リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

松喰鶴ー長生きしてやるぜ!文様ー

今日も生きてます。

 

前回は「松」について取り上げました。

 

今日は続きで、「松喰鶴」(まつくい鶴)についてです。

 

前回まで、松が長寿や繁栄の象徴として捉えられ、様々な芸術品や紋様のモチーフになってきたという内容でした。

 

様々な松の紋様の中に鶴が松を咥えているものがあります。

 


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松喰鶴

 

松と同じように鶴も千年生きるといわれ、長寿を象徴する縁起の良いモチーフです。

 

そんな鶴が松を咥えている様子というのは、とんでもなくめでたいということです。

 

 

実はこの松を咥える鶴の紋様の歴史を辿っていくとササン朝ペルシアに行き着きます。

 

 

もともとペルシアの紋様では、鳥(聖鳥・瑞鳥)が王候貴族の身分を表す装飾品を咥えていました。

 

このような紋様は昨鳥文や含綬鳥文と呼ばれました。

 

 

唐では、このような紋様は宝相華を咥えた鳳凰などで表現されるようになります。

花喰鳥文様として様々なものに使われました。

 


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鳳凰・飛翔・宝相華文 乾漆弥勒像光背」  奈良時代 法隆寺

 


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「天寿国繍帳」 飛鳥時代 中宮寺

 

 


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「金銅鳳凰形栽文」 正倉院

 

 


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「金銀平脱皮箱 蓋表 」正倉院

 

正倉院の中の品々には、様々な鳥がそれぞれいろいろなものを咥えている花喰鳥を発見できます。

 



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「金銀平脱背八角鏡」 正倉院

 

 

平安時代になると、人々の美意識が変化し、この花喰鳥の文様も和様化され、鶴が若松を咥えているものになります。

 

平安後期代表的な文様として松喰鶴が確立します。

 


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「松喰鶴蒔絵小唐植」 平安時代 厳島神社

 

 


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「久能寺経 法華経腎喩品」平安時代 鉄船寺

 

 

 

不老不死&長寿の象徴である松と、千年生きて長寿の象徴である鶴をかけあわせるとは…

 

長生きしてやるぜ!という意気込みが感じられる文様ですね。

 

もとのササン朝ペルシアの装飾を咥えた鳥や、唐の花を咥えた鳥も個人的には好きです。

 

 

和風の模様ってほとんど縁起物なんじゃないかと思い始めました。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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松紋様ー絵も工芸品も松だらけだなあー

今日も生きてます。

 

カレーは辛いものほどうまい!

 

と、寒くなってきたせいか料理に辛さを求めてしまう明石です。

 

 

さて、「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(誠光堂新光社、監修矢嶋新)を読んでます。

 

 

昨日は松竹梅がめでたいのはなぜか?ということについて触れました。

「松・竹・梅」はなぜめでたい?ー歳寒三友ー - リアル絵描き日記

 

今日はその中でも「松」の話です。

 

松が描かれた傑作ってたくさんありますよね。

 


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 円山応挙画「雪松図屏風」

 

 


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長谷川等伯画 「松林図」

 


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尾形光琳画「松竹鶴図屏風」

 

 


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伝土佐光信「松図屏風」

 

前回のブログで触れたように、松は長寿や不老不死・繁栄を象徴しています。

 

寺社や城の襖や屏風に松が選ばれるのは松が縁起の良いものだからです。

 

 

 

 

名物松

旅ブームから浮世絵の名所画がヒットした江戸時代には、三保の松原天橋立・唐崎の松(近江八景)などなど…色々なところの名物松も多く描かれました。

 


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歌川広重「名所江戸百景 上野山内月のまつ」

 

 

 

松紋様

縁起の良い松モチーフは着物などの紋様に広く使われるようになります。

 

松は葉や幹、松ぼっくりや、近くで見たときと遠くで見たときの印象の違いなど、様々な捉え方ができるモチーフなので、同じ松といっても多種多様な紋様が生まれました。

 


