リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

趣味が錬金術⁉デル・モンテ枢機卿の錬金術部屋の天井画をみよう!

今日も生きてます。

 

新しく買い替えたパソコンのデスクトップの背景はカラヴァッジョの「果物籠を持つ少年」です。

 

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実物を見た名画で感動した作品No,1です。

 

画像からはわかりませんが、果物と少年とを明確に描き分けようとしていて、表現がそれに現れています。少年からオーラが出てる感じ?です。

 

『果物籠を持つ少年』(1593年 - 1594年)67 cm × 53 cm

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出典:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ - Wikipedia



息が詰まるほど集中して描いたんだろうなと思うほど画面が張り詰めてます。

 

その後カラヴァッジョをいろいろ調べてみると、殺人していたり、脱獄したり…波乱万丈人生を送った方と知り、なんだか気になる存在に…。

 

 

ローマでカラヴァッジョ巡礼しましたが、人を殺した人間の作品が聖なる教会に飾られていることが不思議でした。

 

 

カラヴァッジョの重要なパトロンの一人はデル・モンテ枢機卿でした。

 

デル・モンテ枢機卿(オッタヴィオ・レオーニ画)

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出典:フランチェスコ・マリア・デル・モンテ - Wikipedia

 

デル・モンテ枢機卿(1549- 1627)は、イタリア出身のローマ・カトリック教会枢機卿です。

 

枢機卿というのは、カトリック教会における教皇の最高顧問です。

とにかくすごい権力の持ち主です。

 

芸術に興味があったようで、カラヴァッジョ以外にも様々な芸術家を支援していました。同性愛者であったともいわれています。

カラヴァッジョの一時期の作品が魅力的な少年で溢れていることと関係しているでしょう。

 

カラヴァッジョ画『音楽家たち』(1595年 - 1596年)

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出典:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ - Wikipedia

 

カラヴァッジョがデル・モンテ枢機卿に依頼された作品の中には天井画がありました。

枢機卿の別荘の庭園にある小屋の天井にあります。

 

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出典:「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)

 

 

実はこの部屋はデル・モンテ枢機卿秘密の趣味部屋でした。

その趣味がなんと錬金術

 

非金属を金に換える錬金術の研究を人知れずこの天井画のある部屋で行っていました。カトリック枢機卿という立場からすると、これは背徳的な行いでした。

 

錬金術研究を目的とした部屋の天井画ということで、それに関係したローマ神話の神三兄弟が描かれています。

 

 

 

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天空神ユピテル

鷲と共に描かれています。

球体は天界を表していて、ユピテルは天界を支配しています。

 

 

 

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天界

球体をよく見てみると太陽と地球、そして黄道12宮の象徴が描かれ星を表しています。

 

 

 

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プルート

ユピテルの兄で、二又の矛と番犬ケロべロスと共に描かれています。

 

 

 

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ネプトゥヌス

同じくユピテルの兄で海馬のヒッポカンポス(前半身が馬、後半身が魚)と共に描かれています。

 

 

 

これらは錬金術に必要な要素を表しています。

 

ユピテルは空気

プルートは塩

ネプトゥヌスは水

 

 

ちなみにカラヴァッジョの肖像画とこの神々のお顔を見比べてみると…

 

カラヴァッジョの肖像画(1621年頃、オッタヴィオ・レオーニ画)

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出典:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ - Wikipedia

 

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似てる!!!!

 

おそらくご自分をモデルに描かれたのだと思われます。

 

そしてある伝聞では描かれたプルートの下半身は、カラヴァッジョが鏡の上に立った自分をスケッチして描いたともいわれているそうな…

 

ちょ直視しにくい!!!!!!

