宮川長春の人生
今日も生きています。
いろいろな物語を読みながら絵の構想を考えます。
伝説上の物というのは正解がないので難しいです。
ですがそのぶんだけ想像する楽しさがあります。
ということで今は蓬莱山のイメージを固めています。
さて、今日は肉筆浮世絵で庶民風俗、遊里風景、遊女、陰郎、若衆などを描いた宮川長春(みやがわちょうしゅん)を紹介します。
遊女聞香図
⚫宮川長春の一生
1682年ー 1752年
1歳
尾張宮川村の出身に生まれます。
修行時代
狩野派や土佐派に学んだといわれます。
そして菱川師宣にも私叔します。
また、江戸時代に人気があった絵師集団、懐月堂派の立美人図の影響を受けます。
68歳
表絵師稲荷橋狩野家当主の狩野春賀に招かれて日光東照宮の彩色補修を手伝います。
71歳
亡くなります。
三侍
⚫逸話など
版画はやらなかった?
江戸時代の浮世絵師は版画と肉筆画(紙に直接描いた絵、一品もの。)の両方を生産していました。
しかし宮川長春は死ぬまで版画はつくらなかったそうです。使われている絵の具も高価なものでした。
肉筆画のこだわりもあったと思いますが、宮川長春の支援者がはやや富裕な町人か武家だったという推測もできます。
日光東照宮の金銭問題で殺人事件発生?!
ところが狩野春賀はその報酬を支払いません。
翌年の宮川長春は催促に訪れた春賀邸で殴る蹴るの暴行を受け、荒縄に縛られごみ溜めに棄てられたといわれます。
(おそらく70前後の人間に対してひどすぎる仕打ちです。*1
そこで怒った長春の息子長助は、夜に門弟と共に春賀宅を襲います。
春賀を殺害し、その家人を2名ないし4名を殺傷しました。
この事件は喧嘩両成敗となり、稲荷橋狩野家は断絶、春賀の子春朝は八丈島に遠島となりました。
宮川派は、長春が間もなく亡くなった事からその身代りとして(というか宮川長春はなにも悪くない)、高弟が伊豆新島に配流、息子は死罪に処せられたとも自殺したとも伝えられます。
後味が悪い話ですね…
遊女の絵は誰が買ってたの?
遊女や遊里の絵は誰が購入していたのか?というと、ひいきの遊女を浮世絵師に描かせて偲んでいたということもあったそうです。
肉筆浮世絵は商家や、大名家、徳川家などからも注文がありました。
この人は何をしているところ?
上の女性は足と足の間に香炉を焚き、その煙で
衣服に香りをつけています。
後ろの屏風は狩野派風で春のものです。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考&引用
知識ゼロからの日本絵画入門
幻冬舎、安河内眞美著
明石恵Website
明石 恵 Aya Akashi website - 明石 恵 Aya Akashi website
13日まで中目黒で展示してます。
中目黒アート花見会Vol.4
「Sakura Pink」展
メイン会場:MDP GALLERY
住所→東京都目黒区青葉台1‐14-18
会期:2019年3月22日(金)-4月13日(土)
時間:11:00-19:00
※最終日は18:00まで
日・月・祝祭日休廊
「中目黒の桜まつり」の開催期間に併せ、今年で4回目の中目黒アート花見会「Sakura Pink」展が開催されます。
「花見をしながら、アートを楽しむ」をコンセプトに、桜をイメージした作品をMDPギャラリーを拠点に、中目黒エリアの飲食店などの協力店舗にも作品を展示する「お花見ART WALK!」も同時開催!
「桜、桃色、Pink」をテーマに、さまざまなアーティストによるイラストや油彩、日本画などの平面作品、立体作品など様々なアート作品を展示致します。
ご来場いただいた皆様に、桜とアートを楽しめる空間を提供いたします。
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