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若松の紋様

新春を祝う紋様

 


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若松の紋様

松葉の先に新芽がついています。

 


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若松菱

若松を菱形の紋様にしたもの。

 


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丸松

日本の若松の枝を丸く組み合わせています。

 

 


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松葉丸

松葉を丸文にし、散らしている。

 


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松葉散らし

針状の松を散らした紋様

 


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敷松葉

その昔、庭に松葉を敷いて霜を防いだところからできたと言われる紋様。

 

 


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松葉菱

松の葉で菱形を構成してます。

 

 


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老松

 


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老松

年月を経た松を紋様のモチーフにしています。

 

 


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松立涌

松を立涌にしたもの。

 


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松喰鶴

鶴が松を咥えています。

 


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松皮菱

松の皮を剥がしたときの形が似ているためこの名前がつけられました。

 


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松皮菱の形が崩れたもの。

 

 

 

 

などなど…

同じ松がモチーフになっているにも関わらずたくさんありますね!

 

 

 

次回は松を咥える鶴の紋様「松喰鶴」をもう少し掘り下げます。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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参考

「漫画でわかる日本絵画のテーマ」

(誠光堂新光社、監修矢嶋新)

 

「日本・中国の紋様事典」

(視覚デザイン研究所)

「松・竹・梅」はなぜめでたい?ー歳寒三友ー

今日も生きてます。

 

クラッカー+ブルーチーズ+蜂蜜が、とても美味しくてはまりそうです。

(こ、肥えてまう…。)

 

お酒飲まないけどワインなど嗜みながらつまんだらおしゃれですよね。

 

私は白湯と一緒につまんでます。

 

 

さて、「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(誠光堂新光社、監修矢嶋新)を読んでます。

 

この本も読みはじめて今日で162ページになりました。


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他のシリーズもあるみたいなので、次読む本は「マンガでわかる日本絵画の見かた」にしようかなと思います。

 

 

お付き合いよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

縁起物といえば「松・竹・梅」ですよね。

 

ハレの日に着る着物の柄の中や、お正月飾りに使われています。

 

何の疑問もなく松竹梅はおめでたいモチーフだと信じていましたが、なぜ松竹梅なのでしょうか?

 

今日はそこら辺を見ていきましょう。

 

 

 

 

歳寒三友


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趙孟堅『歳寒三友図』、13世紀。

 

 

松竹梅は中国のにあったものが日本に来たものです。

 

中国では松竹梅の画題を「歳寒三友」と呼んでいました。

 

歳寒三友という言葉の起源は論語の中にあります。


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孔夫子の像

「子曰、歳寒然後知松柏之後凋也」

 

孔子曰。益者三友。損者三友。友直。友諒。友多聞。益矣。友便辟。友善柔。友便佞。損矣。

 

論語 孔子

 

 

 

歳寒の出所である

 

「子曰、歳寒然後知松柏之後凋也」

(しいわく、としさむくしてしかるのちしょうはくのしぼむにおくるることをしるなり)

 

というのは…↓

 

 

 

 

寒くなったあとに(歳寒)、葉がなくなった落葉樹の中にある常用樹である「松」の存在がはじめてわかる。

 

それと同じように、人間も困難な状況になったときに初めて本性がわかる。

 

大事に遭遇して初めて君子の節操がわかる。

 

 

ざっくりと上のようなことを意味しています。

ここから松=節操という意味付けがされます。

 

 

 

 

 

 

そして、三友の出所である

 

孔子曰。益者三友。損者三友。友直。友諒。友多聞。益矣。友便辟。友善柔。友便佞。損矣。」

(こうしいわく、えきしゃさんゆう、そんしゃさんゆう。ちょくをともとし、りょうをともとし、たぶんをともとするは、えきなり。べんぺきをともとし、ぜんじゅうをともとし、べんねいをともとするは、そんなり。)

