがあります。
(題名は忘れちゃった)
フェミニズムやジェンダー関係の本を狂い読みしていた時期です。
その中ではもともと日本人女性は体毛を処理していなくて、明治時代に入って洋服を着るようになってから意識が変わってきたということが書かれていました。
着物だと肌の露出が少ないので特別な人以外あまり気にならなかったのかもしれませんね。
しかし明治以降洋服を着るようになって時代がどんどん進むと、女性向けの美意識系雑誌などに体毛は処理するべきだ(エチケット)的な記事も登場し、今に至るようです。
(記憶の中の情報なので曖昧ですみません。)
現在でも電車の中吊り広告などでたくさんのクリニックが脱毛の宣伝してますよね。
洋服と共に体毛が悪的な美意識は西洋から入ってきたという考え方もできるのかなーと思います。
今日はそんな現代の「体毛」の価値観につながるかもしれない西洋絵画における「毛」についてとりあげます。
参考書は「人騒がせな名画たち」(木村泰司さん著、マガジンハウス)と「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房)です。
古代ギリシャ美術の美意識
ミュロン ローマ時代の彫刻の模刻
「円盤投げ」
出典:「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房)
西洋美術の原点は古代ギリシャ美術です。
絵画でも古代の彫刻がお手本にされました。
そんな古代ギリシャではどんなものを美しいとしていたかというと、「男性美」です。
意外にも西洋美術史の中では「女性の美しさ」より「男性の美しさ」を表現した歴史のほうが長いのです。
そしてその「男性の美しさ」の中に「体毛の薄さ」がありました。
なんか毛が濃いほうが強そうな感じしますけど、美と強さは関係なかったのかな。
古代の彫刻では髪の毛と髭、陰毛以外の体毛を表現することはありませんでした。
ポリュクレイトス ローマ時代の大理石模刻
「槍を持つ人」
出典:「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房)
古代彫刻をお手本とする西洋絵画
そんな古代の彫刻作品を西洋絵画はお手本にしました。
なので絵画でも体毛は髪の毛と髭しか表現しなくなります。
なぜか彫刻では陰毛を表現して、絵画で陰毛は表現しない慣例でした。
ミケランジェロも彫刻作品では陰毛を表現していますが、絵画には描いてないんです。
出典:ミケランジェロ・ブオナローティ - Wikipedia
David Gaya - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=125216による
ミケランジェロ『アダムの創造』(1508年 - 1512年)
出典:ミケランジェロ・ブオナローティ - Wikipedia
なぜ美意識から体毛が悪になったか
ここからは私の個人的な見解ですが、「美少年美術史」(池上英洋さん 川口清香さん著 筑摩書房)によると、やはり古代ギリシャでは外見の良さの条件に無駄毛がないことが含まれていたそうです。
そしてだいぶ昔このブログでも取り上げたのですが、古代ギリシャでは男性の年長者が少年を教育する「パイデラスティア」という習慣がありました。
石像式キュリクス紀元前480年頃
出典:「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房)
年長者と少年のカップルで、同性愛です。
若い少年を美しいものとして認識していたようなんですよね。
身体が成熟する前の体毛が薄い時期の少年を美しいと認識していたことから、外見の美しさに無駄毛がないことが加わったのではないのかなあと思います。
そしてその後、「美」の対象に女性も加わったことから女性も無駄毛がないことが美しいとされた。
古代ギリシャの美意識が、明治の文明開化と共に現在の私たちの美意識まで支配してるなんてすごすぎませんか?
次回はそんなタブーを破ったゴヤの「裸のマハ」について取り上げます。
フランシスコ・デ・ゴヤ 「裸のマハ」
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。