リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

新古典主義

今日も生きてます。

 

洗濯物にセミがくっついていました。

夏ですね。

 

外の方へはたこうとしたらバチバチと飛び回りベランダ地面へ。

 

危害を加えるつもりはありませんがずっと死んだふり(?)しています。

 

もう大丈夫ですよー。

セミ語で言ってあげたい。

 

というか早くどこかへ行ってくれ(泣)

 

 

 

 

昨日はアングルのラファエロ愛について書きました。

 

今日もラファエロについて書こうと思いましたが…その前に新古典主義について整理したいと思います。

 

フランス革命が1789年

ナポレオン皇帝即位が1804年てす。

 

新古典主義は18世紀中期から19世紀初期ごろまでフランスの絵画に流行った考え方です。

 

新古典主義ということなので理想とするのは古典。

 

この場合古典とは古代ギリシア・ローマを指します。

 

なぜこのような風潮になったのか。

 

 

 

 

原因の一部として

 

・18世紀前半から古代の遺跡発掘が相次ぎ、古代への関心が高まったこと。

 

・美術史家ヴィンケルマン著書「ギリシア芸術模倣論」が全ヨーロッパに反響を呼び、多くの画家が影響されたこと。

 

新古典主義の前に流行っていた女性的なロココ美術からの反動。(フランス革命によって王政がなくなった=ロココ趣味のパトロンがいなくなったからと考えることもできる。)

 

があります。

 

 

 

時の政権と仲良しだったダヴィッドは新古典主義の画家です。

ダヴィッドはローマで古代美術やラファエロに触れ影響を受けます。

ナポレオンのことを描いた絵以外やたら画題が古代なのも納得です。

 


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ダヴィッド「ソクラテスの死」

 

新古典主義の特徴の一部としては

 

・古典が理想

・考古学的な正確さを求める

・合理的な理性と強固な倫理観

 

があります。

 

合理的な理性?強固な倫理観?と思いますが、新古典主義の前に流行っていたロココ美術でどんなものがあったかとみるとわかるかも。

 


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ヴァトー「シテール島の巡礼」

↑上流階級の合コンの様子を描いたもの

 


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ブーシェ「ソファに横たわる裸婦」

↑理想化されていない生々しいはだか

 


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フラゴナール「ブランコ」

↑不倫の上にスカートを覗いてる絵

 

 

これらの反対の方向へ進んだと考えると分かりやすいのではないでしょうか。

個人的にはロココ美術は絵よりも服飾や工芸品の方が面白い時代だったのではと思います。

 

 

新古典主義に戻りますが、アングルも新古典主義の画家です。

 

ダヴィッドのもとで学んだあと、イタリアに留学したアングルは本物のラファエロを見て多大な影響を受けます。

そこでイタリアで一から勉強し直す決心をしたそうです。

アングルはこの絵が有名かと思います。


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アングル「オダリスク

デッサンを重視し、安定した構図を好みました。

 


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アングル「泉」

 

 

 

今日はここらへんで。

明日に続きます。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。


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キャンバスに転写

 

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今日の内容は視覚デザイン研究所の鑑賞のための西洋美術史入門を参考にしました。

 

入門書という題名ですが、ポップにおもしろく各◯◯主義がまとめられているように見えてこれ一冊ではなかなか意味がわかりません。

 

幾度も入門しようとしましたが何回門前払いされたかわかりません。(入門させてくれよ。)

 

ですが他の本を読んでこれを補助的に読むと深まります。便利です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラファエロ

 

今日も生きてます。

 

フェルメールの牛乳を注ぐ女という作品をご存じでしょうか。


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フェルメールについて色々調べていたのですが、あの画中の女性はブレッドプディングをつくっているという説があるそうです。

(画題や技法とは全く関係ない汗)

 

固くなってしまったパンを牛乳や卵を混ぜて復活させるお菓子だそうです。

食べたことないなーつくったこともないし。

やってみたいですね。

 

 

さて、今日も池上英洋さん著「西洋美術史入門<実践編>」を読んでます。

 

フェルメールは全く関係なく、アングルのお話です。

 



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ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル

自画像

 

前回ナポレオンのかっこいい絵を描いたダヴィッドについてかきましたが、アングルはダヴィッドの弟子です。

 

なので、師と同じようにナポレオンの絵を描いています。

 


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玉座のナポレオン

 