 

というのは…↓

 

 

 

良い友が三種類、悪い友が三種類ある。 

 

正直な友、誠実な友、博識な友と付き合うのは得である。

 

不正直な友、不誠実な友、口先のうまい友と付き合うのは損である。

 

 

ざっくりと上のようなことを意味しています。

 

 

 

 

論語の言葉から、

 

自分にとっての益者三友は⚫と⚫と⚫。

損者三友は⚫と⚫と⚫。

 

というような何か三つを選ぶんで三友と称する形が生まれます。

(詩の中で使われたことがあったようだ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上を踏まえて、清の文学者で絵画の鑑賞家としても有名だった高士奇(こうしき)が言葉を残しています。

 


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「畫松竹梅于上、日歳寒門」

 

高士奇

 

 

「畫松竹梅于上、日歳寒門」

(しょうちくばいのうえにえがくは、さいかんのもんという)

 

 

ここでやっと松竹梅が三つ揃うわけですな。

 

 

 

「松」論語の中でも触れられていたように、風雪や厳しい寒さの季節でも緑を保つこと。

 

「竹」は寒い季節に屈せず上へ上へと伸びていくところ。

 

「梅」は他の花々に先駆けて花をひらくこと。

 

 

 

どんな環境の中でも生き抜く「持久力・成長力・生命力」を持つ松竹梅が、厳しい環境の中でも変わらぬ志を持ち、清廉潔白であることの象徴となりました。

 

それを指す言葉が「歳寒三友」です。

 

文人の理想とされました。

 

 

 

 

ここで、おや?日本と少し意味合いが違うぞ?となります。

 

 

水墨画の画題として多く描かれ、陶磁器の模様としても用いられるようなった松竹梅は、日本に伝わると違った意味合いになっていきます。

 

 

 

 

もともと日本では葉を落とさないため、不老不死を意味し、長寿につながる縁起の良いものとされていました。

 

またその語源を、「神の天下りを待つ」というものと捉えられていたため、神社などによく植えられています。

 

 

は根が周囲にはびこって次々と新芽を出し、すくすく伸びる様子から、子孫繁栄の象徴となります。

 

 

は、平安時代ごろまで「花」といえば「梅」を指しているほど愛されていました。

江戸時代に「松竹梅」が流行すると、おめでたいものとして認識されるようになります。

 

 

中国の歳寒三友としての松竹梅も、おめでたいという意味とは少し違いますが、かっこいいです。

明日に続きます。

 

 

 

 

 

 今日はここまで。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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浮世絵の中の近江八景

今日も生きてます。

 

制作資料撮影のためのカメラを買おうかなあと考えています。

 

しかしメーカーも複数あるうえに、種類もあるし、レンズもいろいろあるようだ…。

 

(…えふ値?焦点距離…?)

 

 

大学の映像技法の授業でフィルムカメラを使って撮影と現像したけど、全然わからない(泣

 

映像技法の課題作品のブログ↓

映像技法 - リアル絵描き日記

 

 

たぶん授業で触れられていたはずだけど、全く覚えてないぞ~

(アナログ現像が楽しすぎて、それどころじゃなかった。)

 

 

カメラを道具として使用していく上では結局必要となる知識なので、カメラを購入前に学び直したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

さて、「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(誠光堂新光社、監修矢嶋新)を読んでます。

 

 

昨日はご当地八景の元祖、中国の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)を取り上げました。

 

中国の山水画の画題であった瀟湘八景が日本に伝わり、日本でも各地でご当地八景が生まれました。

 

今日はその中でも有名で、浮世絵師・歌川広重も画題にした近江八景(おうみはっけい)を取り上げます。

 

 

 

近江八景は、近江国(今の滋賀県)の八つの景勝地のことです。

 

 

1500年頃、関白近衛政家・尚通父子が選定したといわれます。

 

