光の栖鳳
今日も生きてます。
少し間が空いてしまいましたが、元気に生きてます。
ゴールデンウィークがはじまりますが、皆様なにか計画ありますか?
私は制作三昧です。
今日は竹内栖鳳(たけうちせいほう)を紹介します。
⚫竹内栖鳳の一生⚫
1864-1942
誕生
川魚料理屋の長男として京都に生まれる。
親の勧めで絵の手習いを始める。
17歳
円山・四条派の私塾へ正式に入門する。
23歳
結婚する。
フェノロサの講演を聴き刺激を受けます。
京都府画学校(現:京都市立芸術大学)修了し、絵師として独立します。
25歳
京都府画学校に勤める。
37歳
ヨーロッパを巡ります。
「光」に目覚めます。
帰国後京都画壇で実力が認められ、展覧会の審査員をしたり、教授になったり、数々の賞を受賞したりして、画壇の重鎮になります。
73歳
79歳
肺炎を病み、湯河原にて亡くなる。
⚫逸話など⚫
光に目覚めた?
欧州巡遊した栖鳳は異国の自然観、そして光を体験し、コローやターナーに強い感銘を受けました。
「西洋画ではまず光が絵の生命になっている」
そして帰国後日本画と融和しました。
「西の栖鳳、東の大観」と呼ばれました。
松園と恋仲だった?
弟子をたくさんとっていた栖鳳ですが、美人画で有名な上村松園もその一人でした。
スキャンダルの多かった松園と栖鳳も関係がありました。
上の絵のモデルは栖鳳が滞在していた八百屋の女将さんの愛猫です。
理由は南宋時代の皇帝の描いた猫を思い出したため、譲り受ける交渉をしたそうです。
日夜アトリエに自由に遊ばせて写生にいそしんだと言います。
秋興 絹本著色
今までの日本画とは全く違う画風であることがわかります。
なんというか、今までの日本画の空間の表現の仕方とは全く違いますね。
猫の絵も猫にも空間にも光がたくさん舞っているみたいです。そしてリアル。
これまでの日本画偉人たちを見てこなかったらこの栖鳳の絵の斬新さはわからなかっただろうなあ。
日本画って見えるまま本物そっくりに描くことが、対象を描くこととイコールではないところが西洋と違ったのかなあと思います。
日本画にとって対象を描くということは本質を描くということで、それは見えるように描くことではないということです。
佐竹曙山や栖鳳の絵はその考えに西洋の技法や考えが取り込まれていて面白い。
西洋美術史ではジャポニズムやシノワズリーなどが影響を与えたり、またピカソはアフリカのお面がキュビズムの傑作「アビニヨンの娘たち」
インスピレーションのもとになっていたりします。
時代が進んでいき国同士の交流が進むにつれて絵にも影響がでていることがわかります。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website
画像引用・参考
知識ゼロからの日本絵画入門
幻冬舎 安河内眞美
展示があります!
金銀箔展ー輝くマテリアルの世界ー
会期:2019年5月30日(木)ー6月5日(水)
10:00-19:30(金・土20:00)
最終日は17:00まで
会場:福屋八丁堀本店7階 美術画廊
○開催記念イベント○
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日程
2019年6月2日(日)
14時―15時
参加費無料