天狗の世界を知る
今日も生きてます。
カメラを持って多摩動物園で撮影してました。
目的は蝶の温室。
温室の中に蝶がたくさん舞っていて蝶の楽園のような場所です。
好きです。
蛹を見ることもできますが、クリスマスが近いからか蛹もクリスマス仕様になっていました。
たしかに蝶の蛹はクリスマスツリーの飾りにできるほど綺麗ですが、実際蛹ツリーをみるとかすかに狂気を感じました。
さて、霊獣について取り上げる日々が続いています。
今は架空の存在として認識されている河童や人魚などの霊獣たち、昔はその存在が受け入れられ、信じられていました。
今日は霊獣の中から天狗について取り上げます。
〇天狗とは
Nappa - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8167608による
顔が赤く、鼻が長い、そして空を飛ぶ…というようなイメージの天狗。
個人的には高尾山の天狗が有名ですよねという感じ。
(浅い…)
天狗と関連している寺や地域は日本にたくさんあります。
絵や像としても様々な姿で表現されています。
〇天狗の由来
unknown (Chinese) - scanned from Chuugoku koten bungaku taikei (中国古典文学大系, Japanese book) volume 8, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7912348による
『山海経』より「天狗」
もともとは天狗の元祖は、中国の伝説の世界を描いた地理書「山海経(さんがいきょう)」や、「史記」の中に登場します。
流星のことを天を駆け降りる犬の姿に見立てていたようです。
それが日本古来の信仰と組み合わさっていきます。
〇天狗の外見
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1355209
一魁芳年画『美勇水滸傳』木曽駒若丸義仲に鼻を摑まれた天狗↑
平民は山の中で起きる怪異な現象を天狗の仕業と呼んでいました。
ここから天狗を山の神と見なす傾向が生まれます。
天狗の姿は一定ではなく、様々な姿で表現されます。
・『今昔物語集』(平安末期成立)の中での天狗の表現
空を駆け、人に憑く「鷹」と呼ばれる魔物や、顔は天狗、体は人間で、一対の羽を持つ魔物など、天狗の説話とともに様々な姿。
・『平家物語』の中での天狗の表現
人にて人ならず、鳥にて鳥ならず、犬にて犬ならず、足手は人、かしらは犬、左右に羽根を生やし、飛び歩くもの。
・『古今妖魅考』の中での天狗の表現
長い翼を持つ沙門となった後鳥羽上皇
また、山伏は傲慢で我見の強い者として、死後に転生し、魔界の一種として天狗道があるとされました。
現代の私たちがイメージする天狗の姿が認識されたのは中世に修験道の影響を受けてできたものです。
〇天狗の種類
鼻高天狗
歌川国芳 - http://visipix.com/search/search.php?userid=1616934267&q=%272aAuthors/K/Kuniyoshi%201797-1861%2C%20Utagawa%2C%20Japan%27&s=13&l=en&u=2&ub=1&k=1, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=317360による
一勇齋國芳画「心学稚絵得」より『天狗と象』
“競れば 長し短し むつかしや 我慢の鼻の を(置)き所なし"
現代の私たちがイメージする天狗が鼻高天狗。
赤ら顔に山伏の服装、翼が生えた姿をしています。
この姿は一説では、狩野元信が描いた姿が広まっていると言われています。
また一説では、伎楽(飛鳥時代に中国から伝えられた仮面劇)で使用される仮面も、赤ら顔で鼻が高く、鼻高天狗と非常によく似ていて、天狗に通ずるものがあると言われています。
WolfgangMichel - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29941764による
烏天狗像
烏天狗(鴉天狗)は、鼻高天狗と同じく山伏装束で、烏のような嘴を持ち、自由に飛びます。
剣術と神通力に秀で、鞍馬山の烏天狗は幼少の牛若丸に剣を教えたともいわれている。
一説には仏法を守護する八部衆の迦楼羅天が変化し、烏天狗になったともいわれます。カルラはインド神話に出てくる巨鳥で、金色の翼を持ち頭に如意宝珠をがあります。つねに火焔を吐き、主食は龍です。
京都の三十三間堂の二十八部衆の迦楼羅天は一般的な烏天狗のイメージそのものです。
木の葉天狗
Hayashi Jikkō 林十江(1777-1813) - http://www.tobu.co.jp/your/your10/ensen.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1622825による
林十江画『木の葉天狗図』
河鍋暁斎 - scanned from 4-8771-9270-0., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3855685による
木の葉天狗(このはてんぐ)は、境鳥(さかいどり)とも呼ばれ、江戸時代の随筆や怪談などの文献に多く名が見られます。
寛保時代の雑書『諸国里人談』に木の葉天狗の目撃談があり、大きな鳥のような姿で、翼はトビに似ており翼長が6尺あったそうです。
人の気配を感じるとたちまち逃げ去ってしまったそうな。
しかし松浦静山の随筆『甲子夜話』には、天狗界での体験談が述べられており、その中に木の葉天狗の名があります。
人に似た顔と手足を持ち、くちばし、翼、尾羽を持っていたそうです。
歌川国芳「平家の奢悪逆を憎み鞍馬山の僧正坊を始め諸山の八天狗御曹司牛若丸の影身を添ひ源家再興を企てる随従の英雄を伏さしむる図」
「平治物語」や「鞍馬天狗」の中で、牛若丸は天狗から武芸や兵法を習ったとされます。牛若丸VS弁慶で、8人の天狗が牛若丸を助けています。
歌川国芳「木曽街道六十九次之内 板鼻 御曹司 牛若丸」
牛若丸に打たれた天狗の鼻が痛い→板鼻
というダジャレを描いています。
河鍋焼斎「焼斎百図」のうち「書の大天狗 象の鼻引」
〇天狗の目撃談
霊獣が妖怪と違って面白いのは、存在が信じられていた時代があるため、目撃談やミイラが現代まで残っているところだと思います。
この絵は秋田で酒屋に来たお客さんが天狗であったということが書かれています。
↑は平田篤胤が、天狗の世界に行ったとされる少年の話を聞きだした天狗の文字。
なんて書いてあるのかなあ?
↑は1658年頃に峠に出没していた天狗を佛現寺の住職が懲らしめたときに、この詫び証文を残したというもの。
同じ佛現寺には天狗の髭も納められています。
↑は烏天狗のミイラ。和歌山県御坊市教育委員会が所蔵しています。
生身迦楼羅王尊で、世の安寧と家運繁盛の守護者であると由緒書や証文に記されています。
修験道が布教活動のために背負って各地を回っていたようです。
↑は端龍山法雲寺にある天狗の爪です。
明治18年の「伊勢新聞」には、これが発見されたときの記事が載っています。
その中で、これは鑑定により天狗の爪となったという旨の内容があります。
明治でも天狗の存在が信じられていたんですね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。