リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

軽くモデルさん撮影雑談

今日も生きてます。

 

前回の最後に、次回はゴヤの話です!

 

と言いつつ別の話題です!

 

すみません。

 

 

今日は美術史お話のではなく先日絵画の参考にモデルさんにきて撮影したよ。という話です。

 

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カメラを構えてるのは明石です。

 

人体を描くにはどうしてもモデルさんを参考にしないと難しいということでカメラや照明を買いそろえたものの…肝心のモデルさんがいない!

 

モデルさんを探せるようなサイトもありますが、基本的にカメラマンの自宅にモデルさんを招くのはリスクが高いので、スタジオを借りたり、屋外で撮影することが多いようです。

 

今回はなんとか知り合いの知り合いという感じでモデルさんが来てくださいました。

感謝感激です。

 

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撮影場所は小道具で雑然としております。

 

ちなみに使用してるのはソニーのミラーレスです。

 

この日のために生まれてきた(?)とばかりに撮りまくりました。

 

私は自然や風景よりも人間に興味があるようでやはり被写体が人だとテンションがあがります。

 

モデルになって差し上げてもいいわよっていう方いらっしゃいませんかね…?

 

という心の気持ちを吐露させて今日は終わりたいと思います。

 

次回は本当にゴヤ話です!!

 

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

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美しさに「毛」はいらない!!!なぜ陰毛を描かないのか?西洋美術の疑問を考える。

今日も生きてます。

 

題名は忘れてしまいましたが、大学生の頃に日本人の女性の美意識の変遷などが書かれた本を読んだことがあります。

(題名は忘れちゃった)

 

フェミニズムジェンダー関係の本を狂い読みしていた時期です。

 

その中ではもともと日本人女性は体毛を処理していなくて、明治時代に入って洋服を着るようになってから意識が変わってきたということが書かれていました。

 

着物だと肌の露出が少ないので特別な人以外あまり気にならなかったのかもしれませんね。

 

しかし明治以降洋服を着るようになって時代がどんどん進むと、女性向けの美意識系雑誌などに体毛は処理するべきだ(エチケット)的な記事も登場し、今に至るようです。

(記憶の中の情報なので曖昧ですみません。)

 

現在でも電車の中吊り広告などでたくさんのクリニックが脱毛の宣伝してますよね。

 

洋服と共に体毛が悪的な美意識は西洋から入ってきたという考え方もできるのかなーと思います。

 

今日はそんな現代の「体毛」の価値観につながるかもしれない西洋絵画における「毛」についてとりあげます。

 

参考書は「人騒がせな名画たち」(木村泰司さん著、マガジンハウス)と「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房です。

 

 

 

 

古代ギリシャ美術の美意識

 

 ミュロン ローマ時代の彫刻の模刻

円盤投げ」

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出典:「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房

 

西洋美術の原点は古代ギリシャ美術です。

 

絵画でも古代の彫刻がお手本にされました。

 

そんな古代ギリシャではどんなものを美しいとしていたかというと、「男性美」です。

 

意外にも西洋美術史の中では「女性の美しさ」より「男性の美しさ」を表現した歴史のほうが長いのです。

 

 

そしてその「男性の美しさ」の中に「体毛の薄さ」がありました。

 

なんか毛が濃いほうが強そうな感じしますけど、美と強さは関係なかったのかな。

 

古代の彫刻では髪の毛と髭、陰毛以外の体毛を表現することはありませんでした。

 

ポリュクレイトス ローマ時代の大理石模刻

「槍を持つ人」

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 出典:「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房

 

 

 

古代彫刻をお手本とする西洋絵画

そんな古代の彫刻作品を西洋絵画はお手本にしました。

 なので絵画でも体毛は髪の毛と髭しか表現しなくなります。

 

なぜか彫刻では陰毛を表現して、絵画で陰毛は表現しない慣例でした。

 

 ミケランジェロ彫刻作品では陰毛を表現していますが、絵画には描いてないんです。

 

ミケランジェロダヴィデ像』

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出典:ミケランジェロ・ブオナローティ - Wikipedia

David Gaya - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=125216による

ミケランジェロアダムの創造』(1508年 - 1512年)

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出典:ミケランジェロ・ブオナローティ - Wikipedia

 

 

 

 

 

 なぜ美意識から体毛が悪になったか

 

