エキセントリック曾我蕭白
今日も生きてます。
親指の爪をパレットがわりにしてしまい、今描いている作品と同じ色になってしまいました。
意味なく大仏様とツーショット(?)です。
さて、今日は奇想の系譜展でも展示されていた曾我蕭白(そがしょうはく)を紹介します。
美人図
⚫曾我蕭白の一生
1730ー1781
誕生
詳しくはわかってないが、京都に生まれたという説があります。
10代
両親・兄弟をなくします。
29歳頃
伊勢を旅行します。
42歳頃
京都に居をかまえる。
52歳
亡くなる。
蝦蟇・鉄拐仙人図 ボストン美術館蔵
⚫逸話など⚫
旅先でまるで落語のような伝説の数々を残した?
旅先で空腹のあまり倒れ、ごはんのお礼として絵を描いた、
浄光寺に1年ほど滞在していたとき、絵を描こうともせず、毎日本堂に行っては昼寝ばかりしていた。
朝食もとらずに本堂に籠っていたが、昼になっても夜になっても出てこないので不思議に思って本堂へ行ってみると、壁面に「六羅漢」の図、欄間には「葡萄」の図が描いてあり、蕭白
の姿はなかった、
などなど、キテレツな逸話をたくさん残しました。
嘘つきだった?
藤原鎌足の子孫だとか、中国皇帝の末裔だとか、いろいろなことを言っていたそうです。
外国受けした?
明治時代、フェノロサの友人であるビゲローが、曾我蕭白のよさを日本人がわからないうちにどんどん購入し、曾我蕭白の作品はボストン美術館にたくさんあります。
虎渓三笑図
インディアナポリス美術館蔵
奇想の系譜展でみましたが、大胆な構図や色、造形にも関わらず、細部は執拗な描写が施されています。
お酒をのみながら描いていたそうですが、本当かい?と思います。
色々なモチーフに合わせてたくさんのタッチを使いこなしているのが衝撃でした。
江戸時代から受け入れられていたそうですが、こんな絵を受け入れていた江戸の人たちもすごいなあ。
円山応挙には対抗心を剥き出しにしていたそうです。
近づいたら噛みつかれそうなので遠くから眺めたい人ですね。
唐獅子図
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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画像引用・参考
知識ゼロからの日本絵画入門
幻冬舎 安河内眞美