フェルメールブームの火付け役「テオフィル・トレ」の思惑
今日も生きてます。
実家の両親が秋田県産のリンゴを送ってくれました。
リンゴは食感がもそもそしているのとしゃきしゃきしているものがありますよね。個人的にはしゃきしゃき系が好きです。
今朝は「朝食リンゴヨーグルト」を再現してみようとすりおろしリンゴをヨーグルトに投入してみました。あれですね、そのまま食べる方が美味しいですね!残念!
しゃきしゃきという食感もリンゴのおいしさを構成する重要な要素なんですね。
しゃきしゃき食感に飽きたら焼きリンゴやジャム、アップルパイに挑戦したいです。
楽しみが増えましたね。
さて、「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)を読んでいます。
フェルメールについて書かれたものがありました。
今日はフェルメールブームの火付け役「テオフィル・トレ」について取り上げます。
まず、フェルメールは17世紀オランダの画家です。真珠の耳飾りの少女が一番有名な作品かと思います。毎年フェルメールの作品は日本のどこかで見ることができるくらい人気のある作家です。
今では有名なフェルメールですが、死後は存在を忘れられていました。フェルメールの評価が高まったのは美術評論家「テオフィル・トレ」が活動したためです。
出典:Théophile Thoré-Bürger - Wikipedia
テオフィル・トレ(1807年-1869年)
テオフィル・トレはフランス生まれの美術評論家であり、政治ジャーナリストです。
テオフィル・トレがフェルメールと初めて出会ったのは1842年、オランダの美術館です。
フェルメール「デルフトの眺望」
フェルメールの「デルフトの眺望」をみて深い感銘を受け、フランスでこの作家の知名度を上げようと決心しました。
その後テオフィル・トレは可能な限りフェルメールの作品を購入し、研究も続けます。
1866 年にパリで行われた展覧会「Exposition rétrospective tableaux anciens empruntés aux galleries particulières(個人蔵のオールドマスター回顧展)」ではパリで最も著名な個人所蔵の作品が展示されました。
そこには11点のフェルメールの作品が展示され、フランスでフェルメールの認知度があがります。
というのもそのうちの6点がテオフィル・トレが所有しているもので、テオフィル・トレはこの展覧会のアドバイザー的役割であったため、当然と言えば当然です。
その後テオフィル・トレは時間をかけて十分な資料を揃え、1866 年 10 月から 12 月にかけて『Gazet des Beaox-Arts(ガゼット デ ボザール)』(フランスの美術雑誌)に、2 つの長い論文と 3 部門に分けた彼の所蔵作品のカタログを公開しました。
その後この論文と、フェルメールを広める活動により、フェルメールの作品には高い価値が付くようになりました。
陰謀論的に見れば、テオフィル・トレの思惑通り!になりました。
ここまではフェルメール伝説の一つとしてよく知れ渡っている話ですが、「人騒がせな名画たち」の中で著者の木村泰司さんが違う観点からも解説されていました。
テオフィル・トレは熱心な社会主義者であったため、フランス革命以降の市民社会化が進むフランスには、フェルメールの絵画のような名もない一般市民が働く場面を描いた風俗画こそが当時のフランス社会にふさわしいという考えがありました。
いろいろな技法や構図などの表現が称賛されているフェルメールですが、もしモチーフが貴族や神話であったらテオフィル・トレは取り上げなかったでしょう。
働く無名の一般市民を描いた点が、テオフィル・トレの政治的な主張とマッチしました。
しかしテオフィル・トレが始めたフェルメールキャンペーンはフランスで見事成功し、現代までその影響力を発揮していることがすごいですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。