ここからは私の個人的な見解ですが、「美少年美術史」(池上英洋さん 川口清香さん著 筑摩書房)によると、やはり古代ギリシャでは外見の良さの条件に無駄毛がないことが含まれていたそうです。

 

そしてだいぶ昔このブログでも取り上げたのですが、古代ギリシャでは男性の年長者が少年を教育する「パイデラスティア」という習慣がありました。

 

石像式キュリクス紀元前480年頃

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出典:「美少年美術史ー禁じられた欲望の歴史ー」(池上英洋さん、川口清香さん著、筑摩書房

 

年長者と少年のカップルで、同性愛です。

 

若い少年を美しいものとして認識していたようなんですよね。

 

身体が成熟する前の体毛が薄い時期の少年を美しいと認識していたことから、外見の美しさに無駄毛がないことが加わったのではないのかなあと思います。

 

そしてその後、「美」の対象に女性も加わったことから女性も無駄毛がないことが美しいとされた。

 

 

 

古代ギリシャの美意識が、明治の文明開化と共に現在の私たちの美意識まで支配してるなんてすごすぎませんか?

 

次回はそんなタブーを破ったゴヤの「裸のマハ」について取り上げます。

 

 フランシスコ・デ・ゴヤ 「裸のマハ」

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出典:裸のマハ - Wikipedia

 

 今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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農民の画家ミレーは本当に農民の味方だったか?ミレーが当時評価された本当の理由。

今日も生きてます。

 

「濃厚キャラメル」

キャラメリゼ

「期間限定」

 

そのような文言が記されている商品はなぜか知らぬ間にかごの中に入れてしまう病気にかかっています。

 

私にとっての殺し文句ですね。

キャラメル味の商品好きです。

 

 

さて、今日も「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでます。

 

誰でも知っている作家や名画の新たな一面を教えてくれる一冊です。

その中から今日はミレーを取り上げます。

 

 

ミレーとは?

 

ジャン=フランソワ・ミレー画『自画像』1841年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia

 

ミレーは19世紀のフランスの画家です。

農民の姿を描いた作品が有名です。

 

ミレー画『落穂拾い』1857年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia

 

 

画家のミレー自身が農民出身なので農民の画家とも呼ばれます。

敬虔な農民を描いた作品はアメリカや日本でも大人気です。

 

ミレーは生きているときから名声を得た画家でしたが、よりその作品の価値が高まったのはミレーの伝記が出版されたからです。

 

最初伝記を書いていたのは、ミレー友人アルフレッド・サンシエでした。しかし途中でサンシエは亡くなったってしまい、美術評論家のポール・マンツがサンシエの後を引き継いで伝記を完成させました。

 

1881年にパリで刊行された伝記『ジャン=フランソワ・ミレーの生涯と作品』の中のミレー像は、「道徳的で、信仰深く、清貧で、農民として生きた画家」というようなイメージです。

 

この本は各国で翻訳され、「ミレー神話」を世界に広めました。

 

しかし実際には、ミレーは父の農作業を手伝って育ったものの、農民として生活したわけではありません。貧乏だったということなども誇張されて書かれていました。

 

ちなみにミレーの絵をオマージュするほど好きだったゴッホもこの本で感動した一人です。弟のテオに向けた手紙の中でミレーの伝記の感想を送っています。

 

ゴッホ画『日没の種まく人』1888年

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出典:フィンセント・ファン・ゴッホ - Wikipedia

 

 

 

 

 

ミレーは農民の味方だったか?

ミレー画「晩鐘」1857-59年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia

 

しかし画家として有名になったことからもわかるように、ミレーは家業を継いでいないですし、農業を生業として生活したことはありません。

 

農民画家として有名になる前に地元で絵の先生をやってくれないかというオファーも断ってパリに出てきています。

 

若くから画家を志したミレーはパリに行き、もともと裸婦画を描いていたことは有名な話です。

ミレー画『横たわる裸婦』1844-45年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia



「人騒がせな名画たち」によると、農民を描く画家として成功を収めた後は美術品収集に精を出し、地元の農民と交流することはなかったそうです。

 

著者はミレーが農民をテーマに描いたのも画家として成功するため、「裸婦像、肖像画」からのジャンル替えに過ぎないと指摘されています。

 

