あやしい北野恒富
今日も生きてます。
秋田の新屋にイージスアショアを配備することがニュースになってますね。
出身高校が新屋にあり、新屋に通っていた身としてはとても身近なことで、
今まで沖縄の基地のニュースを他人事としてみていたということを実感しました。
最近話題になってませんが、
北朝鮮からの船ではないかと思われるものが流れ着いていることから、
地理的に近い距離にある秋田って本当に危険な状況なんだよなあと思います。
日本海側に防衛が必要なこともよくわかります。
結果的には配備されることになると思いますが、反対する市民団体・住民には繊細に対応していき、丁寧に進めていってほしいと強く思います。
ないとは思いますが、沖縄のように問題がこじれて変に人が集まってしまう土地にはなってほしくないです。
さて、今日もあやしい美人画を読んでます。
今日は北野恒富(きたのつねとみ)を紹介します。
「道行」
道行は心中の地へと向かう男女が舞う歌舞伎や人形浄瑠璃の演目のひとつです。
表情から二人がただならぬ状況であることがわかります。
北野恒富(1880年ー1947年)は金沢に生まれます。
少年時代から絵が好きで、木版画彫刻師の門下を転々とし、絵草子屋に勤めたり、彫師のもとで木版下絵を描く修行を重ねたりしたのちに北国新報に入ります。
その後画家になるべく大阪に移ります。
挿絵画家としてデビューし、大阪新報社に入社後小説挿絵担当となります。
そして展覧会への品作するようになり、文展入選をきっかけに画家としての地位を築きました。
こうした創作活動のかたわら、画塾「白燿社」を主宰して多くの門下生を育てたほか、大正末年には徳島で南海画塾も設立しました。
「淀君」
妖艶さを漂わせる女性を描いて「画壇の悪魔派」とも呼ばれた北野恒富。
しばしば淀君をモチーフとして描きました。
「浴後」
北野恒富は多くの美人画のポスターを描きました。
先ほどの2枚とくらべると、胸元をはだけたかわゆい女性がこちらを向いている絵で、より多くの人間に受け入れられそうです。
調べていたら名画に自らが扮する現代アーティスト森村 泰昌さんが北野恒富が描いた高島屋のポスターに扮したものを作品にしていました。
昨日までみてきた美人画を描いていた作家は、作家を志して京都の学校で学んでいき、画壇に入っていく人が多かった印象でした。
しかし北野恒富は大阪に向かうところが違いますね。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。