日本の水墨画アートシーン(?)に影響を与えた画僧
今日も生きてます。
「日本の幻獣図譜 大江戸不思議生物出現録」を読んでいますが、幻獣のミイラをご神体として拝んでいた寺が廃寺となり、ご神体が流れて見世物小屋などで見世物になっていたそうです。
作り物とはいえ、拝まれていたものが俗世で晒される感じが何とも言えません。
また、見世物小屋では小さな犬に甲羅をつけて、河童と称して見世物にしたり、樽に水を溜めてそこに河童の頭部のようなものを浮かせ、下から紐で少し動かせる仕組みをつくって見世物にしていたりしたそうです。
子供は面白がっていたのかなあ。
さて、今日も『マンガでわかる「日本絵画」の見かたー美術展がもっと愉しくなる!ー』(監修矢島新、イラスト唐木みゆ、誠文堂新光社)を読んでいます。
昨日は墨で描かれた作品すべてを水墨画と呼ぶわけではなく、墨の線だけで描かれた絵巻物(例:鳥獣戯画など)は、「白描画(はくびょうが)」と呼びます。
禅の修行の一環として輸入された水墨画は、西洋画のように本当の世界を写実的に表現するのではなく、描き手の主観的な精神世界を表現するものになっていきました。
↓は可翁(かおう)という僧侶が描いた「竹雀図(しょうちくず)」です。
Anonymous painter of the Nanbokucho period - http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=151231, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33549477による
画面スッカスカ~と思うかもしれませんが(私だけ?)、これは「間」であり、「空間」です。
上にもう一匹雀が描かれていたという説もあります。
上の葉と下の葉に墨の濃淡で色の差がつけられているのがわかりますね
そうすることで奥行(濃い葉=近い 薄い葉=遠い)を表現し、画面から空間がより感じられるようになります。
重要文化財に指定されています。
可翁は水墨画が日本に入ってきた初期に活躍しました。
↓の作品も可翁(かおう)の作品、国宝です。
Kaō Ninga (可翁) - [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8367062による
鎌倉時代ー南北朝時代(14世紀ごろ)が日本の水墨画の初期とされます。
その頃、日本で大変評判の良かった中国の絵師「牧谿(もっけい)」がいます。
牧谿(もっけい)は、13世紀後半、南宋の僧です。水墨画として評判がありました。中国では死後忘れられていったそうですが、日本の水墨画に大変影響を与えました。
Mu-ch'i - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=155954による
おそらく今日本で水墨画の巨匠として伝わる人々(長谷川等伯や、可翁も…)皆牧谿(もっけい)の作品と必ず接していますし、大変影響を受けています。
日本では贋作が多く出回るほど人気であったそうです。
(特にサルは人気だったそうです。)
現代の日本の私たちが思う「水墨画」の源はここにあるのかなと思います。
Muqi Fachang - [1], パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7906513による
昔の作品を知るときに当時の作家を取り巻く環境がどんなものであったかを知ることができると、当時の価値観を把握できるので作品理解につながりますね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。