そういう見方もできるかもしれませんね。

 

 

 

ミレーの本当の革新性

 

ミレーが伝記に書かれるような神格化された人格に関係なく、ミレーの絵画は当時革新的でした。

 

 

革新①農民のイメージ

当時絵画は上流階級の人々が楽しむものでしたので、そのような人々が求める「農民像」というのは、エンターテインメント性を強調させたものや、田園風景の中に平和に暮らす理想郷のようなイメージでした。

 

しかしノルマンディー地方の農家に生まれたミレーは過酷で厳しい農家の現実を知っていました。それまで西洋絵画に描かれてこなかった現実の農民の姿を描いたのです。

 

 

革新②名もない農民を描いた絵をサロンに出品した

それまでサロンに出品されるような絵画に描かれてきた人々というのは、歴史的偉人や神々、そして高貴な人々でした。美術アカデミーの規範では等身大で描かれるのは高貴な人々のみだったのです。

 

そんな中ミレーは名もなき農民の姿を画面いっぱいに描いた「種をまく人」をサロンに出品します。

 

 ミレー画『種まく人』1850年

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出典:ジャン=フランソワ・ミレー - Wikipedia

 

サロンの鑑賞者である都市に暮らす保守的なブルジョワジーの中には、郊外や地方に暮らす人々に嫌悪感や偏見を抱いている人もいたので、批判を浴びました。

 

 

 

革新③新しい表現

農民を描いた神聖な画家のイメージが強いミレーですが、当時のサロンにとってはその表現も目新しいものでした。

 

伝統的にフランスの絵画はつるーんと絵画を滑らかに仕上げるのが理想とされていました。

しかしミレーの作品は、当時の規範から考えると信じられないくらい厚塗りでした。

 

ミレーの絵は描いた内容も表現も革新的なものであったんですね。

 

 

 

芸術作品って不思議ですよね。

 

作家と作品のイメージがそのままという人もいますが、人によってはあなたがこの作品を制作したの⁉というような作家もいます。

 

作品をアピールする側としては同じイメージのほうが売りやすい側面もあると思いますし、鑑賞する方も混乱せずに済みます。

 

正直作り手の人柄は苦手だが作品は素敵だぜ!!!っていう場面何度かありました。

 

こういうのは芸術作品の面白い面でもあると思っています。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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画家の忖度MAX!皇帝ナポレオン絵画の裏を読もう!

今日も生きてます。

 

年末の掃除に向けて、私の家では活躍できないモノたちを中古品としてリサイクルショップに販売しました。

 

こういうことするの初めてで値段が付くのか心配でした。

ですが一応値段がついたので良かったです。

 

今まで使わないものはすぐごみとして処分してしまっていたので、リサイクルするのもいいかなと思いました。

 

綺麗な家で新年を迎えるにはまだ課題があるので少しずつ取り組んでいきたいです。

 

 

 

さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでます。

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著者独自の視点から「人騒がせ」な作品を紹介している本です。

とても面白いです!!!

 

本の中でナポレオン絵画について触れられていました。

私も思うことがあったので今日はナポレオン絵画回です。

 

 

ナポレオンが描かれた絵画は基本的にナポレオンかナポレオンの支持者が注文して画家に描かせています。(風刺画などは別)

 

注文を受けた画家は、ナポレオンの意図、つまりナポレオンのイメージアップも考慮に入れて制作しました。(プロパガンダ)

 

今日はそんな画家の忖度MAXなナポレオン絵画を楽しみましょう。

 

 

 

 

 

 

とにかく権威のある神のようなナポレオン 

 

 

アングル画『玉座のナポレオン』 1806年 

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出典:ドミニク・アングル - Wikipedia

 

 

↑の作品はアングルが描いたナポレオンです。

 

あれですね。

とにかく偉そうですね!

