リアル絵描き日記

画家明石恵のブログです。

勝利者としてのキリスト、苦難のキリスト

今日も生きてます。

 

砂漠で美しい星座が煌めく夜空を見上げる夢を見ました。

美しい夢は気持ちいいです。

 

 

さて、今日も池上英洋さん著「西洋美術史入門<実践編>」を読んでいます。

 

いろいろな社会背景から美術品の表現が影響を受けて変わっていくということがわかる勉強になる本です。

 

イタリアのカマッジョーレという町の教区教会にキリストの磔刑像があります。

 
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この教会は1991年に盗難にあいました。しかし3メートルに近い大型のキリストの像はさすがに運びにくかったのか助かりました。

 

保管上の理由によりサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会へと移されました。そして修復と調査が行われました。

 

修復後↓

 
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修復前と比べてみましょう。

修復前↓

 

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目かくっきりと開いてますね…

 

 

これは汚れを落としたから目が出てきたというものではなく、ある時点でわざわざ閉じているように見せるために彩色が施されていました。

 

何故このような加筆がなされたのか…

 

修復前のかっと目を開き、両手両足に釘を打たれて失血死の苦しみを受けているにも関わらず超然としている姿は「勝利者としてのキリスト」の表現です。

 

イタリアの磔刑像の歴史の中で12世紀末によく見られる表現です。

 

 

修復後の目を閉じている姿は「苦難のキリスト」と呼ばれる表現で、13世紀前半に眠るように目を閉じ体も重みで力なくS字に曲がっているポーズをしています。

 

何故このように表現が変わっていったのかというと、ひとつきっかけとしてアッシジの聖フランチェスコの教えがあります。

 

聖フランチェスコはフランシスコ修道会の創始者で、たった一人で始めた活動が、44歳でなくなったときには数万人の規模まで広がっていたという人です。

 

才能あったんですね。

 

彼がキリスト教徒にあてて書いたメッセージがあります。その中にはキリストは地上に現れるにあたって私たちと同じ人間性と弱さを持った肉体を受け取られたという言葉がありました。

 

キリストであろうと人間と同じ肉体をまとっており、苦痛も同じように感じるという彼の考えは、美術の造形表現にも影響を与えました。

 

 

その事によって超然としたキリストが人間と同じように表現されるようになりました。

 

 

 

今日はここまで。

 

今日もご覧くださりありがとうございました。

 

 
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