しかし時の政権と仲良しだったダヴィッドとは違い、アングルは政治から距離を置いていたので色々な立場の人間から注文を受けていました。

 

ナポレオンが失脚し、ダヴィッドが亡命した後、アングルはフランス画壇で主導的立場になります。

 

アングルはラファエロが大好きだったので、フランス画壇でラファエロ理想主義が主流になります。

 

上のナポレオンの玉座ですがアングルのラファエロ好きがわかる部分があります。

 

画面向かって左下部分


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絨毯の中の紋章はラファエロの絵を図案化したものなのです。


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ラファエロ・サンツィオ

「椅子の聖母」

 

 

あと関係ないかもですが、アングルは丸い画面にトルコ風呂という作品を描いています。


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椅子の聖母に影響されてなのかなあ。(私見です。)

 

 

この他にもラファエロを主題とする作品を多く残しており、傾倒ぶりがわかります。

 

 

アングルのラファエロ愛がわかったところで今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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やすり中です。

 

 

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ダヴィッド ナポレオンの絵

 

今日も生きてます。

 

長い付き合いの友人に合い嬉しく思う今日この頃です。

年を取ることに何の希望も持っていませんでしたが、同じ友人との付き合いが長くなっていくのって嬉しいものですね。

人生は長くていいね。

 

 

さて、池上英洋さん著「西洋美術史入門<実践編>」を読み進めてます。

 

けっこう終盤まできました。

次は何の本読もうかなあ…。

 

昨日までダヴィッドのことを取り上げています。


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↑のような作品を描いてる画家です。

 

しかし上の作品よりもナポレオンの絵の方が有名かもしれません。↓


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ジャック=ルイ・ダヴィッド

「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト

 

ナポレオンを1番かっこよく描いた作品だと思います。これもダヴィッドの作品です。

 

 

最初はスペイン王カルロス四世の注文によって掛かれたものでしたが、それを見て気に入ったナポレオンがレプリカを依頼しました。数多くの模写が残っています。

第一策を制作するときナポレオンにモデルを依頼したが多忙を理由に断られたとか…最初は工房の弟子の一人にモデルを務めさせました。

 

左下の岩に彫られている名前は、ハンニバル、シャルルニマーニュ大帝とボナパルトの名前です。

アルプスを超えた歴史上の人物とナポレオンを同列と見なしています。

 

ナポレオンは1804年に皇帝になります。

王政を倒して共和政になったのに…失望する文化人も多くいました。

 

革命政府の画家であったダヴィッドも最初は拒否反応を示していますが、皇帝の主席画家のオファーを最後には受け入れ、ナポレオンの君主称揚画を次々に描いていきます。

 


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ジャック=ルイ・ダヴィッド

「ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」

 


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ちなみに上の作品は下絵にはナポレオンの隣にジョゼフィーヌが描かれていますが、その後ナポレオンはジョゼフィーヌと離縁しオーストリア皇女マリー=ルイーズと政略結婚したため完成作では削除されています。

 

ナポレオンの失脚後、ダヴィッドも失脚し、1816年にブリュッセルへ亡命しました。

9年後にはその地で亡くなります。

 

ルイ16世の処刑に賛成票を投じたことのせいでダヴィッドの遺体はフランスへの帰国を許されませんでした。

作品はルーブル美術館にあるのにね。

 

ちなみにアントワーヌ=ジャン・グロという人物がナポレオンが患った兵士を見舞う様子を絵にかきましたが、ナポレオン政権に逆らうことができない時代サロンでは大好評だったそうです。

 

 

つよい政権の下ではサロンのなかでの絵の評価もだいぶ影響されていたようです。

ダヴィッドは時代の覇権者に気に入られてうまくやっていたんですね。最後には失脚していますが、数多くの作品が残ってるのは画家としていいことです。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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下塗り中です。

 

 

ダヴィッド 作品の評価



今日も生きてます。

 

埼玉の熊谷では気温が40℃を超えたそうですね。

外がサウナのようですね。

 

積極的に水分とるの苦手ですが、適当に飲んでます。

夏は麦茶。

 

 

さて、昨日はダヴィッドの「ブルートゥス邸に彼の息子の遺体を運ぶ刑吏たち」の内容を見ました。


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共和政のなかで王政復古をたくらむメンバーに入っていた息子たちに死刑を宣告したおとん(ルキウス・ユニウス・ブルートゥス)のことが描かれていました。