(魔除けになりそう☆)

 

これでもかというくらいの荘厳な衣装に身を包み豪華な杖を持っています。

この作品を描いた画家のアングルがどうしたら権威的にナポレオンを描けるかという苦心が伝わりますね。

 

ちなみに後年アングルは同じようなポーズでギリシャ神話の全知全能の神ゼウスを描いています。

 

アングル画『ジュピターとテティス』 1811年

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出典:ドミニク・アングル - Wikipedia

 

 

アングルの中でこのポーズは神のイメージであったのでしょうね。

 

あとナポレオン関係ないけど画家アングルの自画像完全に芸人の小島よしおさんなんだよね。(おっぱぴー)

 

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出典:ドミニク・アングル - Wikipedia

 アングル24歳のときの自画像 (1804)

 

 

 

 

 

まるで王子様?ヒーロー?
白馬にまたがるかっこよいナポレオン

 

 

ジャック=ルイ・ダヴィッド画

『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト

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出典:サン=ベルナール峠を越えるボナパルト - Wikipedia



これはナポレオンがオーストリア軍との戦いの中で、1800年の春に予備軍を率いてグラン・サン・ベルナール峠を経由してアルプスを越えたことをもとに描いた作品です。

 

ナポレオンと言ったらこのイメージですよね。

かっこよくてキャッチ―なイメージで好きな絵です。

 

ナポレオンも気に入ったのか複製をつくらせ、世界には白馬にまたがるナポレオンの絵が5枚あります。集めればナポレオンが生き帰るかもしれません。

 

ですが実際にはどうだったのでしょうか?

 

後年、実際はどんな感じであったか描いてくれと依頼された画家が描いた作品がこちら。

 

ポール・ドラローシュ画『アルプスを越えるボナパルト1850年

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出典:サン=ベルナール峠を越えるボナパルト - Wikipedia

 

…あれですね

白馬じゃないね。

 

実際には馬で峠を越えることはできないようで、馬とロバをを掛け合わせた動物「ラバ」に乗っていたそうです。そして案内人に従いながら進んでいました。

 

この絵も厳しい戦地で励んでいる感じが良いと思います。

ヒーローではないかな。

 

 

 

 

 

 

 

仕事してるアピールのナポレオン

 

 

ジャック=ルイ・ダヴィッド画「書斎のナポレオン」1812年

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 出典:ジャック=ルイ・ダヴィッド - Wikipedia

 

 

一見普通の肖像画ですが、メッセージが含まれています。

 

ナポレオンの傍らにあるろうそくは短くなっていて、長いこと火をともしていたことがわかります。

 

描かれた時計の針は正直読みにくいけれど4時過ぎ?朝方でしょうか?

これは「ナポレオンは市民のために寝ないで仕事をしています。」というアピールです。

 

SNSで迷惑がられるタイプかも。

 

 

 

 

 

 

 

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ちなみに白馬のナポレオンの岩にはハンニバル」「シャルルマーニュという文字に並んで「ボナポルトと刻まれています。

 

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ハンニバル古代ローマ時代の連戦連勝の将軍

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出典:ハンニバル - Wikipedia

 

シャルルマーニュは中世の初代神聖ローマ皇帝

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出典:カール大帝 - Wikipedia

 

二人ともアルプスを越えた歴史的英雄です。

これらの人と同じように偉大だということを示しています。

 

 

たとえ実際に顔が似ていなくても、後世にはこのかっこいい姿がナポレオンとして認識されます。

一説によるとナポレオンはモデルとしてじっとしていることを画家(ダヴィッド)に断ったそうです。泣く泣くダヴィッドはナポレオンの息子をモデルに描いていたとか。

 

 

 

ナポレオン絵画いかがでしたでしょうか?

 

 

今日はここまでです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回はミレーについて取り上げます!

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参考

「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)

西洋美術史入門」(池上英洋、ちくまプリマ―新書)

なぜ方胸だけ露出させているのに道徳的なのか?絵画の謎を考えよう。&ファイトクラブ雑談。

今日も生きてます。

 

寒いので厚着をして布団やらマフラーやらを可能な限り体に巻き付けています。

 

もはや私の本体は私なのか布なのか悩むところです。

 

布だるま状態でファイト・クラブという映画を見ました。

(※Amazonプライム

 

世間体や物欲に支配されている高給エリートサラリーマンの主人公「僕」が、正反対の考えと生き方をしているマッチョイケメンタイターと出会い、価値観が変わっていきます。

 

意気投合した二人は殴り合いをする「ファイトクラブ」を立ち上げ、その活動に賛同するものがどんどん増え、しまいにはタイターを筆頭にテロ行為まで行うようになります。

 

主人公「僕」は暴走するクラブとタイターを止めに躍起になりますが、そうこうしているうちにとんでもないことに気が付いてしまう。

 