 

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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 参考

「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)

ルネサンス巨匠ボッティチェリは自らの作品燃やした?死後忘れ去られていた?ルネサンス雑談。

今日も生きてます。

 

ネットフリックスに入会したおかげで映画廃人です。

 

Amazonプライムにも入っているのですが、Amazonプライムは視聴できる映画がたくさんあっても、どれが私の趣味に合うかわからず、選ぶのが面倒で結局見ないです。

 

おすすめがあったら教えていただきたいです。

 

ネットフリックスは私の興味ありそうな映画を勧めてくれたり、マッチ度〇%というように数字に表してくれるんですよね。

 

「クイーンズ・ギャンビット」や「ジョーカー」、「IT」などを視聴しました。バッドマンは知らなかったのですが、ジョーカーは大変面白かったです。

 

あまり映画は観ない人間ですが、人生で観た映画の中で印象に残っているのは「ザ・セル」「ピクニック・アット・ハンギングロック」です。

 

話の筋は結構どうでもよいと思うタイプで、映像の美しさとか、服装、構図などを見ている気がします。字幕はどう考えても画のじゃまだと捉えてますので、いつも洋画は吹替です。しかし画をそんなに意識していない作品の場合は字幕があってもいいかもしれませんね。

 

ネットフリックスでこれから視聴したい映像作品は、「ジェフリー・エプスタイン 権力と背徳の億万長者」「ダークナイト」「トータル・リコール」「THE CALL」「ビッグ・フィッシュ」「ピーターラビット」あと進撃の巨人も見てみたいな…

 

廃人生活は終わらない!

 

 

さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでいます。

 

ボッティチェリ画「ヴィーナスとマルス」(1483年)

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 ブログではボッティチェリ雑談が続いています。

 

誕生ではなく漂着した瞬間?世界的名画ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を知る。 

名画「ヴィーナスの誕生」雑談。愛と美の女神になぞらえられた美女は誰なんだろう?

 

 

ボッティチェリが生きた時代はルネサンスと言われていますね。

(そういえばルネッサーンス!といってグラスをチンするお笑いコンビはまだ健在なのでしょうか?)

 

キリスト教が根付いた後のヨーロッパで、このような異教の神を堂々と(しかも裸!)描くということは許されていたのか疑問です。

 

調べると、この時期内部抗争で教皇の影響力が弱まっていたことや、貿易によって富がフィレンツェの商人に蓄財され権力を持ったことオスマン帝国ビザンツ帝国から古代ギリシア・ローマの文化がイタリアに入ってきたこと…などなど様々なきっかけがあるようです。

 

この時期のメディチ家などの上流階級の知識人たちにとって古代ギリシア・ローマの古典は必須教養でした。

 

描かれた異教の神々は、信仰の対象ではなく文学の中に登場する「キャラクター」という立ち位置でありました。

 

特にメディチ家プラトンについて研究していたようです。神から発せられる光が「美」、それを精神的に求めることが「愛」という哲学から、美を求める人は愛と解釈されました。

 

哲学を理解するのは難しいですが、この時期に隆盛していた新プラトン主義というものが、その時期の芸術を推し進める理由の一つになり、ヴィーナスが描かれたのです。

 

 

ボッティチェリは死後忘れられた存在になっていました。19世紀にラファエロ前派が再発見したため現代までルネサンスの有名な作家になっています。

 

 

サヴォナローラの肖像

(フラ・バルトロメオ画1498年頃)

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出典:ジロラモ・サヴォナローラ - Wikipedia

 

調べていくと、ボッティチェリはローマ教会の堕落を批判していたドメニコ会修道士のジェローラモ・サヴォナローラという人の影響力を強く受けていたそうです。

 

その人の影響されて異教徒的な作品を自ら「焼く」という行動に出たそうな…。

 

この出来事は「虚栄の焼却」と呼ばれているようです。

 

1497年2月7日に起きたイタリアのフィレンツェ当局が罪とした化粧品、芸術、書籍、トランプなどをドミニコ会司祭ジロラモ・サヴォナローラの支持者がマルディグラの祭りでくべたかがり火の事である。そこから政府などが罪としたものを燃やす物を指すようになった。

 

 

注文して描いたものなのだから、そんなことしなくても…と思ってしまいますが、仕事は仕事、というようなドライな人ではなかったのでしょうね。

 

 

宗教は芸術作品と関わりが深いので、それなしには語れませんね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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名画「ヴィーナスの誕生」雑談。愛と美の女神になぞらえられた美女は誰なんだろう?

