印象派を愛した妻たちー「近代絵画の父」セザンヌー
今日も生きてます。
いつであったか忘れましたが、セザンヌの展覧会を見に行ったことがあります。セザンヌは西洋美術史の中では近代絵画の巨匠として紹介されています。
セザンヌの言葉として有名なものがあります。
「つまり自然を円筒、球、円錐によって扱い、全てを遠近法の中に入れ、物やプラン(平面)の各側面が一つの中心点に向かって集中するようにすることです。」
…言っていることがわかるような、わからないような…
なぜ評価されているのかあまりピンときてなかったのですが、実物は細かい理屈抜きで美しいものでした。図版で見るよりもりんごの発色が綺麗で、感動しました。
今日はセザンヌの奥様について取り上げていきます。
セザンヌ・ポール(1839-1906)
エクス=アン=プロヴァンス生まれ、パリで学び、印象派に参加します。
キュビズムをはじめ20世紀美術に影響を与えた。
南仏で帽子屋の子供として生まれる。
父は金融業で儲けたブルジョワの家庭でした。
中学生になったセザンヌは運命的な出会いをします。クラスでいじめにあっていた「ゾラ」です。ゾラを助けた代わりにぼこぼこにされたセザンヌ。
翌日ゾラは友情の印として籠いっぱいのりんごをセザンヌに渡します。セザンヌが描くリンゴにはゾラとの友情も描かれていたのかもしれません。
その後、小説家として成功し、お金持ちになるゾラですが、画家セザンヌをずっと励まし続けました。
エミール・ゾラ
22歳
父の勧めで法科大学に通っていましたが、父を説得してパリで美術のアカデミー・シュイスに通います。
ポール・セザンヌ画『「レヴェヌマン」紙を読む画家の父』
1866年、198.5 × 119.3 cm。ナショナル・ギャラリー (ワシントン)。
30歳
モデルでお針子のオルタンス・フィケと出会います。
33歳
ピサロと戸外制作をする。
絵の色調が明るくなる。
長男ポール誕生。
ポール・セザンヌ画『オーヴェルの首吊りの家』
1872-73年、55 × 66 cm。オルセー美術館。
35歳
第一回印象派展に3点出品する。
39歳
オルタンス・フィケと子供のことがばれて、父親からの仕送りがなくなる。
経済的困窮をゾラが救う。
47歳
父が亡くなる。
莫大な遺産を受け継ぐ。
オルタンスを正式に結婚しますが、別居状態でした。
51歳
この頃から作品が売れるようになります。
56歳
初個展
その後一人制作に励む日々
ポール・セザンヌ画『サント・ヴィクトワール山』
1887年頃、67 × 92 cm。コートールド・ギャラリー。
1895-1900年。オルセー美術館。
67歳
亡くなる。
セザンヌがの妻マリー・オルタンス・フィケと出会ったのは1865年です。
セザンヌ30歳、オルタンスは19歳でした。
オルタンスはパリの製本屋の女工でモデルをして収入を補っていました。
後に息子ポールが生れます。
セザンヌは生活費を親からの生活で賄っていました。息子や彼女のことがばれると仕送りがなくなると恐れて極秘にしていたようです。
しかしその存在を気づいたセザンヌの父は仕送りを止めます。
オルタンスは絵に対してはまるきり関心がなかったそうです。そしてセザンヌはかなり気難しい部類の芸術家です。付き合うのは面倒なタイプ。
なんでオルタンスがセザンヌを好いたのかは…謎です!
出典:Paul Cézanne - Wikimedia Commons
父親が亡くなってから二人は正式に結婚しますが、それまで待っていた期間はなんと17年間。オルタンスすごい。
その後セザンヌは実家のあるエクスで母親と暮らすようになりますが、オルタンスはパリが好きだったようで別居の状態になります。
セザンヌは実家のあるエクスで倒れて死にますが、そのころパリで暮らしていたオルタンスと息子ポールは死に際に間に合うことができませんでした。
セザンヌは臆病なところもあったようなのであまり出会いも少なかったのかな。癇癪持ちであったようなので愛しにくい人柄だし、芸術にしか興味ないし…
オルタンスはこの人を愛せるのは私だけと思っていたかもしれませんね。
事実そうだったと思います。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。