 

というようなあらすじです。

 

お金(売り上げ)のために無駄な時間を削り生産性を上げ、好きでもないことに時間を費やし忙しく働き、得たお金で何をするかといえば、ブランド物や北欧の家具、調理なんてしないのに職人手作りの皿…などを悩み悩み購入する。

 

こんな主人公の「僕」にタイターが「ライフスタイルの奴隷だ」「ものに支配されている」的なことを言っていたのが印象的でした。

 

布だるまにも思い当たる節があったので胸にきました。

 

本当に欲しいものから目をそらして、他人と比べてそこそこの幸せに妥協して生きていると言えるのか!自分と向き合え!自分の人生を生きろ!

 

的なメッセージを受け取りました。

 

私も今日から夜な夜な一人ファイトクラブで血を流そうかな。

布でくるまれてるからどんなパンチでも余裕だぜ。

 

 

 

 

さて、余談が長くなってしまいましたが、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでます。

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著者独自の視点から「人騒がせ」な作品を紹介している本です。

とても面白いです!!!

 

その中から今日はジャン=バティスト・グルーズが描いた「壊れた甕」を取り上げます。

 

 

ジャン=バティスト・グルーズ画「壊れた甕」1771年

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出典:ジャン=バティスト・グルーズ - Wikipedia

 

 

作者は18世紀に風俗画家として大人気だったグルーズという画家です。

 

 グルーズ画『自画像』1769年頃

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出典:ジャン=バティスト・グルーズ - Wikipedia

 

 

当時フランスの美術界では、絵のテーマによってヒエラルキーがありました。

 (上から権威がある順です。↓)

 

 


①「歴史画(宗教主題含む)」

②「肖像画

③「風俗画」

④「静物画」、「風景画」

 

 

 

美術の権威として存在していたフランスの王立彫刻絵画アカデミーで、静物画家や風俗画家として登録されると、格上の歴史画を描くことが許されません

 

グルーズは最も権威のある歴史画家として入会しようとしたのに風俗画家として登録されてしまいました。

 

しかしそれが功を制したのか、グルーズの風俗画は大人気になります。

 

自分を認めないアカデミーの展覧会であるサロンを無視し、ファンに向けて作品を制作し続けます。複製なども出回るほど人気作家になり、名声を得ました。

 

グルーズの作品はかわいらしい少女像などが評判でしたが、絵の中には道徳的な意味や、寓意的な意味を含ませて表現していました。

 

 

 

 グルーズ画「壊れた甕」1771年

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出典:ジャン=バティスト・グルーズ - Wikipedia

 

「壊れた甕」からはどのようなことが読み取れるのでしょうか?

 

 

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少女が持つ甕

 

湯船に浸かる日本と違い、ヨーロッパでは瓶に入った湯をたらいに注ぎ、布で体をぬぐうことが一般的でした。

 

そこから甕は身体の清潔さや聖母マリアの純潔を象徴するようになります。

 

よく見ると絵の中の少女が持つ甕は派手に穴が開いています

純潔を象徴する甕が割れているということは貞節の喪失を意味しています。

 

 

 

 

 

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ここからは個人的見解ですが、衣装が白くて花嫁衣裳のようですね。

それに加えおなかを抱えるポーズが意図的なので、身ごもったよー的なニュアンスも読み取れるような気がします。

 

 

 

そして一番気になるのがこの作品のどこが道徳的なのかという点です。

 

 

 

現代の私からしてみるとこの胸がはだけて乱れたドレスは乱暴されたあとみたいに感じられます。純真無垢さが強調して描かれてる美少女ゆえに心が(勝手に)痛いです。

 

他の作品でもグルーズは方胸露出させてるんですよね。

 

  グルーズ画『白い帽子』1780年

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出典:ジャン=バティスト・グルーズ - Wikipedia

 

 今まで読んできた美術系の本でもモチーフが何を象徴しているかという説明はよく見かけますが、納得できないんですよね。

 

それでネットで調べていたら興味深いことを書いているサイトがありました。

 

神戸の時計宝石商アンティークアナスタシアさんのWEBサイトです。

時計宝石商 アンティークアナスタシ

 

取り扱い商品の中にグレーズの版画の作品があり、その解説の中にこの「方胸露出問題」に関係することが書かれていました。

 

