横山大観ーふじさん!ー
今日も生きてます。
先日選挙がありましたね。
マック赤坂さんや中核派の洞口朋子さんが当選していて驚きました。
1票1票増やしていって続けていって実を結ぶことあるんだなあと思います。
これからの活動に注目ですね。
さて、今日は横山大観(よこやまたいかん)を紹介します。
エエ顔や。
⚫横山大観の一生⚫
1868-1958
誕生
水戸藩士の長男として生まれます
幼少
絵画に興味を持った大観は、渡辺文三郎という画家に師事します。
狩野派の指導も受けます。
大学
東京美術学校1期生として入学します。
父親は画家になることに反対します。
東京美術学校卒業後
教員としてキャリアを重ねていく。
京都で古画の模写の仕事
↓
↓
その後滝沢文子と結婚します。
1898年
学内での権力闘争に負けたことが理由です。
そして天心を師と仰いでいた大歓を含む14名も教員をやめます。
35歳頃~
大観が国内で作品を発表するも、受け入れられない風潮でした。
そこでインドのカルカッタや、ニューヨーク、ボストン、ロンドン、ベルリン、パリ等々、外国で展覧会を開き高い評価を受けます。
(資金源はどこか気になるところです。)
この欧米での高評価を受けて日本国内でもその画風が評価され始めました。
40歳頃~
えらい賞の審査員をしたり、えらい賞を受賞したり、国内での地位が固まっていきます。
69歳
第一回文化勲章受賞
90歳
亡くなる。
国際観光年記念切手として1967年に発行された(『富嶽飛翔』)
⚫逸話等⚫
無類の酒好きだった?
若い頃は猪口2 - 3杯で真っ赤になってしまう下戸だった大観。
しかし師匠の天心は酒豪であり、「酒の一升くらい飲めずにどうする」と大観を叱咤。
大観は飲んでは吐きながら訓練します。
1955年頃までは毎日約1升もの酒を飲んでいたそうな。
広島の「醉心」というお酒をよく飲み、醉心山根本店の社長と意気投合し、「一生の飲み分を約束」したため、無償で大観に送られていたものでした。
代金のかわりとして大観は毎年1枚ずつ自分の絵を無償で送りました。
政治的な働きをしていた?
ヒットラーに贈るために「旭日霊峰」を描いたり、「海に因む十題」「山に因む十題」の売上金で戦闘機を4機買い、陸海軍に献上するなどしていました。
『屈原』
大観は富士山をたくさん描きました。
富士山を描いた作品は2000点を超えます。
横山大観の作品は意外に実物を見たことは少ないです。大きな作品が多そうですね。
輪郭を使わずに表現する技法「朦朧体」という技法を極めていたそうです。
どこかで見れるかなあ
今日はここまで
最後まで読んでいただきありがとうございました。
明石恵Website
明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website
広島で展示があります。
金銀箔展ー輝くマテリアルの世界ー
会期:2019年5月30日(木)ー6月5日(水)
10:00-19:30(金・土20:00)
最終日は17:00まで
会場:福屋八丁堀本店7階 美術画廊
○開催記念イベント○
会場で作家が箔を貼る実演講座をします。
日程
2019年6月2日(日)
14時―15時
参加費無料
画像引用・参考
知識ゼロからの日本絵画入門
幻冬舎 安河内眞美