平安愛を描いた画家ー岡田為恭ー
今日も生きてます。
次の展示はゴールデンウィーク明けに広島です。
金銀箔展ー輝くマテリアルの世界ー
会期:2019年5月30日(木)ー6月5日(水)
10:00-19:30(金・土20:00)
最終日は17:00まで
会場:福屋八丁堀本店7階 美術画廊
○開催記念イベント○
会場で作家が箔を貼る実演講座をします。
日程
2019年6月2日(日)
14時―15時
参加費無料
広島県の民話をもとに制作中です。
お好み焼きと牡蠣を食べるのが楽しみです。
さて、今日は岡田為恭(おかだためちか)を紹介します。
「鷹狩・曲水宴図襖絵」のうち鷹狩図 2面
幕末に大和絵を復興しようとした画派がいました。
平安貴族の文化にまであこがれた…岡田為恭はその一人です。
⚫岡田為恭の一生⚫
1823-1864
誕生
狩野派の絵師の三男として生まれます。
両親は為恭が絵師ではなく、狂言師にするつもりだったそうです。
修行時代
特定の絵師に師事せず寺等に所蔵される古画の模写や古物の写生を重ねます。
17歳
絵の才能は開花し、89種もの絵巻物を模写していたそうです。
28歳
株を買うことで蔵人所衆(天皇の秘書的な存在)である岡田氏の養子になり、公家を名乗るようになります。
後に関白・九条尚忠に仕える人になります。
42歳
尊皇攘夷派に殺害される。
源氏物語図
⚫逸話⚫
平安貴族のコスプレをしていた?
平安王朝の世界に憧れていた岡田為恭は、名前や身分を手に入れました。
時々公家の格好をして庭園を散策していたそうです。
勝手に公家の名前を使って怒られていた?
岡田為恭は作品に大きな落款を入れていました。
「大納言⚪⚪」
「藤原⚪⚪」
など、王朝関係者の名前を勝手に使い、各方面からしかられていたそうです。
また、為恭の母が公家の冷泉家に仕えた事があったという事実だけで公家の子でないのに「冷泉為恭」と名前を改め、これもまた怒られたそうです。
少し異常かなあ?(感想)
何故殺害されたのか?
岡田為恭は、「伴大納言絵巻」の模写のために所有者の京都所司代に近づいていました。
それを攘夷派につけ狙われてしまいました。
西洋のルネサンスではありませんが、日本の美術史の中でも大和絵が時代の中で何度か盛り上がるそうです。
乙女が西洋のお姫様に憧れるように岡田為恭は平安時代に憧れていたんだろうと思います。
手に入らないものを憧れるのって悲しいことだなぁ。
岡田為恭描く平安王朝は夢の国なんだろうと思います。
平安に執着した岡田為恭の作品は見てみたいです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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画像引用・参考
知識ゼロからの日本絵画入門
幻冬舎 安河内眞美