アンティークアナスタシアさんの解説を頼りにこの問題を納得していきたいと思います。

 

 

 

 

 

〇なぜ胸を露出している絵画が道徳的なのか〇

 

 

ます、18世紀のフランスで絵画を購入する主な客層は貴族です。

絵を見る貴族がどんな暮らしをしていたか確認しましょう。

 

貴族たちの結婚は財産の保持が第一で、当事者の意思とは無関係にカップリングさせられ、愛情も伴わない上にものすごい年の差婚も普通のことでした。そこから貞操を守る必要がなく、不倫は当然の成り行きであったようです。

 

18世紀のフランスの貴族たちが好んだのはギリシア・ローマの画題でした。貴婦人たちは神話の登場人物に扮して肖像画を描いてもらっていたそうです。

 

ギリシア・ローマの神々は最高神ゼウスを筆頭に日常的に不倫をしていて、それは当時のフランス貴族たちも同じことでした。

 

そんな常軌を逸した享楽生活の中流行っていた絵画を見てみましょう。

 

 

ジャン・バティスト・ヴァン・ロー画「ガラテア凱旋」1720年

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出典:ロココ - Wikipedia

 

 フランソワ・ブーシェ画「ヴィーナスの化粧」1751年

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 出典:ロココ - Wikipedia

 

フランソワ・ブーシェ画「マリー=ルイーズ・オミュルフィ」1752年

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出典:ロココ - Wikipedia

 

以前ブログ取り上げた不倫の絵「ぶらんこ」も同じ時期です。

秘密の不倫を描いたむふふな名画!?フラゴナールの絵画「ぶらんこ」を読み解く。

 

フラゴナール画「ぶらんこ」1767年

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出典:ロココ - Wikipedia

 

 

神話という体裁で女性の裸は堂々と描かれていましたし、画題が軽薄なものもありました。ロココ時代はこのような作品であふれていたのかもしれませんね。

 

 

そこで同じ時代の画家グルーズの作品を見比べてみましょう。

 

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確かに比べてみるとめちゃくちゃ道徳的に見えてきます。

 

まず描かれている美少女が純真無垢に表現されているし、ヴィーナスと比べたらなおさらです。気になっていた方胸露出も、ちょっとしか見えてないじゃん。ってゆう気持ちになってきますね。

 

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当時の時代背景と環境からすると、この「方胸がはだけた表現」をした絵画は道徳的とみなされていたんですね。少し納得できました。

 

皆様はいかがでしたか?

ガッテンしていただけましたでしょうか?

 

 

 

 

今日はここまで

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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出典・参考

 「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)

 神戸の時計宝石商アンティークアナスタシアさんのWEBサイト

時計宝石商 アンティークアナスタシ

 

 

自害を命じられた哲学者の最期をルーベンスはどう描いたか。巨匠が絵に残した嘘と思いやり。

今日も生きてます。

 

家の前の通りにイチョウの木が植えられています。

 最近は黄色い落ち葉が歩道にたくさん散っています。

 

一枚拾ってきてしまいました。

 

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ネットでみた蝶つくってみたくなったので…

ちょっと失敗して無残な感じになったので明日またチャレンジ!

 

 

 

 

 

 さて、今日も「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでます。

 

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著者独自の視点から「人騒がせ」な作品を紹介している本です。

とても面白いです。

今日はその中から巨匠ルーベンスの作品セネカの死」を紹介します。

 

ルーベンス画「セネカの死」

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 出典:「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス) 

 

 

この作品は何が描かれている場面かわかりますでしょうか?

一般的には知ってる人少ないのでは?と思います。

私も「人騒がせな名画たち」を読むまで知らない作品でした。

 

 

実はこの作品は自害を命じられた哲学者のセネカが亡くなる場面を描いているものです。

 

 

 

 

〇哲学者セネカについて〇

 

左側:ネロ 右側:セネカ 

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出典:ルキウス・アンナエウス・セネカ - Wikipedia

 

ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃 - 65年)はローマで活躍した政治家・哲学者・詩人です。

 

 

 

〇政治家としてのセネカは、いろいろな重役を歴任しましたが、最終的には執政官までなりました。当時幼少であった皇帝ネロを支えたともいわれます。

 

 

〇哲学者としてのセネカは、後期ストア派の代表的哲学者とされています。

ストア派の哲学は私には難しかったです。ざっくり下記のような感じでしょうか?