画題にもなっていますが、狂歌や講談、落語などのモチーフにもなっています。

 

 

歌川広重の浮世絵、「東海道五十三次」のシリーズが大ヒットしたあとに、近江八景のシリーズも作られました。

 

 

比良暮雪(ひらのぼせつ)


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歌川広重近江八景之内 比良暮雪 」

 

雪ふるる 

比良の高嶺の 夕暮れは

花の盛りに すぐる春かな

 

琵琶湖の比良山系に雪が降り積もった情景。

左上には和歌が書かれています。

 

 

 

瀬田夕照 (せた の せきしょう)


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歌川広重近江八景之内 瀬田夕照 」


露時雨

もる山遠く 過ぎきつつ

夕日のわたる 勢多せたの長橋

 

琵琶湖南端の瀬田唐橋を含めた琵琶湖の夕暮れ描かれています。

 

 

 

堅田落雁(かたたのらくがん)


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歌川広重近江八景之内 堅田落雁

 

峯あまた

越えて越路に まづ近き
堅田になびき 落つる雁がね

 

琵琶湖畔の満月寺にある湖上に突き出た仏堂「浮御堂(うきみどう)」と、舞い降りる雁の群れが描かれています。

 

 

 

 

三井晩鐘 (みいのばんしょう)


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歌川広重近江八景之内 三井晩鐘」

 

思うその

暁ちぎる はじめとぞ

まづきく三井の 入あひの声

 

琵琶湖南西にある三井寺の鐘が鳴る夕暮れ時の風景。他のシリーズでは桜と描かれているパターンもあるそうです。

 

 

 

 

粟津晴嵐 (あわづのせいらん)


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歌川広重近江八景之内 粟津晴嵐

 

雲はらふ

嵐につれて 百船

千船の浪の栗津にと寄する

 

晴れた日に山から風が吹きわたるようす。

和歌に合わせて、粟津による船が描かれています。

 

 

 

 

 

唐崎夜雨 (からさき の やう)


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歌川広重近江八景之内 唐崎夜雨」

 

夜の雨に

音をゆづりて 夕風を

よそにそだてる 唐崎の松

 

壮大な松の老木がある唐崎神社。

夜の雨に打たれて神秘的な雰囲気ですね。

 

 

 

 

矢橋帰帆 (やばせ の きはん) 



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歌川広重近江八景之内 唐崎夜雨」

 

真帆ひきて 

矢橋に帰る 船は今
打出の浜を あとの追風

 

夕焼けと、港町の矢橋に帰る船が描かれています。

船が直線に並んでいますね。和歌を読んでから見るとまた印象が違って見えますね。

 

 

 

 

石山秋月(いしやまあきつき)

 


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歌川広重近江八景之内 石山秋月 」

 

石山や

鳰の海てる 月かげは
明石も須磨も ほかならぬ哉

 

月明かりに照らされた景色が広がっています。

 

 

 

 

狩野探幽葛飾北斎など、名だたる絵師が近江八景の作品を残しています。

 

歌川広重近江八景のシリーズを20種類ほどつくったそうな。売れたんでしょうね。

 

 

明治の日本画家、今村紫紅もこの風景を描いています。


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なんだか古くからの画題なのにおしゃれな(?)仕上がりですね。

 

 

 

現在、近江八景ともてはやされていた地域にその面影はないそうです。

 

残念だ。

浮世絵と見比べたかった。

 

 

ですが新しく琵琶湖八景なるものが昭和に選定されているそうです。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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ご当地八景の元祖!ー瀟湘八景(しょうしょうはっけい)ー

今日も生きてます。

 

寒くなってきたなあとしみじみしております。

 

雪国出身の身としては、雪が降らない東京の冬は長い秋のような感覚に近いです。

 

寒い地方の冬って寒いという言葉より、「冷たい」や「痛い」が正しい気がする。

(風が強い日は、雪がべしべし顔面にぶつかって攻撃してくる。)

 

あたたかいは正義だな。(?)