今日も生きてます。

 

去年からペンタブで絵を描いています。

あまり上達してないかも…涙

 

ですが、アイディアスケッチしたり、構図を考えたりすることは紙よりデジタルのほうが都合がよさそうです。

 

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PC上で良いなあと思ったブラシの表現をアナログに転換する作業が面白そうです。

 

もっと魔法使いのように頭の中のものを形にできたら楽なのにな~。

 

どんな道具を使っても、結局進むのは一歩ずつですよね。

 

長生きしましょう。

 

さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでいます。

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前回はボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」について取り上げました。

 

昨日のブログ↓

誕生ではなく漂着した瞬間?世界的名画ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を知る。 

 

 

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今日もこの作品のあれこれについて雑談していきます。

 

実はイタリアに行ったときにこの作品を実際に見ました。

大きくて迫力ありました。

 

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ツアーでしたので、どんどん皆さん先に進んでしまって…もっとゆっくり見たかったなあ。

 

額が付いているとまた印象が違う気がします。

 

 


「ヴィーナス」自体はギリシア神話のキャラクターで様々な画家が描いています。

 

ポンペイの壁画

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出典:ウェヌス・アナデュオメネ - Wikipedia

 

↑は1960年に出土されたポンペイの壁画です。

貝に横たわっているヴィーナスが描かれています。

 

この「貝」は絵的には女性器を象徴しているという解説もよく見ます。

 

古代ギリシアの詩人「ヘシオドス」

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出典:ヘーシオドス - Wikipedia

 古代ギリシアの詩人であったヘシオドスが、ギリシアの神々のことを書いた「神統記」の中でヴィーナスが「貝」に乗って移動したというものは見当たらない。

 

風刺作家ルキアノス(120-180)

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出典:ルキアノス - Wikipedia

この貝に乗る表現というのはアテナイで活躍した風刺作家ルキアノス(120-180)の著作の中で「貝に乗ったヴィーナスが運ばれる」といったような表現を確認できるようです。

 

ところでボッティチェリヴィーナスの誕生は、当時フィレンツェの裕福な銀行家であったメディチ家が注文したものです。

 

詩人アンジェロ・ポリツィアーノ

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出典:アンジェロ・ポリツィアーノ - Wikipedia

モチーフや構成から、詩人アンジェロ・ポリツィアーノの詩集「La giostra」(馬上槍試合)の中に描かれている文章が参考にしているのでは?とも言われています。

 

詩人アンジェロ・ポリッツィアーノは、詩人であり、メディチ家の家庭教師もしていました。つまりボッティチェリもポリッツィアーノもパトロンは同じメディチ家だったのです。

 

ジュリアーノ・デ・メディチ

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出典:ジュリアーノ・デ・メディチ - Wikipedia

 

「La giostra」(馬上槍試合)は、1475年に馬上槍試合トーナメントでジュリアーノ・デ・メディチが優勝したことを祝って書かれたものです。ジュリアーノ・デ・メディチは当時富と権力のあった銀行家メディチ家の息子です。

 

シモネッタ・ヴェスプッチ

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出典:シモネッタ・ヴェスプッチ - Wikipedia

この行事の中で、美の女神役をジュリアーノの愛人であったシモネッタ・ヴェスプッチが演じます。ジュリアーノ・デ・メディチはシモネッタに夢中でした。

ちなみにシモネッタは夫があり、人妻です。

禁断の恋ですな。

 

詩「La giostra」(馬上槍試合)の中では二人の恋を描いているという見方もできます。

 

ボッティチェリが描いた「ヴィーナスの誕生」は、シモネッタ・ヴェスプッチがモデルです。参考にしている詩「La giostra」(馬上槍試合)がシモネッタ・ヴェスプッチとジュリアーノ・デ・メディチを描いているとすれば当然のことかもしれません。

 

人妻との禁断の恋愛に夢中なパトロンを喜ばそうとしている芸術家2人が思い浮かびますね。

 

また、ヴィーナスのポーズは、当時メディチ家が所蔵していた彫刻作品をモデルにしているといわれています。

 

クニドスのアプロディーテー

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Ludovisiコレクションの「クニドスのアプロディーテー」。

ローマ時代の複製の大理石像(胴と腿)。

頭部、腕、脚、手に持っている服などは後世の復元

 

 

ボッティチェリがこれを見たのでは?と推測されます。

このポーズは「慎み(恥じらいとも)のヴィーナス」と称されるようで、他にも同じようなポーズをしているヴィーナスがたくさんいます。

 

 

『メノファントスのアプロディーテー 紀元前1世紀、ローマ国立博物館所蔵。

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出典:カピトリーノのウェヌス - Wikipedia

 

