カノーヴァ
今日も生きてます。
皆さん固体をとどめていますか?
私は溶けそうです。
秋田も暑いそうですよ。
こんなときはエアコンの効いた部屋で読書に限ります。
今読んでいる池上英洋さん著「西洋美術史入門<実践編>」もそろそろ終わりになるので新しい本です。
面白そうです。
というか趣味がまるわかりですね。
すみません…。
これからブログで取り上げられたらと思います。
さて、昨日の続きですね。
ナポレオン大躍進の時代、ナポレオンの眼という通り名を持つドノンが占領下の国の美術品をフランスへ大量に奪っていました。
ナポレオン失脚後、ヨーロッパ各国の間ではウィーン会議が開かれます。(有名な踊るやつです。)
その中にアントニオ・カノーヴァという人物がいました。
自画像
アントニオ・カノーヴァ
(1757-1822)
アントニオ・カノーヴァは当時から超有名な彫刻家でした。
なぜカノーヴァがウィーン会議に参加していたかというと、イタリアからナポレオンに略奪された美術品の変換交渉をするためでした。
カノーヴァはナポレオンの占領状態にはいる前からナポレオン政府の美術行政の中心的ポストにオファーを受けていましたが、それを上手くかわしつつもナポレオンの妹の彫像を作るなどして上手に距離を保っていました。
1797年にフランス軍がイタリアに入ってくると、教皇にイタリアの美術品がフランスに奪われるのを防ぐための立法を進言し、予算の成立のために努力します。
ナポレオン軍がイタリアのヴィーナス像的作品「メディチのヴィーナス」を持っていってしまったとき、
↑メディチのヴィーナス
カノーヴァはメディチのヴィーナスをベースに「ウェヌス・イタリカ(イタリアのヴィーナス)」をつくり、空席になってしまった場所に飾りました。
↑「ウェヌス・イタリカ(イタリアのヴィーナス)」
イタリアへの愛に溢れてますね。愛国者です。
カノーヴァの人生を見ているとちゃんと世の中の流れや仕組みや自分の役割がわかっている賢い人なんだなと感じます。
カラヴァッジョとは違う素質のひとですな。
そういうこともあって美術品の変換交渉を任されたんだと思います。
カノーヴァは、ドノン(通り名はナポレオンの眼)の激しい抵抗の中でも功績をあげます。
⚪現在、サンマルコ教会にある「四頭の馬」
⚪ヴァチカン美術館の「ラオコーン群像」
⚪メディチのヴィーナス
等。
まだ返還されていないものもあります。
ルーヴル美術館の有名な作品モナ・リザの真向かいに展示されている。
パオロ・ヴェロネーゼ「カナの婚礼」
輸送によるダメージを避けるためという理由で返還されるに至りませんでした。
本の中で著者である池上英洋さんが、「お前が言うかという理由」と書いていて面白い笑
レオナルドダヴィンチの手稿も一部はフランス国立図書館が所蔵しています。
作者の手を離れた作品の行方は波瀾万丈ですね。
作品がどこにあるべきか、誰のものかは考えさせられる事です。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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