 

これはフランスのルイ14世の注文によってかかれた作品です。

ダヴィッドが制作したのは1789年、フランス革命が本格的に始まろうとしたときでした。

 

 

ルイ14世によって注文されたこの作品は、意外なことに革命運動のなかで評価が高まります。

 

共和政のために自分の息子でさえも処刑するという厳しい態度を示した主題が、王政を倒して共和政府を目指す革命の思想と合致したからです。

 

そしてもともとは王様の依頼で描いただけのダヴィッドでしたが、いつのまにか革命政府の理想画家としてまつりあげられていきます。

 

四年後には志半ばで倒れた革命派の仲間の絵を描いています。


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ジャック=ルイ・ダヴィッド

「マラーの死」

 

 

ダヴィッドが生きた時代のフランスはフランス革命からナポレオン政権樹立など、激動の時代でした。

ダヴィッドは政治的な思想をもつグループから作品の注文を引き受けて居たようです。

 

明日に続く。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 


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色が落ち着かない…。

 

 

 

 

 

 

 

ダヴィッド

今日も生きてます。

 

以前ゴッホジャポニズムについてブログを書きましたが、ゴッホは生前一枚しか作品が売れず、死後高い評価を受けたということで有名です。

(しかし売ることを諦めていたわけではないことは重要な点です。)

 

作品の評価というのは同じ作品でも、作家の生前と死後、それから何百年後と変化する場合があります。

 

考えてみれば同じ絵なのに評価が上がったり下がったりするのは不思議です。結局絵というものはそれ自体が素晴らしいという絶対的価値は持つことができなくて、みる人間の評価が名画をつくるのだと思います。

 

今日からは社会の流れに影響されたダヴィッドの作品をみていきます。

 


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ジャック=ルイ・ダヴィッド

1748-1825 フランス

 

↑はダヴィッドの自画像です。

 

 


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上はダヴィッドの作品で古代ローマをテーマに描かれています。

 

画面向かって右には女性達が悲しんでいます。

 

向かって左側前には男性が椅子に座りアンニュイな様子。

 

男性の奥には横たわった男性の足を運ぶ男たち。それが死体であることと今部屋に運びこられたことが示されています。

 

なんの場面か…というと

ローマはもともと王政で始まり、7代目王のタルクィヌス・スペルブスのときにタルクィヌス・スペルブスは追放され、共和政になりました。

追放されたタルクィヌスと仲間は共和政打倒と王政復古の陰謀をたくらんでいましたが、計画は露見し元老院はかれらに死刑を宣告します。

 

そのときの元老院の長はルキウス・ブルートゥスという人物でした。

作品の画面向かって右で椅子に座ってアンニュイな様子の男性はこの人です。

 

陰謀計画を進めていた仲間のなかにはこの、ルキウス・ブルートゥスの二人の息子もいました。

ルキウス・ブルートゥスは自分の息子に死刑宣告をしたのです。

 

作品の題名は「ブルートゥス邸に彼の息子たちの遺体を運ぶ刑吏たち」なので、描かれているのは自分の息子たちの死刑を宣告し、刑が執行され、遺体がルキウス・ブルートゥスの家に運ばれてきたところですね。

向かって右の女たちは親族など親しい関係の人でしょう。

 

 

ダヴィッドはそのときフランスの王のルイ16世の注文によってこの作品を描きました。

 

 

 

明日に続きます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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いろのイメージをかためます。

モネ

今日も生きてます。


横浜美術館で開催中のモネそれからの百年の展示を見てきました。

 

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美術館の前には睡蓮がありました。

粋ですね。


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会場は来場者で賑わっていました。

中には夏休みの課題かわかりませんが、色々とメモを取りながら鑑賞している小中高生もいました。

百号以上の大きさの抽象画の前で「難しいな…」と呟きながら何かメモメモしていてほほえましかったです。

 

 

正直モネの作品は距離をもって鑑賞したいところでしたが、それが叶う会場のようすではなかったので流されるままに見ました。

 

個人的にはモネ以外の作家で見れてよかったな~と思ったのが丸山直文や松本陽子の作品が見られたこと。

画集や技法書で見たことがあったのですが、本物は見たことなかったので嬉しかったな~。

厚塗りよりも絵の具がじゅわっと染み出してる抽象画が好みなのかもしれません。

 

 

 