ボッティチェリのヴィーナスはいろんな文献や古代からの表現を統合させて「ヴィーナスの誕生」を描いたことがわかりますね。

 

 モデルになったシモネッタは20代前半で若くして亡くなってしまうのですが、ボッティチェリはその後も絵画にシモネッタ像を使用しています。美しくて印象的な方だったためか、パトロンを慮ってそうしたのかもしれません。

 

 

ちょいと長くなってしまいましたね。

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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誕生ではなく漂着した瞬間?世界的名画ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を知る。

今日も生きてます。

 

画材を少し増やしたので少し整理整頓しました。

 

正直お片付けは苦手な性分です。

ですが仕方がない、年末ですもの。

 

少しは良い部屋の状態で新年を迎えたいです。

 

なんとなく同じ容器に入れたら整って見える(?)感じがする気がするのでとりあえず容器を何個か購入し、いろいろ詰め込んで積み上げてみました。

 

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するとすっきり!気持ちがいいですね。

 

そして何をどれに入れたか速攻忘れちまいました。

同じ容器だからわからないよ…

 

面倒なので中身を確認するのは来年です!

 

 

さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでいます。

 

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今日取り上げる作品はこちら。

 

 

 

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出典:ヴィーナスの誕生 - Wikipedia

サンドロ・ボッティチェッリ画「ヴィーナスの誕生」ウフィッツィ美術館

 

ヴィーナスの誕生です。

 

実はこの作品、海の泡から今まさにヴィーナスが誕生した瞬間…ではなく、キュテラ島からキプロス島に漂着した瞬間が描かれているそうです。

 

 

ヴィーナスは、ギリシャ神話に登場する愛と美の女神です。

 

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出典:ヘーシオドス - Wikipedia

古代ギリシアの詩人「ヘシオドス」

 

古代ギリシアの詩人であったヘシオドスが、ギリシアの神々のことを書いた「神統記」の中で、ヴィーナスがどのように誕生したかが記しています。

 

 

大地の女神ガイア天空の神ウラヌスは様々なものを生み出しました。

 

その中に「目が一つのキュクロプス族」「100の手と50の頭を持つヘカトンケイル族」がいました。

 

ウラヌスはこの子供たちのことを嫌い、ギリシア神話的地獄&冥界であるタルタロスに閉じ込めてしまいます。

 

そのことに大地の女神ガイアが怒ります

 ガイアは息子の一人であるクロノス復習を依頼します。

 

クロノスは父親である天空の神ウラヌスに襲いかかり、斧でウラノスの男性器を切り落として海に投げ込みます。

 

そしてこの性器が落ちたところから泡がわき、ヴィーナスが生まれます。

 

ヴィーナスは風神ゼフィロスに運ばれ、やがてキュプロス島に漂着します。

 

突拍子もないところが神話らしいですね。

 

ボッティチェリの絵画のヴィーナスは風の神に運ばれ、キュプロス島に到着した場面を描いています。

 

しかし何故この作品の題名がヴィーナスの誕生になっているかというと、19世紀に「この作品は誕生した場面を描いている」という誤った解釈がされ、そこから題名がつけられてしまったためです。

 

つまりこの作品の題名は作品が制作された時代よりもっと後に、画家と関係がない人がつけたということですね。

 

その題名が有名になって現代にいたります。

 

細かいことですが、漂着シーンと思うと絵画の見え方が少し変わってきませんか?

 

 

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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「農民の画家」と言われるブリューゲルの農民に対する本音は?見下していたの?

今日も生きてます。

 

私のようなインドア派にとって大雨はイベントです。

 

朝の目覚め時に激しい雨音がしたので、

 

めちゃくちゃ雨音するなア

今日は朝から大雨だぞ~

 

という若干わくわくさん気分で朝の準備をしていましたが保湿器の音でした。(がーン)

 

窓の外には青空が澄み渡ってました。

 

気が済むまでBGMは嵐+雨音にしました。

 

 

さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでいます。

 

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今日はブリューゲルについて取り上げます。

 

ブリューゲルの作品で一番有名なのはバベルの塔ではないでしょうか?

