農民の画家ミレーは本当に農民の味方だったか?ミレーが当時評価された本当の理由。
今日も生きてます。
「濃厚キャラメル」
「キャラメリゼ」
「期間限定」
そのような文言が記されている商品はなぜか知らぬ間にかごの中に入れてしまう病気にかかっています。
私にとっての殺し文句ですね。
キャラメル味の商品好きです。
さて、今日も「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでます。
誰でも知っている作家や名画の新たな一面を教えてくれる一冊です。
その中から今日はミレーを取り上げます。
ミレーとは?
ジャン=フランソワ・ミレー画『自画像』1841年
ミレーは19世紀のフランスの画家です。
農民の姿を描いた作品が有名です。
ミレー画『落穂拾い』1857年
画家のミレー自身が農民出身なので農民の画家とも呼ばれます。
敬虔な農民を描いた作品はアメリカや日本でも大人気です。
ミレーは生きているときから名声を得た画家でしたが、よりその作品の価値が高まったのはミレーの伝記が出版されたからです。
最初伝記を書いていたのは、ミレー友人アルフレッド・サンシエでした。しかし途中でサンシエは亡くなったってしまい、美術評論家のポール・マンツがサンシエの後を引き継いで伝記を完成させました。
1881年にパリで刊行された伝記『ジャン=フランソワ・ミレーの生涯と作品』の中のミレー像は、「道徳的で、信仰深く、清貧で、農民として生きた画家」というようなイメージです。
この本は各国で翻訳され、「ミレー神話」を世界に広めました。
しかし実際には、ミレーは父の農作業を手伝って育ったものの、農民として生活したわけではありません。貧乏だったということなども誇張されて書かれていました。
ちなみにミレーの絵をオマージュするほど好きだったゴッホもこの本で感動した一人です。弟のテオに向けた手紙の中でミレーの伝記の感想を送っています。
ミレーは農民の味方だったか?
ミレー画「晩鐘」1857-59年
しかし画家として有名になったことからもわかるように、ミレーは家業を継いでいないですし、農業を生業として生活したことはありません。
農民画家として有名になる前に地元で絵の先生をやってくれないかというオファーも断ってパリに出てきています。
若くから画家を志したミレーはパリに行き、もともと裸婦画を描いていたことは有名な話です。
ミレー画『横たわる裸婦』1844-45年
「人騒がせな名画たち」によると、農民を描く画家として成功を収めた後は美術品収集に精を出し、地元の農民と交流することはなかったそうです。
著者はミレーが農民をテーマに描いたのも画家として成功するため、「裸婦像、肖像画」からのジャンル替えに過ぎないと指摘されています。
そういう見方もできるかもしれませんね。
ミレーの本当の革新性
ミレーが伝記に書かれるような神格化された人格に関係なく、ミレーの絵画は当時革新的でした。
革新①農民のイメージ
当時絵画は上流階級の人々が楽しむものでしたので、そのような人々が求める「農民像」というのは、エンターテインメント性を強調させたものや、田園風景の中に平和に暮らす理想郷のようなイメージでした。
しかしノルマンディー地方の農家に生まれたミレーは過酷で厳しい農家の現実を知っていました。それまで西洋絵画に描かれてこなかった現実の農民の姿を描いたのです。
革新②名もない農民を描いた絵をサロンに出品した
それまでサロンに出品されるような絵画に描かれてきた人々というのは、歴史的偉人や神々、そして高貴な人々でした。美術アカデミーの規範では等身大で描かれるのは高貴な人々のみだったのです。
そんな中ミレーは名もなき農民の姿を画面いっぱいに描いた「種をまく人」をサロンに出品します。
ミレー画『種まく人』1850年
サロンの鑑賞者である都市に暮らす保守的なブルジョワジーの中には、郊外や地方に暮らす人々に嫌悪感や偏見を抱いている人もいたので、批判を浴びました。
革新③新しい表現
農民を描いた神聖な画家のイメージが強いミレーですが、当時のサロンにとってはその表現も目新しいものでした。
伝統的にフランスの絵画はつるーんと絵画を滑らかに仕上げるのが理想とされていました。
しかしミレーの作品は、当時の規範から考えると信じられないくらい厚塗りでした。
ミレーの絵は描いた内容も表現も革新的なものであったんですね。
芸術作品って不思議ですよね。
作家と作品のイメージがそのままという人もいますが、人によってはあなたがこの作品を制作したの⁉というような作家もいます。
作品をアピールする側としては同じイメージのほうが売りやすい側面もあると思いますし、鑑賞する方も混乱せずに済みます。
正直作り手の人柄は苦手だが作品は素敵だぜ!!!っていう場面何度かありました。
こういうのは芸術作品の面白い面でもあると思っています。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。