 

人間はロゴス(ストア派にとっての真理や世界の秩序・神的なもの)に従って生きるのが良い生き方。理性が大事で、欲望を脱却すべきだ。

ストア派ストイックの語源で、禁欲主義はストア派の考え方でもある。富や名誉などの欲望に打ち勝った先に幸福がある。

 

 

〇詩人としてのセネカは、「人生の短さについて」「寛容について」などの随筆や書簡・悲劇が後世まで伝わっています。悲劇はシェイクスピアに影響を与えたともいわれています。

 

 

 

セネカは欲望を是としないストア派の哲学者であるにも関わらず、政治家だった一時期は多くの富を集めていました。高い立場にあると禁欲的に生きるのも難しかったのかもしれませんね。

 

政治家として皇帝ネロを支えたセネカでしたが、ネロが暴走し始めると手に負えなくなったのか政治家を引退します。

 

引退後はストア派の理念に則って質素な生活をしていたようです。

 

その後、皇帝ネロに対する謀反計画が露見します。セネカが関与していたかは定かではありませんが、謀反計画をしていた一味の一人がセネカも関係していると証言します。

 

ネロはセネカに自害を命じます。

 

自害を命じられたセネカは初めドクニンジンを飲んだが死に切れなかったため、風呂場で静脈を切って死に至りました。

 

セネカは人気のある偉人だったようで、「セネカの死」をテーマにした作品はルーベンス以外にも多々あるようです。

 

ルカ・ジョルダーノ画 「セネカの最期」1773年

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 出典:ルキウス・アンナエウス・セネカ - Wikipedia

 

セネカについて理解したところでルーベンスの作品を見ていきましょう。

 

 

 

 

 

 

ルーベンス画「セネカの死」を見る〇

 

 ルーベンス画「セネカの死」1612-1623 

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 出典:「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス) 

 

真ん中に描かれているのはセネカです。

 

このポーズは古典の彫刻「アフリカの漁夫」をモデルにしています。

 

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 出典:「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス) 

 

(ルーベンスが生きていた頃はこの彫刻は「瀕死のセネカ」というタイトルで、セネカを表現したものとされていましたが、今ではアフリカの漁夫であるとされている。ちょっぴし悲しい事実。)

 

 セネカの顔も他の彫刻をモデルにしていると思われます。

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出典:Lucius Annaeus Seneca - Wikimedia Commons

 

絵の中のセネカと似てるかな?

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 背後には皇帝ネロが遣わした兵士たちが描かれています。

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右手にはセネカの血管を切る医師が描かれています。 

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ここであれ?となりませんか。

ルーベンスの描いたセネカは事実と反して自害していません。

 

歴史家によるとセネカは自ら血管を切ったとされています。

ルーベンスもこれを知らなかったわけではありません。

 

 

 

 

 

 

 

〇なぜルーベンスは偽りの場面を描いたか〇

 

15、16世紀の知識人にとって、ローマ時代の偉大な哲学者セネカは尊敬の対象でした。

それはルーベンスにとっても同じ事です。

ルーベンスセネカをとても尊敬していました。

 

そして同時にルーベンス敬虔なカトリック教徒でした。

 

カトリック教徒にとって自殺はです。

 

ルーベンスは自分の絵画の中で尊敬するセネカを自殺の罪から救おうとしました。

 

なのでルーベンスの絵画の中では事実と反して医師がセネカの血管を切っているのです。

(セネカキリスト教徒ではないので要らぬお世話かもしれないが。)

 

 

 

美術史に残る画家は、奇人変人の巨匠が目立ちますが、ルーベンス真人間です。超人気作家として大量の注文をこなしていました。工房も持っていました。

 

そして優秀な特使や外交官としても働いていたのです。しかもスペインとネーデルランドの平和のために積極的に働いていました。(「平和と戦争の寓意」という作品も描いています。)

 

絵の才能もあったし、知識人で教養もあり、平和のためにも働いていた…本当に素晴らしい人間です。

 

正直作品は私の好みではありませんが、人間としてルーベンスを尊敬しない人はいないでしょう。

 

セネカを絵の中で救おうとするなんて…さすがルーベンス!!!!!