日本にも来たことがあります。

 

 

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 出典:ピーテル・ブリューゲル - Wikipedia

ブリューゲル画 「バベルの塔」1563年頃

 

 

ブリューゲルは16世紀のブラバント公国(現在のオランダ)生まれの画家です。

その生涯についてわかる資料は少なく、ほとんどわからないというのが実情です。

 

 

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 出典:ピーテル・ブリューゲル - Wikipedia

ピーテル・ブリューゲル (1525 - 1569)

(↑は死後(1582)に発表された肖像画

 

ブリューゲルバベルの塔以外にも、農民のことを描いた作品を多数残しています。

 

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 出典:ピーテル・ブリューゲル - Wikipedia

ブリューゲル画「ネーデルラントの諺」1559年

 

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 出典:ピーテル・ブリューゲル - Wikipedia

ブリューゲル画「雪中の狩人」1565年

 

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 出典:ピーテル・ブリューゲル - Wikipedia

ブリューゲル「農民の婚宴」1568年

 

 

ブリューゲルは都市に暮らしていた教養人で、都市部の上流階級の人々のために作品を制作しました。

 

なので描かれた農民たちの暮らしの作品を楽しんでいたのはそんな暮らしとは縁のない上流階級の人々です。

 

ブリューゲルは、当時の都市部の上流階級の人々から愚かな存在と考えられていた農民の姿を、エンターテインメント的に描いていたというのが現実のようです。

 

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 出典:ピーテル・ブリューゲル - Wikipedia

ブリューゲル画「農民の踊り」1568年

 

↑の作品では教会に背を向け、乱痴気騒ぎする農民のようすを見ることができます。

 

 

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村の教会

 

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キリスト教七つの大罪の中にある色欲・大食い・憤怒・貪欲などを察することができる表現。

 

農民たちの踊りも都市部の上流階級の人々から見たら、粗野で騒々しいと思われていたそうです。同じ国の中でも全く文化が違ったのです。

 

 

ここまでは「人騒がせな名画たち」で著者の木村泰司さんが指摘されていることです。

 

Wikipediaによると、日本の美術史家である森洋子さんや阿部謹也さんは違う意見のようです。

 農作業に向かう娘たちの初々しい表情や、結婚式に集まる人々の歓喜の様子といった、彼らの生活の隅々にまで入り込み、「人間」としての農民たちの生き生きとして細を極める描写は、農民たちの側に立って、その心の奥まで知り尽くした者でなければ到底描け得ないものであり、こういった画一的な見方は当てはまらないとしている。

引用:ピーテル・ブリューゲル - Wikipedia

 

捉え方は人それぞれのようです。

 

個人的には農民に愛があったらもう少し美化して描くぜぃと思います。

 

皆様はどのように思われますでしょうか?

 

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 出典:ピーテル・ブリューゲル - Wikipedia

ブリューゲル画「怠け者の天国」1567年

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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フェルメールブームの火付け役「テオフィル・トレ」の思惑

今日も生きてます。

 

実家の両親が秋田県産のリンゴを送ってくれました。

 

リンゴは食感がもそもそしているのとしゃきしゃきしているものがありますよね。個人的にはしゃきしゃき系が好きです。

 

今朝は「朝食リンゴヨーグルト」を再現してみようとすりおろしリンゴをヨーグルトに投入してみました。あれですね、そのまま食べる方が美味しいですね!残念!

 

しゃきしゃきという食感もリンゴのおいしさを構成する重要な要素なんですね。

 

しゃきしゃき食感に飽きたら焼きリンゴやジャム、アップルパイに挑戦したいです。

楽しみが増えましたね。

 

さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでいます。

 

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フェルメールについて書かれたものがありました。

今日はフェルメールブームの火付け役「テオフィル・トレ」について取り上げます。

 

 

まず、フェルメールは17世紀オランダの画家です。真珠の耳飾りの少女が一番有名な作品かと思います。毎年フェルメールの作品は日本のどこかで見ることができるくらい人気のある作家です。

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出典:真珠の耳飾りの少女 - Wikipedia

 

今では有名なフェルメールですが、死後は存在を忘れられていました。フェルメールの評価が高まったのは美術評論家「テオフィル・トレ」が活動したためです。

 

 

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出典:Théophile Thoré-Bürger - Wikipedia

 テオフィル・トレ(1807年-1869年)