 

 

 

 

さて、「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(監修矢嶋新)を読んでます。

 

日本各地に〇〇八景というものがあります。

近江八景が有名ですが、北海道から沖縄までそれぞれの地域に八景があります。

(秋田では聞いたことないな…)

 

朝鮮や台湾にもあるようです。

 

八が末広がりで縁起いいから八景だと思ってましたが、この○○八景にはモデルがあり、その影響で各地にご当地八景がでてきたようです。

 

 

それが中国にある瀟湘八景(しょうしょうはっけい)です。

 

ご当地八景がアジアに広がっていることから推測できますね。

 

瀟湘八景は、古より風光明媚な水郷地帯として知られています。

伝説や神話に彩られた土地で、桃源郷の伝説もここから生まれたそうです。

 

そしてこの景色が描かれるようになり、中国の山水画の伝統的な画題になります。

 

 


鎌倉時代から室町時代にかけて画僧の瀟湘八景図が日本に入ってきます。

 

雪舟狩野派などにより「瀟湘八景」が描かれます。

 

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瀟湘八景図 雪舟・画


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 ↑雪村「瀟湘八景図屏風」

 

雪村はこの画題を複数描いています。

南宋絵画を研究し、山や木を水墨の横点で描く米点(べいてん)という技法を用いています。

 

 

 

そして日本の景色への関心も高まってき、日本のご当地八景がえらばれ、描かれるようになります。

 

明日に続きます!

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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松島の誘惑

今日も生きてます。

 

 

小学生の頃、修学旅行で松島に行きました。



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(↑ [http://www..com/ しげあきさんによる写真ACからの写真 :title])

 

遊覧船では、友達と一緒に波に揺られながら餌用のかっぱえびせんを手にのせると、空から大量のカモメが集まってきて楽しかったなあ…

 

一同爆笑でした。

(忘れられん。)

 

 

調べたら2014年からカモメなどに餌をやることは禁止されてしまったようです。

 

残念だ。

 

オルゴール館に遊園地、水族館に伊達政宗

秋田にはそういった施設がなかったので新鮮でした。

 

お土産には萩の月と笹かま買いました。定番。

 

笹かまってプリっとしてて好きなんですよね。

特にチーズが入ったやつ。

ずんだも美味しかったなあ。

 

木刀はさすがに買わなかったな。

ノリで買っちゃいけないやつですね。

 

 

人生で松島にいったのはこれっきりでした。

 

 

松島の景観は、松尾芭蕉がふさわしい句が思い付かなかったほどの美しさと言われます。

 

日本三景の一つでもあります。

 

そんな素敵な場所に行ったのに、今振り替えってみると、松島の風景何も覚えてない!

 

カモメだけ!

 

なんかもったいないことしたなあ。

(笹かまも萩の月もどこでも食べられるのに~)

 

しかも調べたら、

「松島や ああ 松島や 松島や」

の句って松尾芭蕉が詠んだものではないんですね。

 

(松島の美しさに感動したことは本当らしい)

 

なんだかショック。

 

 

私の記憶には残っていませんでしたが、古くから松島の美しさは有名で、平安時代には和歌にたびたび登場したり、江戸時代では「松島眺望集」という歌集が出たりするほどでした。

 

 

そして松島を詠んだ和歌を描いた作品や、名所を描いた浮世絵の画題になっていきました。

 


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俵屋宗達「松島図屏風」

 

俵屋宗達が松島の白波の美しさを詠んだ歌をもとに描いた屏風。

 

 


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尾形光琳「松島図屏風」

 

光琳俵屋宗達をリスペクトして描いた作品。

 

 


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歌川広重「六十余州名所図会 陸奥島風景 冨山眺望之略図」

 

各島の形や大きさが詳細に描写され、島の名前まで書き込まれています。

 

 


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川瀬巴水「日本風景集 東日本編 松島 双子島」

 

