墨で描かれた作品すべてが水墨画というわけではない
今日も生きてます。
世界の地獄と極楽がわかる本(PHP研究所、田中治郎著)を読んでます。
古代インドや、メソポタミア、中国…などなど、世界の人々が想像した極楽や楽園の様子を浅くですが知ることができます。
死後に審判を受けた後に行く極楽は、現世での幸せを楽に堪能でき・苦しみが無くなったところが多いのかなあと思います。
(そもそも地獄に比べて天国の描写は少ないのかもしれません。)
人間のしあわせって、所や時代が違っても同じようなものなのでしょうか。
仏教の悟りは違うようです。
そもそもそのようなに行きたいこと自体が煩悩にまみれているように感じるし。
もう少し読み込んで内容を細かく把握したいと思います。
さて、今日も『マンガでわかる「日本絵画」の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』(監修矢島新、イラスト唐木みゆ、誠文堂新光社)を読んでいます。
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=580756
前々から思っていたのですが、水墨画って具体的には何を指すのでしょか?
私は墨で描かれたものが水墨画だと思っていましたが、それは少し認識が間違っているようです。
ということで今日は水墨画ってどういう作品を指すのか、というお話です。
長谷川等伯 - Emuseum, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=139746による
すばり水墨画とは何を指すかですが、水墨画とは主に墨の濃淡や筆のタッチで描かれた作品です。
中国の唐の時代に水墨画は成立します。
なぜかというと水墨画を描くことは、禅の修行の一つだったからです。
しかしその前から墨自体は日本にあり、その墨によって絵が描かれています。
墨で描かれるのが水墨画という認識ですと、上の作品も水墨画になってしまいますが、上のような作品は水墨画とは呼ばず、「白描画(はくびょうが)」と呼びます。
墨の線だけで表現されているものを「白描画」と称します。
墨の線だけで描く「白描画」に対して、「水墨画」はぼかしやぬりが表現としてあります。
また、中国から輸入されて日本に入ってきたので、水墨技術を使った絵という意味プラス広い意味で、中国風の絵ということを指す場合もあるようです。
禅の修行として描かれていた水墨画は、世界を見えるようにではなく、表現者が物体の本質を知覚的・主観的に捉えたもののみが描かれ ています。
水墨画って間が広く感じますが、見えるものを描こうとしているわけではないからなのかな…?
水墨画が何回か続きます。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。