 

テオフィル・トレはフランス生まれの美術評論家であり、政治ジャーナリストです。

テオフィル・トレがフェルメールと初めて出会ったのは1842年、オランダの美術館です。

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出典:ヨハネス・フェルメール - Wikipedia

フェルメール「デルフトの眺望」

 

フェルメールの「デルフトの眺望」をみて深い感銘を受け、フランスでこの作家の知名度を上げようと決心しました。

その後テオフィル・トレは可能な限りフェルメールの作品を購入し、研究も続けます。

 

1866 年にパリで行われた展覧会「Exposition rétrospective tableaux anciens empruntés aux galleries particulières(個人蔵のオールドマスター回顧展)」ではパリで最も著名な個人所蔵の作品が展示されました。

 

そこには11点のフェルメールの作品が展示され、フランスでフェルメールの認知度があがります。

 

というのもそのうちの6点がテオフィル・トレが所有しているもので、テオフィル・トレはこの展覧会のアドバイザー的役割であったため、当然と言えば当然です。

 

その後テオフィル・トレは時間をかけて十分な資料を揃え、1866 年 10 月から 12 月にかけて『Gazet des Beaox-Arts(ガゼット デ ボザール)』(フランスの美術雑誌)に、2 つの長い論文と 3 部門に分けた彼の所蔵作品のカタログを公開しました。

 

その後この論文と、フェルメールを広める活動により、フェルメールの作品には高い価値が付くようになりました。

 

陰謀論的に見れば、テオフィル・トレの思惑通り!になりました。

 

 

ここまではフェルメール伝説の一つとしてよく知れ渡っている話ですが、「人騒がせな名画たち」の中で著者の木村泰司さんが違う観点からも解説されていました。

 

 

テオフィル・トレは熱心な社会主義者であったため、フランス革命以降の市民社会化が進むフランスには、フェルメールの絵画のような名もない一般市民が働く場面を描いた風俗画こそが当時のフランス社会にふさわしいという考えがありました。

 

いろいろな技法や構図などの表現が称賛されているフェルメールですが、もしモチーフが貴族や神話であったらテオフィル・トレは取り上げなかったでしょう。

 

働く無名の一般市民を描いた点が、テオフィル・トレの政治的な主張とマッチしました。

 

 

しかしテオフィル・トレが始めたフェルメールキャンペーンはフランスで見事成功し、現代までその影響力を発揮していることがすごいですね。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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Google Arts&Cultureモザイク雑談。

今日も生きてます。

 

 

ネットで美術館を体験できるサービスって色々ありますよね。

 

昔からあるようですが、最近Google Arts&Cultureで世界の美術館を見て楽しんでいます。

 

グーグルマップの美術館版という感じで、美術館内を自由に散策できます。

 

中で少し気になることがあり、たまに顔にモザイクがかかっているものがあるんですよね。

 

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出典:Google Arts&Culture

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出典:Google Arts&Culture

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出典:Google Arts&Culture

 

他の角度から見ると普通に見ることができます。

 

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出典:Google Arts&Culture

 

プライバシー配慮?

一部の彫刻だけですし、他の角度から見るとモザイクが消えるということは、隠しているわけではなくて、バグ的なものなんでしょうか。

または袋とじ的な感覚で、ここからは実際の現地にて!ということ?

 

ですがモザイク、しかも顔がかかると逆に気になってしまいますね。

(想像が止マラナ~イ)

 

隠すって行為は本当に人間の想像力刺激しますね!

正直楽しいです!

 

それ以外にも普通に作品をじっくり鑑賞できて大変良いです。

おっきい彫刻も、画面ですが対面しているようでドキドキします。

 

VRで体験できる機能もあるようです。臨場感すごいだろうなあ。

 

本で知識を蓄えても実物見れないことが多いので、資料や分析だけなら画面でだけでも見れるとうれしいです。

 

Google Arts&Cultureは他にもクイズや塗り絵など、楽しめるサービスがたくさんあります。日本語には対応していませんが、翻訳はできますのでざっくり楽しめます。

 

 

時間を見つけてちょっとずつ遊んでいこうかなと思います。

 

皆様もお時間あるときに覗いてみると面白いかもしれません。

 

 

 

 

簡単ですが今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

akashiaya.jimdofree.com