雅宴画とは何か?絵画新ジャンル生みの親 巨匠ヴァトーについても知ろう!!!
今日も生きています。
実家から届いたオイル漬けの牡蠣が美味しくて白米が進みます。
ということで、今日は「雅宴画」と、生みの親である「ヴァトー」について見ていきましょう!
アントワーヌ・ヴァトー画『愛の祝祭』
アントワーヌ・ヴァトー(1684-1721)
まずは雅宴画を生み出したヴァトーの生涯を紹介します。
ロザルバ・カリエラ画
アントワーヌ・ヴァトーの肖像
ヴァトーの成り上がり人生
1684年
屋根葺き職人の家の次男でした。
11歳
看板などを描く田舎画家に弟子入りします。
17歳
パリのサンジェルマンのフランドル人街に行き、そこで絵描きバイトをして日銭を稼ぎます。
分業制のバイトでしたが、ヴァトーは才能があったので一人で仕上げまで任されました。
19歳
舞台装飾の専門画家クロード・ジローに弟子入りします。
アントワーヌ・ヴァトー画 オーベール版画
クロード・ジローの肖像
クロード・ジロー画「イタリア喜劇の場面」
ここで洗練された芸術を知ることになります。
ちなみにヴァトーはあっという間に師を追い越し、クロード・ジローは筆を折ってしまいました。
24歳
当時一流の装飾画家オードロンに弟子入りします。
ある日、オードランの宮殿の中でルーベンスの絵を見ます。
その作品からヴァトーはショックを受けます。
25歳
オードランのとこの仕事を辞め、ローマ賞コンクールのため絵を描きます。
優勝を目指した作品は、準優勝(二番)でした。
ヴァトーは一度故郷に帰ります。
26歳
再度パリへ出て、画商のシロワの家に下宿します。
ここで実業家&美術コレクターのピエール・クロザに気に入られます。
ちなみにピエール・クロザは裕福な金融業者で、王や王室の会計としても働いたこともあり、有名な芸術のパトロンでした。
ロザルバ・キャリアーア画
ピエール・クロザットの肖像
クロザに気に入られたことがきっかけでヴァトーの人気は急上昇しました。
28歳
ローマ賞にリベンジ!
今回は優勝をつかみ取ります。
通常ローマ賞に選ばれるとイタリアに留学することになるのですが、ヴァトーはクロザの膨大なコレクションを見ることができたので、必要ないということになり、これを断ります。
33歳
アカデミー会員になるためには「入会申請作品」が必要でした。
ヴァトーは「シテール島への巡礼」という作品を提出します。
アントワーヌ・ヴァトー画「シテール島への巡礼」
当時のパリ美術業界事情について
パリの美術の権威は三つ。
エコール・デ・ボザール
(17世紀に設立されたフランスの美術の教育機関)
芸術アカデミー
(会員制の芸術家団体
サロン
(アカデミーが開催した公募展)
芸術アカデミーの会員になることが、画家として認められることでもありました。芸術アカデミーに画家(会員)として登録する時には、「何の画題を描く画家か」ということも同時に登録されます。
アカデミーの画題とヒエラルキーについて
〇画題とは
歴史画や静物画など…絵画には描かれるテーマによっていくつか種類があります。
現在はありませんが、当時パリのアカデミーにはその画題によって階級がありました。
さて、話は戻ります。
ヴァトーがアカデミーに登録するために提出した作品を見てみましょう。
これは風景画?肖像画?
絵を審査する側だったアカデミー会員たちは悩みます。
そしてヴァトーのために新しい絵画のジャンル「雅宴画」を新設。
ヴァトーは「雅宴画の画家」としてアカデミーに登録されます。
35歳
ロンドンで結核を治療します。
治らないことを悟り、パリに帰ります。
1721年
36歳
迫る死への不安に駆られて家を転々とします。
弟子に指導するため筆を握ったまま亡くなります。
雅宴画とは?
アントワーヌ・ヴァトー画『舞踏』
雅宴画とはヴァトーがアカデミーに登録するときに新設された絵画のジャンルです。
屋外で談笑する当世風の衣装で着飾った男女の集いを描いたものです。
雅宴画の世界観は、華やかな生活をする貴族たちを、メランコリーとエロティシズムをほのかに漂わせたものです。
娯楽に興じるお金持ちの日常を、ヴァトーが哀愁に満ちた感性でとらえ、洗練された表現で繊細に描きます。
システィーナ島の巡礼も、題材は上流階級の合コンですがヴァトーが描くとどことなく哀愁に満ちています。
ヴァトーとピエロ
アントワーヌ・ヴァトー画『ピエロ』(旧称ジル)
生まれつき病弱だったヴァトーは、1711年には結核の症状が現れます。
孤独で陰気だった彼は、芝居装飾専門画家クロード・ジローのもとに弟子入りしたことがきっかけで、芝居に夢中になっていきます。
そんなヴァトーはピエロの作品を何枚か描いています。
アントワーヌ・ヴァトー画『ピエロ』
アントワーヌ・ヴァトー画「メズタン」
華やかな社交界と距離を置き、浮いた話一つもなかったヴァトー。
結核で社会から距離を置いていた彼は、劇のストーリーとは関係なく登場するピエロにシンパシーを感じていました。
絵の中に描くピエロに自分を重ねていたのかもしれませんね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考
「人騒がせな名画たち」(木村泰司著、マガジンハウス)
「鑑賞のための西洋美術史入門」(視覚デザイン研究所)
「101人の画家ー生きていることが101倍楽しくなるー」(視覚デザイン研究所)