ラファエロの評価
今日も生きてます。
実家からメロンが送られました。
ありがとうございます。(小躍り)
箱の横が気になる
頑固なんだ…
メロンに生産者の顔写真のシールが貼ってありました。
この人が頑固なのか。そうか。
しかし美味でした。
頑固万歳。
さて、池上英洋さん著「西洋美術史入門<実践編>」を読んでます。
作品や、作家の評価ってはたから見るとなぜなのかわかりませんよね。
生前から評価されたり、死後再発掘されたり…。結局は周りの都合で見方が変わってるだけだと思いますがその例としてラファエロのことを取り上げた内容が本の文中にあったので今日はラファエロについてです。
1804年にナポレオンは皇帝になりました。
ナポレオンの時代、美術界ではダヴィッドを筆頭に新古典主義が流行っていたと言うことをいつかのブログに書きました。
要約すると新古典主義とは古代ギリシャやローマを理想としており、フランスの新古典主義での代表的な作家、ダヴィッドはナポレオンの主席画家として制作していました。
ダヴィッドの弟子の一人であるアングルもフランスの新古典主義を代表する作家です。ダヴィッドと違い政権とは距離をおいていましたが、ナポレオンの絵も描いていました。
この二人はラファエロの作品から影響を受けており、特にアングルはナポレオンのことをかいた作品にラファエロの作品を図案化したものをまぎれこませるほど傾倒していました。
新古典主義のフランスではラファエロの評価が高まり、ラファエロを主題とした作品が数多く制作されたそうです。
この絵は最終的にナポレオンに購入されます。
ラファエロは政権からもお墨付きをもらいました。
今のところラファエロの評価は最強モードですが、ナポレオンが失脚する頃になると様子が変わってきます。
次はロマン主義というものが出てきます。
ロマン主義についてはいつかのブログで書きました。
フランスにおけるロマン主義の代表的存在であるドラクロワはラファエロよりミケランジェロを高く評価しています。
フランス革命とナポレオン戦争によって壊された復興運動から、ラファエロ以前の15世紀の様式が評価されるようになります。
イギリスではあまりにもラファエロを規範とする考えに対抗した「ラファエロ前派兄弟団」という一派が出てきます。
メンバーは、ラファエロの遺作を酷評してます。
これは新古典主義の頃には考えられなかったことだと思います。
そしてラファエロはそれまで300年間に渡る理想視が嘘のように権威を失っていきました。
政権が変わると美術界全体の評価も、作品と作家の評価もがらりと変わっていきます。
分かりやすいですね。
もし作品に絶対的な価値があるのだとしたらこんなことはあり得ません。
今日はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございましたございました。
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