きれいな風景ですね…

月が印象的な絵です。

 

アインシュタインは月を見るためにわざわざ松島へ足を運んだそうです。

天才をも魅了する美しさ。

 

 

月がきれいだと思いつつ、萩の月久しぶりに食べたいなあとも思った私はたぶん食いしん坊なんだな。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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絵で表現される和歌の世界

今日も生きてます。

 

秋の夜長といいますが、暗くなったら速攻で寝てしまってる明石です。

毛布でぬくぬくするのは幸せです。

 

さて、「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(監修矢嶋新)を読んでます。

 

 

以前ヤマタノオロチを取り上げたときに、「古事記」「日本書紀」の中でスサノオノミコトが日本で最初の和歌を初めて詠んだ、という伝説があることを取り上げました。

 

 

ヤマタノオロチー日本神話のモンスターー - リアル絵描き日記

 

 

 

 

日本最古の歌集万葉集には、身分に関係なくたくさんの日本人の和歌が選ばれています。

 

そこから、和歌は古くから日本の文化の中に浸透していたことが推測できます。

 

平安時代、和歌は貴族の文化の中心になり、歌会などが開催されるようになります。

 

そうすると歌集が多く編纂されました。

 

 

 

和歌を書くための紙の事を「料紙(りょうし)」と呼びます。

金銀箔などの装飾が施されたものです。

 

 

和歌が発達するにつれ、それを書くための書体や、装飾が発達していきます。

 

料紙にも、

 

歌の内容を意味するものを描く「歌絵」や、

 

仮名や漢字を景色の中に隠し文字のように描く「葦手(あしで )」

 

が描かれるようになります。


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白隠「人丸図」

 

 

和歌をテーマにした絵や工芸作品は、繰り返し繰り返し制作されます。

 

 

そうすると決まったモチーフが特定の和歌を意味するようになります。

 

西洋美術の中にも、特定のモチーフが聖書の一場面や聖人、ある物事を暗喩する(メタファー)ことがあるので、似たようなものなのかな?

 


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↑長谷川派「武蔵野図屏風」

 

 

武蔵野は

 

月に入るべき山もなし

 

草より出でて草にこそ入れ

 

詠み人知らず

 

(武蔵野には月が入るような山もないので、月には草むらが昇って草むらに沈んでいく)

 

 

屏風には、萩やススキ、秋草、そして月と富士が描かれています。

 

↑の和歌の内容に合わせて描かれました。

 

桃山時代から江戸時代初期にかけてこのような「武蔵野図」が数多く制作されました。

 


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↑武蔵野図屏風(17世紀、サントリー美術館蔵)

 

 

 

 


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尾形乾山「色絵竜田川文透彫反鉢」

 

ちはやぶる

 

神代も聞かず 竜田川

 

からくれなゐに 水くくるとは

 

在原業平

 

(神の時代にもこんなことは聞いたことがない、竜田川が紅葉で鮮やかな紅に染まっていることよ)

 

器には色とりどりの紅葉した葉、内側には流水紋が描かれています。

 

紅葉した葉×水の模様は在原業平の和歌を表現していることが多いです。

 

個人的には、落語にこの和歌を取り上げた話があるので、それを思い出してしまいます。

風流だなあと思う前にふふっとなってしまいます。

 

 

 

 

 



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↑も尾形乾山の作品

定持詠十二ヶ月和歌花鳥図「拾遺愚草」より「六月」

 

藤原定持の代表作がほとんど納められている歌集「拾遺愚草」(しゅういぐそう)から描かれた作品。

 

個人的にはゆるふわな絵にしか見えない。(教養不足!)

 

尾形乾山尾形光琳の弟です。

尾形光琳は遊び人気質でお金を弟によく無心していたそうな。

 

たぶん弟はしっかりものだったんだろうな。

琳派!ーデザインの妙・尾形光琳ー - リアル絵描き日記

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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