「松・竹・梅」はなぜめでたい?ー歳寒三友ー
今日も生きてます。
クラッカー+ブルーチーズ+蜂蜜が、とても美味しくてはまりそうです。
(こ、肥えてまう…。)
お酒飲まないけどワインなど嗜みながらつまんだらおしゃれですよね。
私は白湯と一緒につまんでます。
さて、「漫画でわかる日本絵画のテーマ」(誠光堂新光社、監修矢嶋新)を読んでます。
この本も読みはじめて今日で162ページになりました。
他のシリーズもあるみたいなので、次読む本は「マンガでわかる日本絵画の見かた」にしようかなと思います。
お付き合いよろしくお願いいたします。
縁起物といえば「松・竹・梅」ですよね。
ハレの日に着る着物の柄の中や、お正月飾りに使われています。
何の疑問もなく松竹梅はおめでたいモチーフだと信じていましたが、なぜ松竹梅なのでしょうか?
今日はそこら辺を見ていきましょう。
⚫歳寒三友
趙孟堅『歳寒三友図』、13世紀。
松竹梅は中国のにあったものが日本に来たものです。
中国では松竹梅の画題を「歳寒三友」と呼んでいました。
歳寒三友という言葉の起源は「論語」の中にあります。
孔夫子の像
「子曰、歳寒然後知松柏之後凋也」
「孔子曰。益者三友。損者三友。友直。友諒。友多聞。益矣。友便辟。友善柔。友便佞。損矣。」
歳寒の出所である
「子曰、歳寒然後知松柏之後凋也」
(しいわく、としさむくしてしかるのちしょうはくのしぼむにおくるることをしるなり)
というのは…↓
寒くなったあとに(歳寒)、葉がなくなった落葉樹の中にある常用樹である「松」の存在がはじめてわかる。
それと同じように、人間も困難な状況になったときに初めて本性がわかる。
大事に遭遇して初めて君子の節操がわかる。
ざっくりと上のようなことを意味しています。
ここから松=節操という意味付けがされます。
そして、三友の出所である
「孔子曰。益者三友。損者三友。友直。友諒。友多聞。益矣。友便辟。友善柔。友便佞。損矣。」
(こうしいわく、えきしゃさんゆう、そんしゃさんゆう。ちょくをともとし、りょうをともとし、たぶんをともとするは、えきなり。べんぺきをともとし、ぜんじゅうをともとし、べんねいをともとするは、そんなり。)
というのは…↓
良い友が三種類、悪い友が三種類ある。
正直な友、誠実な友、博識な友と付き合うのは得である。
不正直な友、不誠実な友、口先のうまい友と付き合うのは損である。
ざっくりと上のようなことを意味しています。
論語の言葉から、
自分にとっての益者三友は⚫と⚫と⚫。
損者三友は⚫と⚫と⚫。
というような何か三つを選ぶんで三友と称する形が生まれます。
(詩の中で使われたことがあったようだ。)
上を踏まえて、清の文学者で絵画の鑑賞家としても有名だった高士奇(こうしき)が言葉を残しています。
「畫松竹梅于上、日歳寒門」
高士奇
「畫松竹梅于上、日歳寒門」
(しょうちくばいのうえにえがくは、さいかんのもんという)
ここでやっと松竹梅が三つ揃うわけですな。
「松」は論語の中でも触れられていたように、風雪や厳しい寒さの季節でも緑を保つこと。
「竹」は寒い季節に屈せず上へ上へと伸びていくところ。
「梅」は他の花々に先駆けて花をひらくこと。
どんな環境の中でも生き抜く「持久力・成長力・生命力」を持つ松竹梅が、厳しい環境の中でも変わらぬ志を持ち、清廉潔白であることの象徴となりました。
それを指す言葉が「歳寒三友」です。
文人の理想とされました。
ここで、おや?日本と少し意味合いが違うぞ?となります。
水墨画の画題として多く描かれ、陶磁器の模様としても用いられるようなった松竹梅は、日本に伝わると違った意味合いになっていきます。
もともと日本で松は葉を落とさないため、不老不死を意味し、長寿につながる縁起の良いものとされていました。
またその語源を、「神の天下りを待つ」というものと捉えられていたため、神社などによく植えられています。
竹は根が周囲にはびこって次々と新芽を出し、すくすく伸びる様子から、子孫繁栄の象徴となります。
梅は、平安時代ごろまで「花」といえば「梅」を指しているほど愛されていました。
江戸時代に「松竹梅」が流行すると、おめでたいものとして認識されるようになります。
中国の歳寒三友としての松竹梅も、おめでたいという意味とは少し違いますが、かっこいいです。
明日に続きます。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。