リヒターやマークロスコの作品もあって抽象画の有名な人間の絵がたくさん見れました。

キャプションにモネとの関連性を述べる文がありましたが、正直当てつけ感が否めないものもありました。

 

モネの作品自体は20点程度で他は関連性のある作品とオマージュ作品でした。

 

この展覧会のために描かせたであろうと思われる現代作家の作品も興味深かったです。個人的には鈴木理策さんの睡蓮の写真が綺麗でした。

 

リヒテンシュタインがモネの睡蓮のオマージュを作っていて、こんなんもつくってたんかーと驚きでした。

 

そして所蔵品展のなかに森村泰昌さんの作品が展示されていました。

 

中学の頃に森村さんの自伝「芸術家Mのできるまで」を読んでから素敵だな~と思いつつ実際の作品は見たことなかったので感動でした。

 

写真なのでもっとてろっとした質感なのかなと思いきや、キャンバスに印刷されてるのかマットで絵よりの質感でした。

 

内容も面白かった。

 

芸術家Mのできるまでは純粋にエッセイとして楽しめるものなのでおすすめです。

森村さん好きになります。

 

 

モネの展覧会って今まで死ぬほど開催されてきたであろうし、正直見たことある人たくさんいると思います。

 

今回の展覧会はモネの新しい側面を発見してもらおうとするコンセプトで学芸員が企画したのかなと思いますが、成功していたのでは?

 

有名な作家の方々が出品してることもあり、一人ぐらいは自分の好きな作家の作品があると思います。外れ感なくていいですね。

 

 

横浜美術館は芸大の試験落ちたときに一人で松井冬子の個展見に行った以来です。

松井冬子も芸大何回もチャレンジした末入学していて勇気をもらいました。(結局私は造形卒になりましたが。)

 

そして遊園地や商業施設がはびこる横浜を歩き(独り)都会の子はこういうとこで遊んで育つのかとカルチャーショックを受けてました。  

 

秋田はイトーヨーカドーしかないぞ。

 

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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クリムトとジャポニズム

 

今日も生きてます。

 

 

スポーツに興味はありませんが、この暑さの中試合をしている高校生球児すごいな~と思います。

甲子園はなぜ夏におこなわれるんでしょうか。由来でもあるんですかね。

 

 

さて、今日も池上英洋さん著「西洋美術史入門<実践編>」を読んでます。

 

昨日はゴッホジャポニズムについて書きましたが、今日はクリムトです。

 

グスタフ・クリムト


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1862年ー1918年 オーストリアの画家

 

クリムトは金箔を使った作品が有名ですが、これもジャポニズムの影響があると言われています。

 

 


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グスタフ・クリムト「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」1907年

 

上の作品を見るたびに似ている画商さんの顔を思い出します。

 

 
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 尾形光琳「紅白梅図」18世紀初頭

 

尾形光琳の川の表現は上もしたも関係なく、遠近法は無視されて表現されています。

 

クリムトは日本に関する書物や美術品を収集していたそうです。そこから影響されたのか、クリムトの作品には幾何学的図案装飾を金箔による背景処理とうまく組み合わせています。

 

最初の肖像の作品では女性の腕や手、顔以外はすべて平面的でした。これは1907年の作品でしたが、これを遡った時代と比べると、立体感の喪失に段階があることがわかります。

 


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グスタフ・クリムト「HopeⅠ」1903年

 この作品では人体の肌以外は装飾的な図案が覆っています。

 


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グスタフ・クリムト「HopeⅡ」1907-8年

HopeⅠの時より後に制作された作品ですが、装飾的図案がより大胆に画面に使われ、人体の描き方も立体感が控えめになっています。

さらに画面下の女性の手はほとんど立体感がありません。↓


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同じ時代の画家、コロマン・モーザーという画家も、金箔を使った絵を描いています。


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二人の画家が同じ時期に同じような平面処理を試みているのには理由があります。

 

19世紀の終わりに日本に訪れていたフランツホーヘンベルガーが、1900年にウィーンで開かれた第六回分離派展で700点もの日本美術を展示したのです。

他にも日本美術のコレクションや日本の書籍が画家たちにに大きな影響を与えました。

 

 

クリムトの他にこんな金箔を使った作家がいることは知らなかったです。日本で金箔は昔からメジャーな素材ですが西洋では違ったんですね。金も描いて表現するというスタンスだったんだろうな。

 

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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トレペに転写三昧。

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