 

 

ちなみにルーベンスは50‐60歳頃再婚した新妻との間に5人もの子供を作っている。

いろいろすごい。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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秘密の不倫を描いたむふふな名画!?フラゴナールの絵画「ぶらんこ」を読み解く。

今日も生きてます。

 

ネットフリックスで映画廃人になりつつあるということを何日か前のブログでかきましたね。

 

今日も見ちゃった。

 

ネットフリックスオリジナル映画作品「The call」を視聴しました。

 

韓国映画です。韓国の映画を見るのは初めてでしたが本当に面白かったです。

 

主人公が久々に帰ってきた実家の電話が、なぜか過去その家に住んでいた人間とつながるという設定です。電話を通して目まぐるしく現在が改変されていきます。

なので全く展開が読めない。

 

普通の映画なら過去をやり直して現在を良くするという流れになりそうですが、この映画はサイコホラー。そううまくはいきません。ハラハラドキドキです。

 

ネットフリックス入っている人には是非みてほしいです。

 

一日一映画になってしまいそうだ…。

 

 

 

 

 

さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでます。

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今日はロココで一番有名な作品「ぶらんこ」をみていきましょう。

 

 

ロココとは?

ロココというのは、18世紀ごろフランスから始まり、ヨーロッパに広がった美術の様式のことです。絵画においてロココの特徴は、絵のテーマが堅苦しくないものが多い(貴族のピクニック、恋愛など)、曲線を多用する、優美・優雅な感じです。

 

ロココという名称の由来

ロココ」という言葉はロココロカイユ(rocaille)からきています。ロカイユは岩の意味でもとは貝殻で装飾された岩組のことでした。1730年代には貝殻の曲線を多用したインテリア装飾がロカイユ装飾と呼ばれ流行しました。

 

18世紀末~になると、前時代の装飾様式を指して蔑称的な意味で「ロココ」が使われるようになり、現在では普通の美術の様式を意味する言葉として「ロココ」が使われています。

 

 

 

ジャン・オノレ・フラゴナール画「ぶらんこ」1767年頃

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出典:ぶらんこ (フラゴナール) - Wikipedia

 

西洋美術史の本の中でロココというと紹介される絵画です。

 

ロココの時代で画期的であったのは、それまでの西洋絵画史では「人間同士の恋愛」が絵のテーマになることはあまりありませんでした。

 

(あるとしても神サマとか。ルネサンス期は歴史画の体裁をとりつつ、裸の神様同士の恋愛を堂々と描いた。歴史画の体裁があるからちょっとえっちでも大丈夫!)

 

ロココでは人間である貴族たちの恋愛が堂々と絵のテーマとして描かれたのです。

 

その最たるものが「ぶらんこ」といえるのかもしれません。

 

この絵画を注文したのはサン・ジュリアン男爵です。

なんと注文内容が軽薄すぎたため、一回断られた仕事がフラゴナールに回ってきたそうな。

 

 

そんな断られるほどの軽薄な内容とはどんなものであったか?絵をみていきましょう。

 

 

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ブランコに乗ること

当時は性行為を意味した。

絵画の中でブランコに乗っているのは注文主である男爵の若い愛人。

 

 

 

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靴が脱げている

靴が脱げているのは貞節を喪失したことを意味している。

 

 

 

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ブランコを押す男性

描かれているのは愛人の夫らしい初老の男性。

実は注文した男爵は司教を描くように依頼していたようだ。

 

 

 

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スカートの中を覗き込む男性

注文主の男爵。

高く上げた左腕は性的な高揚を示している。

 

 

 

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男爵の後ろのキューピッド

男爵と愛人の関係を示すかのように、口に人差し指をあて「秘密だよ♪」というポーズ。

 

 

 

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愛人の後ろの像

お嬢、大丈夫かい?と成り行きを心配しつつ、興味深々。

 

 

総括すると不倫を楽しんでいる絵画です。

まさか注文したサン・ジュリアン男爵も、超プライベートな作品がこんな後世まで晒されるとは思わなかったでしょうね。

 

クリムトの「接吻」のような「愛」を描く作家もいれば、フラゴナールの「ぶらんこ」のような「愛」の作品もある。

愛はいろいろですね。

 

 

もし皆様が画家だったらこのような注文受けますでしょうか?

 

 

私は喜んで承ります!

(むしろ燃えるぜ)

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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