ダヴィッド ナポレオンの絵
今日も生きてます。
長い付き合いの友人に合い嬉しく思う今日この頃です。
年を取ることに何の希望も持っていませんでしたが、同じ友人との付き合いが長くなっていくのって嬉しいものですね。
人生は長くていいね。
さて、池上英洋さん著「西洋美術史入門<実践編>」を読み進めてます。
けっこう終盤まできました。
次は何の本読もうかなあ…。
昨日までダヴィッドのことを取り上げています。
↑のような作品を描いてる画家です。
しかし上の作品よりもナポレオンの絵の方が有名かもしれません。↓
ジャック=ルイ・ダヴィッド
「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」
ナポレオンを1番かっこよく描いた作品だと思います。これもダヴィッドの作品です。
最初はスペイン王カルロス四世の注文によって掛かれたものでしたが、それを見て気に入ったナポレオンがレプリカを依頼しました。数多くの模写が残っています。
第一策を制作するときナポレオンにモデルを依頼したが多忙を理由に断られたとか…最初は工房の弟子の一人にモデルを務めさせました。
左下の岩に彫られている名前は、ハンニバル、シャルルニマーニュ大帝とボナパルトの名前です。
アルプスを超えた歴史上の人物とナポレオンを同列と見なしています。
ナポレオンは1804年に皇帝になります。
王政を倒して共和政になったのに…失望する文化人も多くいました。
革命政府の画家であったダヴィッドも最初は拒否反応を示していますが、皇帝の主席画家のオファーを最後には受け入れ、ナポレオンの君主称揚画を次々に描いていきます。
ジャック=ルイ・ダヴィッド
ちなみに上の作品は下絵にはナポレオンの隣にジョゼフィーヌが描かれていますが、その後ナポレオンはジョゼフィーヌと離縁しオーストリア皇女マリー=ルイーズと政略結婚したため完成作では削除されています。
ナポレオンの失脚後、ダヴィッドも失脚し、1816年にブリュッセルへ亡命しました。
9年後にはその地で亡くなります。
ルイ16世の処刑に賛成票を投じたことのせいでダヴィッドの遺体はフランスへの帰国を許されませんでした。
作品はルーブル美術館にあるのにね。
ちなみにアントワーヌ=ジャン・グロという人物がナポレオンが患った兵士を見舞う様子を絵にかきましたが、ナポレオン政権に逆らうことができない時代サロンでは大好評だったそうです。
つよい政権の下ではサロンのなかでの絵の評価もだいぶ影響されていたようです。
ダヴィッドは時代の覇権者に気に入られてうまくやっていたんですね。最後には失脚していますが、数多くの作品が残ってるのは画家としていいことです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
下塗り中です。