狩野芳崖
今日も生きてます。
知識ゼロからの日本絵画入門を読んできましたが、とうとう近代に入ってきました。
今日は狩野芳崖(かのうほうがい)を紹介します。
⚫狩野芳崖の一生⚫
1828-1888
誕生
幼少
父の後を継ぐべく画道に励みます。
少年時代の作品は10点近く現存しています。
19歳
父も学んだ木挽町狩野家に入門します。
御用絵師として
御用絵師として江戸と長府を往復する生活を送ります。
29歳
御用絵師として江戸と長府を往復する生活をします。
44歳
廃藩置県により失業します。
屋敷などを売って金銭で養蚕業をはじめますが、失敗します。
55歳
第一回国内絵画共進会でフェノロサが芳崖の作品「仁王捉鬼」を激賞します。
大人気になります。
仁王捉鬼
61歳
肺炎のため亡くなります。
『悲母観音』
上の「悲母観音」はフェノロサが狩野芳崖にイタリアの聖母の石板画を見せられたことがきっかけで描かれた作品です。
当時初孫が生まれてその成長を願っていました。右手に持った宝瓶からは浄水が流れ、赤ちゃんに注がれています。
この絵の背景には「人間の創造」や「母の愛」というテーマがあります。
この絵には印や落款がありません。
芳崖はこの作品を完成する前に肺炎でこの世を去りました。
⚫逸話⚫
芳崖の名前の由来は?
禅の「禅の極致は法に入れて法の外に出ることだ」という教えから、法外と音通の「芳崖」の号を使い始めた伝えられます。
廃藩置県後の生活は?
徳川幕府の御用絵師であった狩野派は廃藩置県でパトロンがいなくなります。
困窮ぶりはひどかったらしく、妻が荒物屋や内職で生計を立てていました。
フェノロサは芳崖を月給20円で雇い、近所に家まで与えられています。期待されていたんですね。
伏龍羅漢(福井県立美術館)1885年
今日はここまで
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website
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10:00-19:30(金・土20:00)
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日程
2019年6月2日(日)
14時―15時
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画像引用・参考
知識ゼロからの日本絵画入門
幻冬舎 安河内眞美